前回は「安倍源基「昭和動乱の真相」が明らかにするポツダム宣言〜鈴木内閣「ノーコメント+発表小さく」と決定・廣田とマリクの交渉〜」の話でした。
厳しい言論統制下にあった戦前の日本メディア:情報局の指導と憲兵隊

1945年7月26日のポツダム宣言発令に対して、
鈴木貫太郎ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。



あくまで戦争遂行に
邁進する。
「このように鈴木首相が語った」という説が有力です。


それに対して、鈴木首相自身が、敗戦翌年(1946年)に述べている「終戦の表情」では、



この宣言は重視する
要なきものと思う。
「このように述べた」と、語っています。
なんと言っても「本人が語った事実」が「真相」に最も近いようにも感じられます。


そこで、鈴木内閣の安倍源基内務大臣が著した「昭和動乱の真相」から真相を探ります。
鈴木首相の「終戦の表情」が、終戦翌年の1946年発行に対し、「昭和動乱の真相」は1977年発行です。
明らかに、「終戦・敗戦から一定の時間が経過した」ことを前提に出版されたと考えます。


東京帝大(東大)法学部卒業後、内務省に入った安倍は内務大臣うってつけの人物でした。
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 |
| 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 |
| 東郷茂徳 | 1882年 | 外務大臣 |
| 阿南惟幾 | 1887年 | 陸軍大臣 |
| 安倍源基 | 1894年 | 内務大臣 |
| 迫水久常 | 1902年 | 内閣書記官長 |
内務大臣は、強力な権限を持ちましたが、当時は、外相・陸相・海相のやや下に位置する大臣でした。



結局政府としては、
次のように決定した。



①宣言に対しては何らの
意思表示をしない(ノーコメント)



②新聞については、なるべく小さく取り扱う
よう情報局で指導すること
ポツダム宣言発令の翌日、1945年7月27日、鈴木内閣閣僚一同で対処を協議しました。
その結果、「ノーコメント+発表を小さく」と決定した鈴木内閣。
ここで「ノーコメント」は、上の鈴木首相の「黙殺」ではなく、「重視する要なき」に近いです。



二十八日付の新聞は、大体において
政府の方針に従って報道されていた。
当時、厳しい言論統制下にあった各新聞は、「政府の方針に従って報道」しました。
政府の方針に従わない場合、憲兵隊がやってきて「即逮捕」となる暗黒時代でした。
鈴木首相「黙殺+戦争完遂邁進」発言の事実:軍部が強力な異形の国家


この「ノーコメント+小さく発表」で落ち着くと思っていた鈴木内閣。
現代の議院内閣制では、「内閣の発表」は、「日本政府・国家の発表」となります。
ところが、当時は、鈴木内閣の発表に対して、「軍部が反対する」という異常な事態が起こっていました。
この「政府と軍部が対等」という異常事態、むしろ「異形の国家」こそが大日本帝国の本質でした。
当時、大日本帝国以外の国家においても、軍部は強力でした。
ところが、「軍部は政府の下」であることが明確であり、「大統領や首相の発表が全て」でした。
大日本帝国以外の国家において、「軍部が政府に横槍を入れる」ことは考えられませんでした。



ところが、政府のこの方針に対し
軍部方面から反対が起こったので・・・



鈴木首相は二十八日午後、
記者会見で次のように語った。



私は三国共同声明は、
カイロ会談の焼き直しだと思う。



政府としては何ら重大な価値
あるものとは思わない。



ただ黙殺する
だけである。



われわれは断固戦争完遂に
邁進するだけである。
「昭和動乱の真相」において、鈴木首相が語った言葉が上記の通り明瞭に記録されています。
ここで「三国共同声明」とは、ポツダム宣言を指します。
そして、ポツダム宣言=三国共同声明は、「カイロ会談の焼き直し」と語った鈴木首相。



この「黙殺」という言葉は
鈴木首相としては・・・



三国宣言は
重視する要なきものと思う・・・



との意味で使ったものらしいが、
連合国では「拒否」と受け取り・・・



トルーマン大統領の原子爆弾使用
およびソ連の対日宣戦の口実に使われた。



鈴木貫太郎自伝は、
「終戦の表情」の中で、



この一言は、後々に至るまで、余の
誠に遺憾とするところであり・・・



この一言を余に無理じいに答弁させた
ところに、当時の軍部の極端な抗戦意識が・・・



いかに冷静な判断を欠いたかが
判るのである。



と
述べている。
「昭和動乱の真相」において、当時内相だった安倍は鈴木首相が語った言葉を全て明確に記載しました。
そして、鈴木首相の「終戦の表情」における言葉を丁寧に紹介しました。



「終戦の表情」では、
鈴木首相が語った内容が少し違うが・・・



「鈴木談話」を遺憾としている
正直な告白を紹介しよう・・・
おそらく、安倍源基は「昭和動乱の真相」を書いた時、こう考えた、と推測します。
1989年、まさに「昭和の終わりの年」に亡くなった、「昭和動乱の真相」の著者・安倍源基。
1977年に「昭和動乱の真相」を出版する遥か以前から、原稿を用意していたと思われます。
そして、終戦(敗戦)後32年経過した1977年、



もう32年になるから、
真相を語って、もう良い頃であろう・・・
満を持して出版した、と考えます。
見るからに頭脳明晰な安倍は、「言葉のニュアンスの違い」には当然気付いていたでしょう。
その上で、「真の鈴木談話」を公開することを決意し、鈴木首相のコメントも紹介したと考えます。
筆者は、「昭和動乱の真相」の鈴木談話が、「そのまま当時の本当の談話だった」と考えます。
鈴木首相自身が自らの著書「終戦の表情」で語っていた、



この宣言は重視する
要なきものと思う。
この鈴木首相の言葉は、「真の鈴木コメントの前半のみ」が真相でした。
そして、鈴木首相の「黙殺+戦争完遂邁進」は、「原爆とソ連侵攻の口実」となってしまいました。

