ポツダム宣言へ追加絶対条件提示へ〜絶対譲れなかった「国体の護持」・曖昧模糊とした大日本帝国の主権・「間違いのないように取り運ぶ」手続き〜|ポツダム宣言から敗戦の真相20

前回は「ポツダム宣言受諾決意した鈴木首相〜ソ連戦車部隊「セキを切って」侵攻・本土決戦想定で弱体化の関東軍・最高戦争指導者会議と軍部〜」の話でした。

目次

曖昧模糊とした大日本帝国の主権:「間違いのないように取り運ぶ」手続き

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左上から時計回りに、鈴木貫太郎首相、木戸幸一内大臣、迫水久常内閣書記官長、東郷茂徳外務大臣(国立国会図書館、別冊歴史読本 日本帝国最期の日、Wikipedia)
鈴木貫太郎

ここでポツダム宣言受諾という形式に
よって終戦することに決めた。

鈴木貫太郎

書記官長は、それぞれの段取りを考えて、
間違いのないように取り運んでくれ。

1945年8月9日、広島への原爆投下に続き、ソ連が一方的に宣戦布告し、日本に攻め込んできました。

日付出来事
7月26日連合国、日本政府へポツダム宣言通告
7月28日日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表
8月6日広島へ原爆投下
8月8日ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告
8月9日長崎へ原爆投下
ソ連軍、日本へ侵攻開始
8月14日日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知
8月15日昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知
9月2日ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印
1945年:敗戦(終戦)前後の状況

ここに至り、鈴木総理はポツダム宣言受諾を正式決定し、昭和天皇の内諾を得ました。

新教育紀行
昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

その通り(ポツダム宣言受諾)で
良いだろう・・・

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法

戦前の大日本帝国憲法では、「主権は天皇にある」ことが明記されていました。

そのため、「昭和天皇が決定したこと」は「大日本帝国の決定」となる、とも言えました。

ところが、戦前の日本の政治機構はそうではなく、「内閣が正式決定の上、天皇の裁可」が必要でした。

大日本帝国憲法に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

諸外国と異なり、「国家としての意思決定」に異常に時間がかかる国が大日本帝国でした。

「国家としての意思決定」のプロセスが、非常に曖昧であり不透明であった国が、昔の日本という国家でした。

鈴木首相は、

鈴木貫太郎

間違いのないように
取り運んでくれ。

「間違いのないように」取り運ぶことを、迫水内閣書記官長に伝えました。

この一言にこそ、当時の大日本帝国という国家の姿が凝縮されていると、筆者は考えます。

ポツダム宣言へ追加絶対条件提示へ:絶対譲れなかった「国体の護持」

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

ソ連参戦以降の大日本帝国政府の動きを、迫水久常「大日本帝国最後の四か月」は詳しく記録しました。

大日本帝国最後の四か月

まず、最高戦争指導会議を開き、
ついで閣議を招集する手はずを整えた。

大日本帝国最後の四か月

同じ頃、東郷外相は、
海軍省に米内海相を尋ね、

東郷茂徳

ポツダム宣言を早急に受け入れて
終戦にすべきである。

大日本帝国最後の四か月


説明していた。

大日本帝国最後の四か月

米内
海相は、

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに阿南惟幾 陸軍大臣、米内光政 海軍大臣、豊田副武 軍令部総長、梅津美治郎 参謀総長(国立国会図書館,Wikipedia)
米内光政

全く
同じ意見である

大日本帝国最後の四か月


答えた。

鈴木総理がポツダム宣言受諾を決意し、昭和天皇が同意した上で、まず米内海相の同意を取り付けました。

軍部の中で、早期から和平を主張していた米内海相。

わざわざ説明しなくても、米内海相は「ポツダム受諾」に同意すると見込まれました。

ここで、鈴木首相と東郷外相は、事前にきちんと米内海相に説明し、同意を取り付ける手順を取っていました。

いわば「根回し」したのでした。

最高戦争指導者会議

・出席者は内閣総理大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・軍令部総長

・必要に応じ、国務大臣、参謀次長、軍令部次長など出席

・幹事は内閣書記官長・陸海軍軍務局長

・大本営と政府の一元化のため、1944年に発足

大日本帝国最後の四か月

(8月10日)午前十時半、最高戦争指導会議の
構成員だけによる会議が開かれた。

大日本帝国最後の四か月

一室に閉じこもった構成員たちは、
なかなか部屋から出てこなかった。

大日本帝国最後の四か月

会議が始まってから三時間ほど経った
午後一時半、一旦休憩に入った。

大日本帝国最後の四か月

結論は
まだ出ていないようだった。

本来ならば、

鈴木貫太郎(架空)

私は、総理として、
ポツダム宣言受諾に決めました。

鈴木貫太郎(架空)

そして、このことは昭和天皇の
内諾を得ています。

鈴木貫太郎(架空)

それでは、皆さん、
ポツダム宣言受諾に向けて、進めましょう!

このように鈴木首相が「一方的に大臣・軍部に通告」すれば済む、と思われることが多い大日本帝国の統治。

ところが、事態は全く異なり、まずは「最高戦争指導者会議の同意」が必要でした。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

この点を考えると、当時の内閣総理大臣の権限は「他の大臣と同格」とも言える立場でした。

大日本帝国最後の四か月

体勢はポツダム宣言受諾へ
傾いていたらしいが・・・

大日本帝国最後の四か月

国体の護持、戦争犯罪人の処罰、
武装解除の方法、占領軍の進駐問題などについて・・・

大日本帝国最後の四か月

それぞれの意見が
食い違った。

大日本帝国最後の四か月

第一の国体護持については
六人とも満場一致で・・・

大日本帝国最後の四か月

絶対条件として
取り上げることが決まった。

「日本に対する無条件降伏」と誤解されることが多いポツダム宣言。

ところが、米国主導の連合国は、明確に「日本に対する諸条件」を明記していました。

ポツダム宣言における連合国条件

1.日本国民を騙して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者たちの権力および勢力は、永久に除去

2.連合国が指定する日本国領域内の諸地点は占領

3.日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定

4.日本国軍隊は、武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰して平和的かつ生産的な生活を営む

5.一切の戦争犯罪人には、厳格な処罰

6.民主主義指向の再生および強化に対する一切の障害を除去

7.言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重

8.自国の経済を支え、正当な現物賠償の強制取立てを可能とするような産業の維持

9.将来的には世界貿易関係への参加

10.平和指向かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本から撤収

これらの条件に加えて、「国体護持は絶対条件」とすることに決めた大日本帝国政府・軍部。

連合国に対して、大日本帝国から「更なる条件を提示」することに決定しました。

しかも「絶対条件」として、です。

つまり、連合国(主として米国)が「国体護持を条件として受け入れない」ならば、戦争続行となります。

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、蒋介石総統、鈴木貫太郎首相(国立国会図書館、Wikipedia)

この大日本帝国の「絶対条件提示」に対して、連合国はどう答えるのでしょうか。

次回も、迫水「大日本帝国最後の四か月」を読み進めます。

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