前回は「徳川幕府の終焉と新しい時代〜突然崩壊した封建制度・大村益次郎の登場・新政府軍と彰義隊の死闘〜」の話でした。
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奥羽列藩同盟盟主となった仙台藩
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すでに南の薩摩藩・西の長州藩が京都を押さえて、官軍は、どんどん関東地方へ向かってきました。
どんどん官軍に従う中、奥州が空白地となります。
そして、幕末のうねりの中に仙台藩は引き摺り込まれてゆきます。
会津藩が、強烈な個性を放っていた奥州の地。
新政府軍、
何するものぞ!
と大同団結します。
そして、
みんなで
新政府軍と戦おう!
同盟が結ばれ、奥羽列藩同盟が成立します。
そして、盟主となったのは、会津藩・・・と思いきや、仙台藩だったのです。
仙台・伊達藩に
盟主になってもらおう!
そうだ!
伊達しかいない!
これは、伊達政宗以来の知名度・パワーを見込まれて、周囲から懇願されたのでしょう。
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そして、仙台藩は官軍と戦い、頑強に抵抗します。
奥州各地で官軍と戦い、善戦するも官軍の持つ近代兵器に悩まされます。
一大国家となった東北地
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それまで、それほど親しい間柄ではなかった奥羽の諸藩。
みんなで
力合わせて頑張るぞ!
一緒に
新政府軍とかいう奴らと戦うぞ!
「新政府軍」という「共通の敵」ができたことで、一気に連帯します。
東北・越後の31藩が一気に同盟を結ぶという画期的同盟だった、奥羽列藩同盟。
上の図で右側を見ると、「東北地方が一つの国」になったかのようです。
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戦争は
嫌だが・・・
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みんなで
一緒に戦うのだ!
運命の分かれ道に出会った後藤新平少年:官軍と賊軍
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みんな
一緒だ!
と意気揚々と大同団結した奥羽列藩同盟。
ところが、新政府軍は非常に強力なだけではなく、「奥の手」を持っていました。
それは、「賊軍への指定」です。
こちらには
帝の勅命がある!
お前たちは
賊軍であり、朝敵なのだ!
ええっ!
そもそも、薩長軍5,000人に対して、幕府軍15,000人で戦った「鳥羽・伏見の戦い」で幕軍が敗北した理由。
それは、「錦の御旗」の絶大な効果でした。
当時、最新鋭兵器を英国から購入していた薩摩。
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対する「旧式兵器で戦っていた」と言われる幕府軍は、主にフランスから最新兵器を購入していました。
幕府軍の武器は、薩長にそれほど劣った武器ではなかったのです。
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そこで、岩倉具視らが中心となり「誰も見たこともない」という「錦の御旗」を偽造して「官軍」となったのです。
この頃は、朝廷の立場が未確定でした。
ところが、鳥羽・伏見の戦いの頃には、朝廷がはっきりと新政府側につきました。
そして、奥羽列藩同盟を「賊軍(朝敵)」と指定したのです。
奥羽列藩同盟に加盟する
藩は、全員朝敵だ!
これは痛恨の一撃でした。
当時の武士にとって、賊軍・朝敵となることは「死よりも辛い」ほどの「最悪の汚名」だったのです。
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朝敵?!・・・
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名藩の仙台藩が、
賊軍・・・
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我らは、
天朝の朝敵なのか・・・
武士として生きる道だった藩士たち。
そして、武士とは「ただ戦う戦士」ではなく「高い精神性を有した特別な存在」だった時代。
この時代において、朝敵や賊軍の汚名は「耐え難い屈辱」を遥かに超えた「異常なダメージ」でした。
小学校4年生頃の後藤にとっても、それは「痛恨の一撃」だったのでした。
次回は上記リンクです。