昔は田舎だった江戸〜鎌倉幕府と江戸・日本の中心東京と江戸・江戸の街づくりと太田道灌・応仁の乱から戦国時代へ・権力失う室町幕府〜|江戸から東京へ1・室町時代

前回は「日本の中心の東京と京都〜明治新政府による「新しい日本像」〜」の話でした。

目次

日本の中心東京と江戸:江戸の街づくりと太田道灌

江戸=東京が中心・重心の日本列島(新教育紀行)

昔の日本の国名は、「山城(京都)中心」の合理的発想で決められていました。

現在の都道府県の名前の多くは、その地域に由来のある名前・以前の藩・藩庁の名前などによります。

今回は「江戸・東京の歴史」の話です。

「東京一局集中」と言われる日本。

関東地方において、横浜のような大都市、様々な魅力的な街があります。

都市としての発展度・重要性においては、東京が群を抜いた存在です。

現在の東京、かつての江戸の街づくりが進むのは、1457年に、太田道灌が江戸城を築いたことがキッカケです。

太田道灌(Wikipedia)

太田道灌が江戸を選んだ理由。

それは、「江戸が発展しそうだから」ではありませんでした。

当時の勢力図から、

江戸に城を築けば、
敵に睨みをきかせられる!

と判断したからです。

現在、開けた平地で「発展しやすい」土地である東京=江戸は、かつては湿地帯でした。

「平地の湿地帯」の関東平野は、農業には向いていました。

ところが、川の氾濫も多かったため、商業には向いてなく「都市として発展しにくい」場所だったのです。

えっ!
そうだったの?

意外に
感じる・・・

応仁の乱から戦国時代へ:権力失う室町幕府

京が中心・重心の日本列島(新教育紀行)

太田道灌が活躍する末期には、山城(京都)では応仁の乱が勃発し、日本中が戦場になります。

そして、戦国時代が始まります。

当時、室町幕府はもはや大きな力を持っていませんでした。

第十三代室町幕府将軍 足利義輝(Wikipedia)

室町幕府の将軍たちは、すでに力を失い、京都周辺は三好氏たちが握っていたのでした。

そして、第十三代将軍 足利義輝の頃には、「将軍は京都から追い出される」という異常事態が発生しました。

三好・松永に、
京から追い出された・・・

その後、足利義輝はなんとか京都へ戻るも、今度はなんと、

三好、松永が
攻め込んできました!

なんだと・・・

やむを得ん!
戦う!

三好と松永が「足利将軍を殺すために攻め込んでくる」事態に発展しました。

ここで、剣豪だった将軍義輝は、自ら剣を振るって戦いますが、

うぐっ・・・・・

三好・松永の将兵に殺されるに至りました。

昔は田舎だった江戸:鎌倉幕府と江戸

鎌倉幕府初代将軍:源 頼朝(Wikipedia)

力を失ったとはいえ、日本の首都であり、幕府のある京・山城。

対して、その前政権・鎌倉幕府は鎌倉にありました。

そのため、室町幕府としては「前政権のあった相模(鎌倉)を重視する」必要がありました。

そして、「鎌倉公方」という「関東の王」を作ります。

そして、「鎌倉公方」を補佐する役として、幕府の「管領」に因んで特別に「関東管領」という役職を作ります。

関東管領となった上杉家の本拠地は当時、上野(群馬県)にありました。

そのため、当時の関東の重要都市は「相模(鎌倉)か上野」でした。

そして、当時は武蔵(江戸)は「大して重要ではない」存在だったのです。

そして、戦国時代に入り、ある大名が急速に勢力を伸ばします。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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