前回は「「あなたの意見」をハッキリ書く姿勢〜「知っていること」と意見・日本海海戦勝利の大きな理由・戦争に勝った理由を考える・日本海海戦を戦った将兵をイメージ〜」の話でした。
問題3(5)(6)
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時事問題と世界情勢と歴史を考える:北方領土問題と日ロ関係
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今回は(6)を考えましょう。
まず、日露の最大の問題は「北方領土問題」です。
・北方領土問題
意見に関しては、文字通り「正解はない」ので自分の意見をハッキリ書きましょう。
ただ、入学試験という性質上、こういう「意見を問う」問題は「ハッキリ」ですが「極端な意見」はやめましょう。
あまり極端な意見を書くと、
ちょっとこの生徒の考え方は
危険かもしれない・・・
危険視される可能性があるので、「ある程度は穏便なライン」が良いでしょう。
時事問題は、ほとんどの事柄が「歴史的背景」を持ちます。
SDGsの話は、地球温暖化などの問題が大きな理由ですが、それもまた世界の歴史と関係があります。
そのため、時事問題や現代起こっている事柄に対しては、それらを「単独の事柄(事象)」とは考えない方が良いでしょう。
ロシアによるウクライナ侵攻は非常に複雑な背景・歴史があり、全てを理解するのは不可能です。
むしろ、この件で「全てを理解している」方は存在しないでしょう。
「部分的」でも良いので、「分かること」をしっかり理解しておきましょう。
江戸時代後期から、日本とロシアは実に様々な交渉や関係がありました。
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現代、日本にとって最大の同盟国であり「その存在抜きには現代日本が語れない」米国。
第二次世界大戦後に、日本が「米国に単独占領された」歴史があります。
そのため、日本の海外に対する視線は、どうしても「米国中心」となり、「米国一辺倒」とも言えます。
江戸時代末期には、「ペリー・ハリスが中心」な様に感じられます。
実はロシア・フランス・大英帝国などは、非常に早い段階から徳川幕府と交渉を持ち、実力行使にも出ていたのです。
中でも、ロシアは当時明確な日本領だった島々に「突然攻撃した」事実もあります。
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その後、日本は明治維新となり急速な近代化が進みました。
実は徳川幕府も「近代化を推進していた」のですが、維新後は打って変わったように「近代化へ爆走」したのです。
そして、海外から見たら「異常なスピードで近代化した」日本の陸海軍。
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そして、日清・日露戦争で日本は勝利して、「世界五強国」の一角に躍り出ました。
まさに、欧米諸国から見たら、日本(大日本帝国)は「躍り出てきた」存在でした。
ソ連のスターリンとドイツのヒトラー:独ソ戦と日本
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日露戦争後、ロシアは崩壊してソビエト連邦が成立します。
実は、ロシア崩壊の一つの原因が「(ロシアにとって)露日戦争敗北」でした。
その後、当時一部では大絶賛された「共産主義の本拠地」としてソビエト連邦が成立しました。
ソビエト連邦において、強力な権限を握ったスターリン 書記長。
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ドイツではナチスが政権を握り、ヒトラーが総統に就任して、強権を握りました。
米国を仮想敵国とし、陸軍が極めて親ドイツだった日本。
日本はドイツと1936年に軍事同盟である「日独防共協定」を締結しました。
さらに、ナチスドイツと親しくしてゆく日本陸軍。
対して、日本海軍は「さらなるドイツとの同盟に反対」の姿勢でした。
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ドイツと更なる強固な同盟を
結んだら、本当に米国と戦争になる・・・
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米国には
絶対に勝てん!
陸海軍で揉めている日本を尻目に、ドイツはソ連と1939年「独ソ不可侵条約」を締結しました。
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「天敵」と言われ「不倶戴天」の仲と言われたドイツとソ連の軍事同盟は、世界中が驚愕しました。
しかし、もともとドイツもソ連も「同盟を遵守する」気持ちは、さらさらありませんでした。
これで、ドイツと同盟を結べば、
ソ連もこちらの陣営だ!
