記述・考える問題対策 2〜江戸期の藩校・私塾・松下村塾・適塾〜|中学受験・高校受験・大学受験・社会

前回は「記述・考える問題対策 1〜西郷隆盛・大久保利通・薩摩同一町内出身の威人たち〜」の話でした。

左上から時計回りに島津斉彬、緒方洪庵、上杉鷹山、吉田松陰(Wikipedia)

首都圏の中学受験の山場である2月1日は、いよいよ明後日となりました。

体調第一に、最後まで頑張ってゆきましょう。

今回は、受験に馴染み深い学校の話です。

江戸時代の藩校・私塾(図解幕末史:インフォレスト)

江戸時代に百花繚乱のように、様々な藩校・私塾がありました。

これらの藩校・私塾以外にも、無数の寺子屋があり、江戸時代の教育が支えられていました。

明治時代に「西洋に追いつけ」と強力に推進された教育。

版籍奉還・廃藩置県等の「国家の姿を変える」ことと同程度に重要なことでした。

明治維新成立後、まずは「日本の国家の根幹」を変えることを最優先した結果、学校令が1886年に発布されました。

明治維新成立後20年ほど掛かりました。

その間、廃藩置県・廃刀令など「江戸時代から国家機構を抜本的に変える」過程があり、西南戦争などもありました。

学校令によって小学校から大学が設立されましたが、これらの学校の起源に藩校・私塾・寺子屋があると考えられます。

なんでも「0から作る」のは大変で、「既存の教育機関を活用する」ことは非常に合理的でした。

そして、冒頭の方々がそれぞれの藩校・私塾の設立・運営に大きく関わりました。

ここで一つ大事なことは、「松下村塾といえば吉田松陰」ですが、吉田松陰は松下村塾設立者ではありません。

松下村塾設立者は、吉田松陰の叔父の玉木文之進です。

おそらく、吉田松陰は

私塾を作って、
子弟に教えたい。

しかし、最初から私塾を
作るのは大変だ・・・

叔父さんが作った
松下村塾を使わせてください。

ということになったのでしょう。

武蔵中学・高校(新教育紀行)

学校というと、上の写真のような「教室で教えられる」形式が定着しています。

江戸時代の教育は、実に多様だったと考えられます。

藩校の方が公的機関であるので「格としては上だった」と考えられますが、私塾の勢いも大変なものでした。

下記のような問題を少し考えてみましょう。

考える問題 2

1.上記の各地の江戸時代の藩校・私塾から一つ選び、知っていることを述べてください。

2.薩摩藩の藩校「造士館」という名前は、なぜこのような名前になったのか、あなたの意見を含め述べて下さい。

3.もし、あなたが新しい藩校・私塾を設立する場合、どのような名称にしますか。

 漢字2~4文字で名称を考え、その名称への思いを述べて下さい。

 江戸時代にあった藩校・私塾と同じ名称でも良いですが、ない名称の方が望ましいです。

1は松下村塾、適塾を選ぶ方が多いでしょう。

松下村塾卒業生:左上から時計回りに高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、前原一誠(Wikipedia)

適塾を選ぶ方もいるでしょう。

適塾卒業生:左上から時計回りに大村益次郎、福沢諭吉、橋本左内、大鳥圭介(Wikipedia)

2は諸説ありますが、「士(もののふ)を造る館」です。

いかにも薩摩藩らしい名称です。

2の答え

a.「士(もののふ)を造る館」が、語源であると考えられる

b.「武士らしくあること」を諸藩の中でも際立って大事にしていた薩摩藩の考えが表れている

c.武士の数が諸藩と比較して際立って多かった薩摩藩は、武士を養成することが最優先だった

以上のようなことが考えられます。

3に関しては、こういう問題が出題される可能性は少ないですが、「自分らしさ」を表現するには良いと思います。

色々と考えてみましょう。

大事なことは、こういう「自分らしさを表現する」記述問題は、ぜひやるようにしましょう。

ちょっと
分からない・・・

難しい・・・

とは考えずに、

僕の考えを
書けば良いんだ!

私は
こう考える!

と積極的に書いてみましょう。

そういう「強い積極性」こそが合格の扉を開くでしょう。

新教育紀行

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