前回は「後藤新平 5〜揺れる仙台藩〜」の話でした。

彰義隊
新政府軍に降伏した第十五代将軍 徳川慶喜。

将軍が降伏したからと言って、納得しない親徳川派の武士が多数残っています。
中でも、上野に立て篭もり新政府軍に頑強に対抗する姿勢を鮮明にした彰義隊。
薩摩も長州も、ただの反乱軍ではないか!
隊名の由来は、「義を彰らかにする」です。
なぜ、あいつらが「官軍」なのだ?
我々こそが、徳川家を支える「官軍」なのだ!
屈強の武士が立て篭もり、苦戦が想定されます。
大村益次郎登場
倒幕がほぼ見えてきた頃、長州総帥の桂小五郎(木戸孝允)は大いに焦ります。


このままでは、
薩摩の独壇場となってしまう・・・



倒幕の火をつけたのは、我が長州だ!



しかし、高杉も久坂も吉田も、
皆死んでしまった・・・



村田よ。
西洋の知識で、軍を指揮してくれ!





お任せを。
新政府軍と彰義隊の死闘
強力な武力を持つ彰義隊が上野に立て篭もります。
そして、新政府軍は桂(木戸)の強力な推薦により、村田(大村)が戦争の指揮を取ります。
この頃、新政府軍内部でも、権力闘争を含めて、人間関係がギクシャクしていました。





西郷は、
大嫌いだ
これは、「西郷大嫌い」の桂の影響もあります。
彰義隊と戦う布陣(戦闘配置)を決める際、村田は薩摩軍を「最も苦戦が予想される黒門」へ配置します。



薩摩軍は、黒門を攻めて下さい。



・・・・・
連戦で屈強の薩摩藩士にも、多数の死傷者が出ています。



薩摩藩士を皆殺しにする
つもりごわすか?



さよう。



・・・・・


彰義隊の戦闘力に苦戦するも、村田蔵六の冷静な采配とアームストロング砲で鎮圧します。


平和から戦争へ



平和だったのだが・・・
幕末は米国からペリーやハリスがやってきたり、英仏露などから様々な使節がやってきました。


とはいえ、江戸時代は、おおむね平和だったのでした。
庶民の暮らしは、現代よりもはるかに厳しいものでしたが、皆が平和な時代を過ごしていたのでした。



突然、大戦争が始まってしまった・・・
10歳の後藤が住んでいた仙台周辺で、大きな戦争が始まってしまったのです。
小学校4年生頃に、この「平和から戦争へ」という、極めて大きな変化。
この変化が、後藤のその後の人生にも、極めて大きな影響を与えます。