戦前の軍隊教育「いよいよだめになったら、舌を噛み切って自決しろ」〜事実上「大本営・軍部のトップ」梅津美治郎参謀総長・陸士の先輩後輩〜|ポツダム宣言から敗戦の真相21

前回は「ポツダム宣言へ追加絶対条件提示へ〜絶対譲れなかった「国体の護持」・曖昧模糊とした大日本帝国の主権・「間違いのないように取り運ぶ」手続き〜|ポツダム宣言から敗戦の真相20」の話でした。

目次

事実上「大本営・軍部のトップ」梅津美治郎参謀総長:陸士の先輩後輩

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

1945年8月10日、最高戦争指導者会議が開催され、

大日本帝国最後の四か月

第一の国体護持については
六人とも満場一致で・・・

大日本帝国最後の四か月

絶対条件として
取り上げることが決まった。

「国体護持は絶対条件」と連合国に申し入れることを決定しました。

「無条件降伏」ではなく「有条件降伏」であったポツダム宣言に対して、更に条件追加を決定しました。

大日本帝国最後の四か月

第二の戦争犯罪人の処罰に
ついて、梅津参謀総長は次のような意見を述べた。

職名役職
参謀総長帝国陸軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
軍令部総長帝国海軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
陸軍大臣帝国陸軍の軍政のトップ
海軍大臣帝国海軍の軍政のトップ
大日本帝国陸海軍のトップ四名

梅津参謀総長は、帝国陸軍トップでした。

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに阿南惟幾 陸軍大臣、米内光政 海軍大臣、豊田副武 軍令部総長、梅津美治郎 参謀総長(国立国会図書館,Wikipedia)
名前生年役職
鈴木貫太郎1868年内閣総理大臣
米内光政1880年海軍大臣
梅津美治郎1882年参謀総長(大本営)
東郷茂徳1882年外務大臣
豊田副武1885年軍令部総長(大本営)
阿南惟幾1887年陸軍大臣
迫水久常1902年内閣書記官長
鈴木内閣と軍部の大幹部たち(1945年7月26日時点)

陸軍大臣と参謀総長は「同格」でしたが、当時の阿南陸軍大臣より5歳年上の梅津参謀総長。

海軍兵学校と同様に、全員が「陸軍士官(陸士)学校卒業生」だった陸軍将校たち。

梅津は阿南の「5歳上の先輩」でした。

同じ学校の卒業生で「5歳も上」では、どうしても上下関係があります。

さらに、「梅津参謀総長は阿南惟幾陸軍大臣の面倒を見た」時期もあった説が有力です。

そのため、この頃は「梅津参謀総長が帝国陸軍のトップ」でした。

そして、昔から大日本帝国においては「陸軍より海軍の方が人数が圧倒的に多く、強い立場」でした。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

そもそも、海軍の軍令部は、日露戦争の頃まで「参謀本部の一部」のような存在でした。

帝国海軍は、米内光政海軍大臣がガッチリ握っていましたが、かなり弱体化していた帝国海軍。

それに対して、帝国陸軍は、まだまだ頑強な戦力を保持していました。

そのため、「梅津参謀総長の意見」は「大本営・軍部の意見」と同等の存在感を持っていました。

その梅津参謀総長が、満を持して所見を述べます。

「戦争犯罪人の処罰」という自分に大いに関係がある件に対し、梅津は意見を述べました。

戦前の軍隊教育「いよいよだめになったら、舌を噛み切って自決しろ」

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梅津美治郎 参謀総長(Wikipedia)

