前回は「後藤新平 6〜平和から戦争へ・仙台藩・新政府軍と彰義隊〜」の話でした。

奥羽列藩同盟盟主へ
すでに南の薩摩藩・西の長州藩が京都を押さえて、官軍は、どんどん関東地方へ向かってきました。
どんどん官軍に従う中、奥州が空白地となります。
そして、幕末のうねりの中に、仙台藩は引き摺り込まれてゆきます。
会津藩が、強烈な個性を放っていた奥州の地。
新政府軍、
何するものぞ!
と大同団結します。
そして、
みんなで
新政府軍と戦おう!
同盟が結ばれ、奥羽列藩同盟が成立します。
そして、盟主となったのは、会津藩・・・と思いきや、仙台藩だったのです。
仙台・伊達藩に
盟主になってもらおう!
そうだ!
伊達しかいない!
これは、伊達政宗以来の知名度・パワーを見込まれて、周囲から懇願されたのでしょう。

そして、仙台藩は官軍と戦い、頑強に抵抗します。
奥州各地で官軍と戦い、善戦するも、官軍の持つ近代兵器に悩まされます。
奥羽列藩同盟の連帯感
それまで、それほど親しい間柄ではなかった奥羽の諸藩。
「新政府軍」という「共通の敵」ができたことで、一気に連帯します。

東北・越後の31藩が一気に同盟を結ぶという画期的同盟だった、奥羽列藩同盟。
上の図で右側を見ると、「東北地方が一つの国」になったかのようです。

戦争は
嫌だが・・・



みんなで
一緒に戦うのだ!
官軍と賊軍
みんな
一緒だ!
と意気揚々と大同団結した奥羽列藩同盟。
しかし、新政府軍は非常に強力なだけではなく、「奥の手」を持っていました。
それは、「賊軍への指定」です。


そもそも、薩長軍5,000人に対して、幕府軍15,000人で戦った「鳥羽・伏見の戦い」で幕軍が敗北した理由。
それは、「錦の御旗」の絶大な効果でした。
当時、最新鋭兵器を英国から購入していた薩摩。


対する「旧式兵器で戦っていた」と言われる幕府軍は、主にフランスから最新兵器を購入していました。
幕府軍の武器は、薩長にそれほど劣った武器ではなかったのです。


そこで、岩倉具視らが中心となり「誰も見たこともない」という「錦の御旗」を偽造して「官軍」となったのです。
この頃は、朝廷の立場が未確定でした。
この頃は、朝廷が、はっきりと新政府側につきました。
そして、奥羽列藩同盟を「賊軍(朝敵)」と指定したのです。
奥羽列藩同盟に加盟する
藩は、全員朝敵だ!
これは痛恨の一撃でした。
当時の武士にとって、賊軍・朝敵となることは「死よりも辛い」ほどの「最悪の汚名」だったのです。



朝敵?!・・・



名藩の仙台藩が、
賊軍・・・



我らは、
天朝の朝敵なのか・・・
小学校4年生頃の後藤にとっても、それは「痛恨の一撃」だったのでした。