陸軍はさらに勢いを増して「ドイツとの軍事同盟推進」を強固に進めます。
最終的には、海軍側が「押される形」で日本は「ドイツとの同盟」の方針を決定します。
そして、1940年9月「日独伊三国軍事同盟」締結となります。
1941年6月には、ドイツとロシアの間で「独ソ戦」が始まり、両国の将兵は多数の犠牲者が出ました。
歴史的経緯から意見を述べる姿勢:ヤルタ会談と連合国の密約
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その後、「対米戦」が現実化してきた日本は、ソ連と1941年4月「日ソ不可侵条約」を締結しました。
真珠湾奇襲攻撃の8ヶ月前のことでした。
そして、日本は対米戦に突入し、開戦後半年ほどは破竹の勢いで、勢力を拡張しました。
その後、ミッドウェー海戦での大敗北をきっかけに、米国に押される形となります。
1945年には日独の敗北は明らかになり、1945年5月にドイツは降伏し、ヒトラーは自殺しました。
その後、日本は「世界中を敵に回して戦う」事態となります。
米国・英国・ソ連などは、日独などの枢軸国側の旗色が悪くなった頃から、秘密会議を重ねてきました。
そして、1945年2月に開催された米国・英国・ソ連によるヤルタ会談で、「日独をどうするか」が話し合われます。
ここで、スターリンは、日本との「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し、日本に参戦する条件を出します。
それは、当時に本領だった「樺太・千島列島等のソビエト連邦への帰属」等でした。
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我がソビエト連邦は、
対日参戦にあたり、千島列島を頂きたい・・・
とにかく日本に大ダメージを与えて、戦争を終わらせたかったルーズベルト大統領・チャーチル首相。
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あまりソビエトの力が
強くなるのは望まないが・・・
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まあ、Japanの
領土だからいいか・・・
彼らは、スターリンの申し出に応じます。
そして、ソビエトは1945年8月8日に一方的に日ソ不可侵条約を破棄して、
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Japanに
トドメを刺すのだ!
日本軍の敗色が濃厚になる頃、米国は日本にトドメを刺しにきました。
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1945年8月6日の広島への原爆投下です。
凄まじい爆弾が
広島に落とされたらしい。
広島が爆弾一発で
吹っ飛んだって?!
落とされた日本側は驚愕し、
もう
ダメだ・・・
「もう終わり」と思っていた日本に対し、同年8月9日、さらに長崎に原爆が投下されました。
そして同日、ソ連は大挙して満州へ攻め込んできたのです。
・・・・・
・・・・・
もはや誰の目から見ても「日本が戦争続行するのは不可能」な事態に至りました。
そして、日本はポツダム宣言を受諾して、同年8月15日、日本敗戦が決定となりました。
降伏した日本に対して、ポツダム宣言などの協定・条約には、千島列島の話は一切明記されていません。
それとは全く別の「ヤルタ密約」の約束をソ連は実行し、現在に至ります。
日露の大問題である「北方領土問題」の経緯は、このようなことでした。
状況がどうであれ、「日本とソ連・ロシアの間での取り決め」であれば、やむを得ません。
これは「米英ソの密約」で「勝手に決められた」ことで、北方領土はロシアが実効支配しています。
これが、「日本が受諾できる状況ではない」のは、当然の論理でしょう。
ただし、敗戦国であった日本には、それを主張する力がなかったのです。
・歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島などをソ連が取得したのは、ソ連と米英の秘密協定によることに過ぎず、当事者である日本は蚊帳の外であったため、全く受け入れる事が出来ない。
・ソ連は中立の立場であり、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したことは国際政治の通念上許されるべきことではなく、
歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島をソ連が一方的に日本から奪取した事実は認められない。
その後、経済力をつけて再度「強国の一角」となった日本ですが、北方領土問題はずっと「棚上げ」状態です。
ウクライナ戦争を見ても、ロシアが北方領土を返す気が「さらさらない」のは明確です。
以上のようなことを、中学受験生は全て知っている必要はありません。
ここで「ヤルタ密約」は知っていただき、その上で「自分の意見」を書きましょう。
これは「各人の意見」ですから、解答例を掲載しません。
「自分の思うところ」をハッキリ書くようにしましょう。
次回は下記リンクです。