受験に向けて不安な気持ちの解消法〜二宮尊徳「小積もりて大となればなり」・己の信念を貫く姿勢・時代の境目と金次郎・小さいことを積み重ねる大事さ〜|中学受験・高校受験・大学受験

前回は「合格判定・偏差値が悪い時・受かる子の考え方〜ベル「精神は一点に集中」・本番での心構え・太陽光線を一点に集める・気持ちを切り替える〜」の話でした。

目次

小積もりて大となればなり

二宮尊徳(Wikipedia)

今回は二宮尊徳です。

薪を背負って歩きながら本を読んでいた少年 二宮金次郎は学問に励み、豊富な農業知識を蓄えました。

江戸時代の農政家・思想家である二宮尊徳。

報徳思想を唱えて、農村を復興させる考えを懸命に提案しました。

報徳思想とは、文字通り「をもっている」という考え方です。

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江戸幕府第十代将軍:徳川家治(Wikipedia)

二宮尊徳が生まれた1787年は、まだまだ徳川幕府の力が非常に強力だった時代です。

二宮が生誕した時の将軍は江戸幕府第十代将軍 徳川家治でした。

もうすぐ1800年となり「幕末」に向かってゆく時代ですが、この頃は幕府がかなりのパワーを持っていました。

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側用人 田沼意次(WIkipedia)

田沼よ!
任せたぞ!

ははっ!
私めに全てお任せを!

徳川家治は、田沼意次を側用人に登用して様々な改革を行いました。

印旛沼を
干拓するのだ!

ロシアとの貿易に備え、
蝦夷地(北海道)を開拓するのだ!

政策の目の付け所は、非常に良かった田沼意次。

政治家としての能力は一流でしたが、賄賂政治が行き過ぎました。

とにかく、
田沼様には賄賂をたくさん贈らねば・・・

賄賂をくれる人には
便宜を図ってあげましょう!

あまりに目につく賄賂政治のために、田沼意次は後に一気に失脚しました。

関東各地の農村再生に尽力した二宮尊徳は、大事な言葉を残しています。

大事をなさんと思はば、
小なることを怠らず勤むべし。
小積もりて大となればなり。

二宮尊徳(金次郎)の言葉

大事をなさんと思はば、
小なることを怠らず勤むべし。
小積もりて大となればなり。

己の信念を貫く姿勢:時代の境目と金次郎

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江戸幕府第十一代将軍:徳川家斉(Wikipedia)

二宮尊徳が成長するにつれ、将軍は第十一代将軍 徳川家斉が就任しました。

田沼の賄賂政治は
けしからん!

幕閣(中央政府)に金品が飛び交った「田沼賄賂政治」に怒り心頭だった将軍 徳川家斉。

田沼は
クビ!

将軍に絶対的権限がある中、「田沼中心に回っていた」ほどの権力を持っていた田沼は、一発で終わりました。

もっとマシな
奴はいないのか?

やはり身内の
しっかりした人物が良い!

こうして、将軍家斉は御三家や御三卿の人物を探します。

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御三家:徳川葵紋(Wikipedia)
御三家・御三卿

・御三家:尾張・水戸・紀伊徳川家

・御三卿:田安・一橋・清水徳川家

そして、将軍家斉は一人の人物に目をつけました。

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老中 松平定信(Wikipedia)

当時、白河藩主であった松平定信。

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江戸幕府第八代将軍:徳川吉宗(Wikipedia)

松平定信は第八代将軍 徳川吉宗の孫であり、一時は御三卿の田安家に行く予定でした。

若い頃から評判が非常に良く、清廉な感じだった松平定信。

我が徳川に近く、
なんと言っても、吉宗様の孫!

定信、
老中となって政治を行え!

私に
お任せを!

松平定信は1787年、28歳の若さで老中に就任します。

よっし!
頑張るぞ!

まだまだ若い定信には、一つの理想像がありました。

祖父・吉宗に倣って
改革を行う!

吉宗将軍の享保の改革を倣って、寛政の改革に踏み切った定信。

とにかく直前の「田沼賄賂政治」を清めて、「正しき政治」を目指した定信。

大きな成果をあげた寛政の改革でしたが、基本は

とにかく
倹約!

でした。

そしと、各方面において、大きな改革を一気に行いました。

最初は、

松平定信様の
寛政の改革って、いいよな!

私も寛政の改革は
とても大賛成!

ところが、「行きすぎた倹約」は途中から周囲・民衆から反発を受けました。

倹約ばっかりで、
つまらないね・・・

倹約ばかりだと、
制約が強すぎて・・・

ついには、

白河の清きに魚のすみかねて・・・
もとの濁りの田沼こひしき・・・

と言う歌が生まれました。

この歌の意味は、

白河藩主だった松平定信の「清すぎる水」より、
ちょっと濁っていた田沼の方がいいかもね・・・

と言う意味です。

河と沼が、同じくらしの水に関係するのもポイントです。

頭が良く、国内外の政策で非常に際立った成果を挙げた松平定信でしたが、失脚してしまいました。

・・・・・

こうして世の中が揺れ動いていた時代。

幕府内部で右往左往している中、飢饉が度々起こり、民衆たちは、

食べるものが
ない・・・

という事態に度々陥りました。

こうした危機的状況の中、農政家であった二宮尊徳は、

このようにすれば、
収穫が増えて、食べ物が増えます!

先進国の中で異常に低い食料自給率の日本ですが、「飢える」可能性は非常に低いです。

ところが、江戸時代は「飢える」ことは日常茶飯事でした。

この中、当時は先端的な考え方であった「経世済民」を唱えました。

経世済民こそが、
根幹になります!

経世済民とは「め(おさめ)、を救する」と言う民衆中心の考え方です。

さらに、この言葉から「経済」という言葉が生まれました。

日本の経済を
立て直さなければ!

日常で、よく使われる経済という言葉は「民」から生まれた言葉です。

若い頃から一生懸命勉強して、独自の農政学を生み出したとも言える二宮尊徳。

たくさんの知識を吸収して、大いなる知恵に飛翔させた人物でした。

小さいことを積み重ねる大事さ

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小なることを怠らず勤むべし。
小積もりて大となればなり。

小さなことを積み重ねて、大きな成果を得るという意味です。

若き頃から、知識を蓄えることに必死だった二宮尊徳。

なるほど・・・
これはこういう風に発展できないかな・・・

大いなる知識を得て、それを知恵に変えて大きな貢献をしました。

暗記するのも苦労がありますが、小さな知識を積み重ねてゆきましょう。

そして、その知識がやがて大きくなるにつれて知恵に変わってゆくこともあるでしょう。

社会も理科もたくさんのことを覚える必要がある中学受験・高校受験・大学受験の受験生。

本人たちは、本当に大変です。

持っている参考書等のちょっとした「細かな知識」も出来るだけ習得しましょう。

「単なる丸暗記」や「替え歌の暗記」も場合によっては良いですが、「理解して暗記」すると良いでしょう。

「理解して暗記・習得」すれば、「知らないこと」が出題されても出来る可能性が高まります。

二宮の「小積もりてとなれば」を一つの目標として、着実に学ぶと「大いなる結果=合格」につながるでしょう。

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