「なるべく早く終戦へ」と明言した昭和天皇〜首相官邸で奮闘した迫水内閣書記官長・意思決定困難な「異質な国家」・戦争終結の時機と降伏条件〜|ポツダム宣言から敗戦の真相15

前回は「仁科芳雄「残念ながら間違いなく原子爆弾」〜「強力爆弾」の正体と極大激震・ポツダム宣言「黙殺+戦争邁進」後の「二十四時間の間断ない波状攻撃」〜」の話でした。

目次

「なるべく早く終戦へ」と明言した昭和天皇:戦争終結の時機と降伏条件

新教育紀行
広島への原爆投下:1945年8月6日(Wikipedia)

1945年8月6日に、「原子爆弾が広島に投下された」事実を、現代は誰でも知っています。

ところが、原子爆弾は、その直前まで「この世に存在しない爆弾」でした。

その「この世に存在しない爆弾」を、1942年から強力に開発を推し進めた米国。

米国は、ポツダム宣言直前の1945年7月に、世界に先駆けて原子爆弾の核実験に成功しました。

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トルーマン米大統領(Wikipedia)
トルーマン

Hiroshima(広島)に
強力な爆弾を落とした!

当時、トルーマン米大統領は、あえて「原子爆弾」と言わず「強力な爆弾」と表現しました。

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

当時、鈴木内閣の内閣書記官長であった迫水久常が、戦後に著した「大日本帝国最後の四か月」。

「大日本帝国最後の四か月」には、この前後の模様が詳細に記録されています。

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科学者 仁科芳雄(Wikipedia)
大日本帝国最後の四か月

そして、
八日午後になって、

仁科芳雄

残念ながら、間違いなく
原子爆弾である。

大日本帝国最後の四か月

と報告して
来た。

ここで、仁科芳雄博士は「間違いなく」の前に「残念ながら」と言っています。

この「残念ながら」は、「投下された事実」に対する「仁科の気持ち」だったかも知れません。

その一方で、「日本の原爆開発総責任者」であった仁科芳雄博士。

仁科の脳裏に浮かんだのは、「科学者としての自分」に対する「残念な気持ち」だったのかも知れません。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相は、その日、
天皇陛下に拝謁し・・・

大日本帝国最後の四か月

原子爆弾についての調査結果や
アメリカ側の放送などについて詳しく言上し・・・

東郷茂徳

これを転機にして
戦争を終わらせたい。

大日本帝国最後の四か月


付け加えた。

大日本帝国最後の四か月

その時、天皇は
こういわれた。

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昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

その
通りである。

昭和天皇

この種の武器が使われた以上、
戦争を続けるということが・・・

昭和天皇

いよいよ不可能になったので、
有利な条件を得ようとして・・・

昭和天皇

戦争終結の時機を逸するのは
よくないと思う。

昭和天皇

また、今になって、条件を相談しても
まとまらないだろうから・・・

昭和天皇

なるべく早く、終戦に持っていく
ように希望する。

昭和天皇

鈴木総理にも
このことをよく伝えるように・・・

広島への原爆投下を受けて、昭和天皇はハッキリと「即時終戦」を明言したのでした。

首相官邸で奮闘した迫水内閣書記官長:意思決定困難な「異質な国家」

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木戸幸一 内大臣(Wikipedia)
大日本帝国最後の四か月

東郷外相は、木戸内大臣に会って、
陛下のお話を伝えると共に鈴木総理にも報告した。

この迫水の「大日本帝国最後の四か月」における記載も重要な点を含んでいます。

昭和天皇は「鈴木総理に伝える」ことを要望しましたが、

東郷茂徳

天皇陛下が、
このように仰いました。

東郷外相は「木戸内大臣に伝えると共に」、鈴木総理に「報告した」と迫水は記載しています。

この点からも、いかに木戸内大臣が絶大な権限を握っていたか、が分かります。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

当時の大日本帝国は、政府と軍部・大本営が同格の立場であり、大変運営するのが困難な国家でした。

それに加え、超越した存在である天皇の周囲には、木戸内大臣らの宮内省派閥もありました。

とにかく複雑な構成をしていた大日本帝国は、非常に意思決定が困難な「異質な国家」でした。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相は、すぐ、最高戦争指導会議を
開くよう申し入れた。

大日本帝国最後の四か月

八月七日から八日にかけての
首相官邸は、ごった返した。

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理に面会を求める者が相次ぎ、
私や秘書官たちは目が回るほど忙しかった。

大日本帝国最後の四か月

我々は、なるべく総理に
合わせまいと頑張った。

軍部・大本営もまた「終戦に近づいている」雰囲気を、明確にキャッチしていました。

この「終戦へ向かっている」流れを、軍部・大本営はあらゆる手段で潰そうとしたのでしょう。

大日本帝国最後の四か月

面会を求めてきた人たちの
意見は大きく二つに分かれていた。

大日本帝国最後の四か月

こうなった以上、すみやかに終戦にせよ、
という人がいるかと思えば・・・

大日本帝国最後の四か月

国民の団結をいっそう強固にして
玉砕の覚悟を決めるべきだ、と説く人もいた。

大日本帝国最後の四か月

文字通り、百家争鳴の観が
あった。

色々な人が「色々なこと」を言う中、官邸が大混乱に陥いるのを迫水内閣書記官長は踏ん張りました。

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迫水久常 内閣書記官長(別冊歴史読本 日本帝国最期の日 新人物往来社)
大日本帝国最後の四か月

私は、これらの人々を説得する術をマスターしていたので、
終戦を主張する人たちに対しては、こう言った。

迫水久常

簡単にそんなことは
できません。

迫水久常

それよりも国民の間に分裂が生じるのを
防ぐことが先決問題ではないでしょうか。

大日本帝国最後の四か月

また、一億玉砕を説く人に対しては、
次のように答え、引き取ってもらった。

迫水久常

戦争を続けることはもちろんですが、
問題は国体の護持です。

迫水久常

戦争を続けたばかりに
国体の護持ができなくなったら、それこそ大変です。

大きく分けて「早期終戦」と「一億玉砕」を主張する、色々な人たちがドッと官邸に来ました。

おそらく「来た」と表現するよりも、「押しかけて来た」または「乗り込んできた」という感じだったでしょう。

この時点は、1945年8月7日から8日。

当時、大日本帝国と呼ばれた我が国日本は、一日ごとに確実に向かっていました。

終戦へ、または、敗戦へ、と。

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