前回は「迫水久常「からだ中の血液が逆流」〜政府メディア統括総本部同盟通信社・「連合国への義務」の大義名分得たソ連・うまく利用された「黙殺=拒否」〜」の話でした。
ソ連戦車部隊「セキを切って」侵攻:本土決戦想定で弱体化の関東軍

1945年8月8日、ソ連は一方的に「中立条約が有効」であった大日本帝国に宣戦布告しました。
| 日付 | 出来事 |
| 7月26日 | 連合国、日本政府へポツダム宣言通告 |
| 7月28日 | 日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表 |
| 8月6日 | 広島へ原爆投下 |
| 8月8日 | ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告 |
| 8月9日 | 長崎へ原爆投下 |
| ソ連軍、日本へ侵攻開始 | |
| 8月14日 | 日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知 |
| 8月15日 | 昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知 |
| 9月2日 | ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印 |
このことを翌日9日に、鈴木総理に迫水内閣書記官長は報告しました。
鈴木貫太郎とうとうくるものが
きましたね・・・・





午前九時五十五分から拝謁、
十時半少し前、総理は官邸へ帰ってきた。



その時の模様を鈴木総理は、その著「終戦の表情」の中に
次のように書き付けている。


ここで、「大日本帝国最後の四か月」は、鈴木貫太郎の「終戦の表情」から引用します。
少し長いので、抜粋してご紹介します。



ソ連の対日宣戦布告が
なされたということであった。



余は、瞬間、満ソ国境をセキを切ったように
侵攻してくる戦車群が想像され・・・



満洲の守備兵が本土決戦の都合上、
その重要な部分を内地へ移動していることも考えた。


当時、形式的には「独立国」だった満洲国(満州帝国)。
実は満洲国の政治の実権は全て日本人が握っていたため、事実上は「日本の領土」でした。
現在、日本とソ連は「海を隔てた隣国」ですが、当時は満洲において「陸の隣国」でした。
ソ連が対日宣戦布告したら、まず真っ先に満洲に攻め込んでくることは、当時常識でした。
満洲には、関東軍という特別な部署が設けられ、強力な帝国陸軍が常駐し続けました。
ところが、「本土決戦」のために内地(日本本国)に関東軍の大部分を引き抜きました。
その結果、満洲の軍備は、かなり弱体化していました。
つまり、「本土を固めた」ために、「弱点」となってしまった満洲。
その満洲に、ソ連が大挙して攻め込んでくることになりました。
本土決戦に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
ポツダム宣言受諾決意した鈴木首相:最高戦争指導者会議と軍部





このままソ連の進攻を迎えたならば、
二ヶ月は持ちたえ得ないだろうことも考えた。



そして、陛下のおぼしめしを
実行に移すのは、今だと思った。



差し当たって、本土決戦に導くか、
降伏に進むか、この二つの道があったが・・・



大勢はもちろん降伏以外には
考えられない。



ポツダム宣言を受諾すべきであるということは、
余がその宣言を一読した折から・・・



内心検討を重ね、全く
決心していた事柄である。
ここで、鈴木首相は、少し違和感を感じる言い方をしています。



ポツダム宣言を受諾すべきであるということは、
一読した折から、全く決心していた事柄である。
ポツダム宣言を見た瞬間から、「受諾すべき」と考えたと告白する鈴木首相。
これがどこまで本心か、は不透明な点がありますが、少なくとも一部は本音と考えます。
ところが、



ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。



あくまで戦争遂行に
邁進する。
このような表現であったことが、「原爆投下+ソ連宣戦布告」に繋がってしまったのもまた事実です。
この辺りは、多少「鈴木首相が自己擁護している」と考えて良いでしょう。



官邸へ戻ってきた総理は、
いつもに比べて重い足取りを見せた。



私を呼んで、次のように
言った。



今、陛下に詳しいご報告を
申し上げてきた。



陛下のおぼしめしも
伺ってきたので・・・



ここでポツダム宣言受諾という形式に
よって終戦することに決めた。



書記官長は、それぞれの段取りを考えて、
間違いのないように取り運んでくれ。



私は、その頃の制度に従い、国家の意思を
決定するのに必要な手続きを順次取ることにした。



まず、最高戦争指導会議を開き、
ついで閣議を招集する手はずを整えた。
現代ならば、「まずは閣議」ですが、当時は「その前に最高戦争指導者会議」開催が必要でした。
・出席者は内閣総理大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・軍令部総長
・必要に応じ、国務大臣、参謀次長、軍令部次長など出席
・幹事は内閣書記官長・陸海軍軍務局長
・大本営と政府の一元化のため、1944年に発足
最高戦争指導者会議は、上のような組織であり、軍部の影響が強いです。
構成員である六名のうち、四名が軍部関係者であった最高戦争指導者会議。


当時は、政府と大本営が「個別に権限を持っていた」国家体制だった大日本帝国。
| 職名 | 役職 |
| 参謀総長 | 帝国陸軍の最高指揮権(統帥権)のトップ |
| 軍令部総長 | 帝国海軍の最高指揮権(統帥権)のトップ |
| 陸軍大臣 | 帝国陸軍の軍政のトップ |
| 海軍大臣 | 帝国海軍の軍政のトップ |
戦争中であるからには、とにかく「軍部と政府が円滑に意思疎通」が必要でした。
そのために設置された「最高戦争指導者会議」にて、ポツダム宣言受諾目指すことにした迫水久常。
ここから、迫水たちの更なる奮戦が続きます。


