後藤新平 8〜新政府軍との死闘〜|仙台から

前回は「後藤新平 7〜盟主へ〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
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善戦する奥羽列藩同盟

「御三家に準じる家格」とも言える松平家。

さらに、元当主・松平容保は第十五代将軍 徳川慶喜に見込まれ、京都守護職という大役を務めました。

第15代将軍 徳川 慶喜(Wikipedia)

しかし、伊達・仙台藩はじめ、松平・会津藩以外は、特に徳川家と親しい間柄ではありません。

まして、伊達家は徳川家とは「親しい間柄」とは、とても言える仲ではないのです。

会津藩以外は、徳川に殉じる義理は、ないのです。

しかし、奥羽武士たちにとって、突然「官軍となって、意気揚々と振る舞う」薩長が理解できなかったのです。

徳川の時代は終わったのか?

一体どうなっているのだ?

旧式の武器が多いながら、奥羽列藩同盟は官軍相手に善戦します。

新政府軍との死闘

中でも、目覚ましい働きをしたのが、長岡藩家老の河井継之助

長岡藩家老 河井 継之助 (Wikipedia)

当時、日本に数えるほどしかなかった、ガトリング砲で官軍を苦しめます。

薩長を倒すのだ!

ガトリング砲(Wikipedia)

何が「官軍」だ!

お前たちは、「薩摩と長州」だろう!

勘違いするなよ!

しかし、大量の軍勢に、最新鋭兵器を抱える新政府軍に対して、奥羽列藩同盟は徐々に押されます。

最終的には、「朝敵」と指定されたものの、ギリギリまで抵抗する奥羽列藩同盟。

まさに、「日本の武士」の最後を飾る勢いでした。

奥羽列藩同盟の変遷(歴史道vpl.15 朝日新聞出版)

沢山の同盟藩が降伏してしまった・・・

もはや、我が仙台藩の運命は・・・

官軍増援部隊の来襲

江戸では、徳川の残党が踏ん張っていたものの、官軍側が制圧を果たし、一区切りつきます。

奥州の列藩同盟が、かなり頑強だ。

そして、苦戦する奥羽へ、官軍側が強力な増援部隊を送り込みます。

迅衝隊(Wikipedia)

当時、精強さを誇っていた迅衝隊

この迅衝隊を官軍は、奥羽の戦場へ送り込みます。

このいかにも危なそうで、強そうな軍団。

この屈強の軍団が、奥羽になだれ込んできました。

この中でいかにも「大物」風な、上の写真:前列中央の人物が隊長でした。

率いていた隊長の名前は、土佐藩士・乾(いぬい)退助。

板垣 退助(Wikipedia)

後の参議・板垣退助。

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