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後藤新平 4〜藩祖の存在〜|威人紀行

前回は「後藤新平 3〜強き意気〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
目次

仙台・伊達藩という特殊な藩

大抵の日本人なら知っている戦国大名 伊達政宗。

伊達 政宗(Wikipedia)

彼の知名度は、織田信長・豊臣秀吉と同程度と言っても良いほど、高い存在です。

今の世と異なり、「武士の世界」だった江戸時代。

「士農工商」という身分の序列があり、武士は最上位の立場に置かれていました。

そして、一時は「奥羽に覇を唱えた」伊達政宗および伊達家。

非常に軍事能力が高い伊達家は、特に非常に強力・独自の「鉄砲騎馬隊」を生みました。

藩祖の存在

当時、300の藩が別々の国のようであった江戸時代。

「別の国」と言っても日本語はある程度通じましたが、藩によって大きな特色がありました。

各藩、それぞれがカラーと個性を持っていました。

藩ごとに文化・言語・風習が多少なりとも異なり、それぞれのカラーがあったのです。

現代においても、大阪の方が思い切り大阪弁で話したら、東京の方が「分からない」こともあります。

中でも、強烈なカラーと個性を持っていたのが薩摩藩です。

そのカラーと共に、非常に大事な存在が「藩祖」です。

「藩祖=藩の先祖」であり、各藩にとっては「神様」に似た存在でした。

まさに「藩を生み出した人物」であり、初代藩主です。

倒幕軍の薩摩藩・長州藩にも、もちろん藩祖がいます。

島津藩は島津忠恒(実質は島津義弘)、長州藩は毛利秀就(実質は毛利輝元)でした。

島津 義弘(Wikipedia)

特に、戦国時代において雷鳴轟かせた島津義弘は、「軍神」上杉謙信に匹敵するほどの闘将です。

島津は徳川に従うつもりはない!

本当は、島津を取り潰したいが・・・

あの軍団は強すぎる・・・

そして、薩摩まで遠征するのは、
大変すぎる。

多数の優れた武将が登場し、賑わいを見せた戦国時代。

藩が成立した「徳川幕府」開始の頃には、加藤清正・福島正則・黒田長政などの著名な武将がいます。

徳川 家康(Wikipedia)

加藤清正は非常に優れた武将だが・・・

豊臣と縁が強すぎ、徳川よりも豊臣を優先し続けた。

そんな奴は、徳川の世には、
いらない。

しかし、徳川家康に睨まれていた加藤清正の加藤家。

家康より早くに加藤清正は死去し、家康が1615年に亡くなって、間も無く加藤家は、取り潰しとなります。

加藤 清正(Wikipedia)

江戸幕府開府の際に存在した藩の中でも、取り潰しになった藩も多かったのです。

その中、幕末まで残った藩で「藩祖が著名人」の藩は、非常に少なかったのです。

幕府側では、大老となった井伊直弼の彦根藩祖 井伊直政が有名です。

井伊 直政(WIkipedia)

非常に有能で優れた武将であった井伊直政ですが、伊達政宗と比べると知名度・能力共に落ちます。

「藩の精神的支柱」とも言える、非常に大きな「藩祖」という存在。

私は、一時とはいえ、奥州に
覇を唱えた!

伊達政宗は、戦国最強の人物の一人だ!

「藩祖」の中で知名度の高い武将は、様々いますが、伊達政宗は「別格」です。

その点において、伊達政宗を藩祖に持つ仙台藩は「別格」だったのでした。

仙台藩は名門なんだぞ!

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