前回は「鈴木首相「黙殺+戦争完遂邁進」発言の事実〜軍部が強力な異形の国家・厳しい言論統制下にあった戦前の日本メディア・情報局の指導と憲兵隊〜」の話でした。
ポツダム宣言「黙殺+戦争邁進」後の「二十四時間の間断ない波状攻撃」

大日本帝国を終戦に導いた鈴木貫太郎内閣において、内務大臣だった安倍源基。

安倍内相は、鈴木首相のポツダム宣言に対するコメントを、「昭和動乱の真相」で明確に記述しました。
昭和動乱の真相鈴木首相は二十八日午後、
記者会見で次のように語った。



私は三国共同声明は、
カイロ会談の焼き直しだと思う。



政府としては何ら重大な価値
あるものとは思わない。



ただ黙殺する
だけである。



われわれは断固戦争完遂に
邁進するだけである。


鈴木内閣で、内閣書記官長(内閣官房長官)だった迫水久常が著した「大日本帝国最後の四か月」。
「大日本帝国最後の四か月」には、鈴木首相のコメントに関する記載がなく、一気に原爆に飛びます。
この点は筆者は少々不思議に感じており、迫水が「敢えて触れなかった」と考えております。
そこで、筆者は迫水の様々な著作をあたり、迫水の「鈴木首相コメントに対する思い」を確認しました。
この件は、他の機会にご紹介します。


ポツダム宣言に対する鈴木首相の「黙殺+戦争邁進」後、



宣言拒絶と共に米国側の連日の爆撃は
益々熾烈の度を加えて来・・・



二十四時間の間断ない波状攻撃、
近海よりの艦砲射撃等により・・・



我が方の戦力を根本的に覆滅せんとする
攻撃意図が見られ・・・



沖縄の軍事基地化と同時に本土上陸の機を
狙う気配がひしひしと感じられた。
主として米英、ハッキリ言えば米国が「カンカンに怒っている」様子を鈴木首相は述べています。
「二十四時間の間断ない波状攻撃」は、攻撃する米軍も大変なことであり、絶望の崖っぷちに至った日本。
仁科芳雄「残念ながら間違いなく原子爆弾」:「強力爆弾」の正体と極大激震


そして、ついに「世界初の原爆」が、広島に投下されました。



昭和二十年八月七日から
十四日に至る八日間は・・・



日本が興亡の瀬戸際に立たされた
歴史的な期間である。



閣議と最高戦争指導会議は、
ほとんど連日のように開かれた。



昭和天皇をはじめ、政府当局者は、
軍部の抵抗を排しつつ、本当に身も心も砕いて・・・



終戦への道を歩いたと
いっても良い。
ここで、迫水久常は、重大な指摘をしています。
政府当局者が「軍部の抵抗を排しつつ」は、普通の国家ならば「あり得ない事態」でした。
その一方で、「政府と軍部の対立」は、「ある範囲内」ならば理解可能です。
ここで、「昭和天皇をはじめ」と、「昭和天皇も軍部の抵抗を排しつつ」だったことを示した迫水。


当時、猛虎のように暴れ回っていた軍部は、大元帥である昭和天皇すら抑えられない存在でした。
もはや、軍部が日本の国家を運営していたかのような、異様な状況が続いていました。



八月七日未明、
トルーマン米国大統領は・・・



広島に強力な爆弾を
落とした、と発表した。





Hiroshima(広島)に
強力な爆弾を落とした!
ここで重要な点は、トルーマン大統領が「原子爆弾」と言わず「強力な爆弾」と表現したことでした。



私は広島の被害状況などから
考えて、確かにそうだろうと思った。



しかし、七日の午後、関係閣僚会議の席で、
阿南惟幾陸相は、こう言った。





日本の物理学者の常識として、
原子爆弾が完成するまでには・・・



あと数年かかると、
いわれているではないか。



今は大事な時
である。



我々はアメリカ側のデマ放送に
迷わされないようにしなければならない。
どうやら、当時、日本内部でも「原爆ではないか?」の声が上がっていたようです。
とにかく、信じられない「強力爆弾」の登場によって、極大激震した帝国政府・大本営。



そこで、斯界の権威者たる仁科芳蔵(ママ)博士を
現地に派遣して調査さえせることにした。
迫水は「仁科芳蔵」と記載していますが、「仁科芳雄」の誤記と思われます。


当時、内閣の中枢にいて、多数の政府関係者と折衝する必要があった迫水書記官長。
そのため、一部の「人名の勘違い」はやむ得ない、と考えます。



仁科博士は、途中飛行機の故障などのため
予定時刻を大幅に遅れて広島に着いた。





そして、
八日午後になって、



残念ながら、間違いなく
原子爆弾である。



と報告して
来た。
実は、仁科博士率いる大日本帝国の「選りすぐり科学者軍団」もまた、原子爆弾開発を行っていました。
日本の原爆に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
当時、ドイツが先んじる形で、米国、そして日本も原爆開発をしていました。
そして、米国は日本の「二桁違い」という信じられない開発費を原爆につぎ込み、早期完成にこじつけました。
米国の「二桁違いの原爆開発費」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。




広島に落とされた、前代未聞の強力爆弾。
その強力爆弾の正体は、「常識では、当時完成するはずがなかった」原子爆弾でした。