黙って座っているだけでも、かなりのド迫力だったであろう梅津美治郎参謀総長。

梅津美治郎

ポツダム宣言の中には、
連合軍の俘虜(捕虜)を虐待した者を含む・・・

梅津美治郎

一切の戦争犯罪人は厳重に処罰せらるべしとの
規定があるけれども・・・

梅津美治郎

その裁判は連合国によって行われるとは
書いていない。

梅津美治郎

そこで、ポツダム宣言を受諾するとは言っても、
戦争犯罪人を日本の手で裁判するか・・・

梅津美治郎

あるいは、一歩譲って連合国側を入れたにしたところで、
相手側だけで裁判するような不公正なことにならないよう・・・

梅津美治郎

裁判の方法について、もっと日本の立場を
援護するような主張をすべきである。

この梅津参謀長の意見は、至極もっともでした。

ところが、戦争の勝利者に対して、戦争の敗北者がどこまで「公正な裁判」を主張できるか。

この点は、周囲の人も、「同意見であるも、難しいだろう」と感じたでしょう。

大日本帝国最後の四か月

次は武装解除の
問題である。

大日本帝国最後の四か月

武装解除そのものについては、
なんら異論は出なかった。

大日本帝国最後の四か月

ただ、日本の軍隊はそれまでに
公然と降伏することが許されていなかったので・・・

大日本帝国最後の四か月

もし強行すれば、混乱は必至である
との意見が陸軍側から出された。

大日本帝国最後の四か月

梅津参謀長が次のように
説明すると、阿南陸相も同意した。

梅津美治郎

日本の軍隊教育では、武器を失ったら、
手で戦え!

梅津美治郎

手も足も使えなくなったら、
口で食いつけ!

梅津美治郎

いよいよだめになったら、舌を噛み切って
自決しろ、とまで教えてきた。

梅津美治郎

こんな教育を受けている軍隊に対して、
武器を捨てて敵に降伏しろ、という命令を出しても・・・

梅津美治郎

前線で果たしてうまく実行されるかどうか、
はなはだ疑問である。

梅津美治郎

ポツダム宣言の無条件受諾を通告したら、連合軍は
ときを移さずに、こちらの陣地へ踏み込んでくるだろう。

梅津美治郎

あるいは、武器を構えて
進撃してくるかもしれない。

梅津美治郎

そうなると、こちらがいくら命令を受けていても
指揮官は興奮しているだろうから・・・

梅津美治郎

命令は無視されて、再び交戦状態になる
可能性が大きい。

梅津美治郎

だから、武装解除の方法としては、まず、各戦線の局地で、
両軍が場所と日時をあらかじめ協定しておき・・・

梅津美治郎

自発的にこちらが武器を捨て、向こうの指定した場所に
まとめ、部隊も指定の場所に集結して武器を引き渡し・・・

梅津美治郎

その後は先方の指定通りに行動するという
申し入れをすべきである。

ちょっと怖い感じの梅津参謀総長は、優等生らしく縷々と思うところを述べました。

ここで、「武器を失ったら、手で戦え!手も足も使えなくなったら、口で食いつけ!」までは良いです。

続いて「いよいよだめになったら、舌を噛み切って自決しろ」だった、戦前の日本の軍隊教育。

おそらく、こういう軍隊教育をした国家は、「歴史上、大日本帝国陸海軍のみ」です。

実際、この「軍隊教育」の通りに、戦前の帝国陸海軍は各地で玉砕しました。

この「各地の玉砕」に対して、米国軍・連合軍は「戦慄した」記録が多数あります。

欧米の価値観では「信じられない」を超えて、「絶対に理解不可能」であった戦前の軍隊教育。

教育次第で、人間は大きく、大きく変わることを、戦前の軍隊教育は証明しています。

まさに「降伏という字が辞書になかった」戦前の大日本帝国の軍隊教育。

降伏に向けて、武装解除の手法は極めて重大な問題でした。

当時、広範囲に広がりすぎていた大日本帝国の領土。

新教育紀行
絶対国防圏(歴史群像シリーズ 太平洋戦争6 学研)

米軍の猛攻によって、上の絶対国防圏は破綻し、1945年8月の頃は上の1/3ほどの領土でした。

それでも、現在の感覚からは、信じられないほど広範囲の地域を支配下にしていた大日本帝国。

そして、少しずつ、少しずつ降伏=敗戦に向かっていた大日本帝国政府と大本営。

この中、「現実問題として、どのように降伏するか」は、なかなか決まりませんでした。

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