前回は「日本に対して「冷たい視線」のスティムソン〜大躍進した後進国日本・19世紀の欧米列強「アジア観」・大英帝国に蹂躙された「兄貴分」清国〜」の話でした。

ついに「列強入り」果たした大日本帝国:後進国から一気に大国へ

当時の欧米の視点から見れば、「なぜか大国・ロシアに勝ってしまった」Japan(日本)。
1867年、ちょうど「幕末から明治維新」の頃に生まれたヘンリー・スティムソンは、
スティムソンJapanの躍進が
著しい・・・
そして、ロシアを下したことから、大日本帝国は、「正式に列強入り」を果たしました。



欧米の皆さん、
こんにちは!



私もついに「列強入り」を
果たしました!
日本海海戦に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
スティムソンが10代の頃は、「明らかに後進国」であった大日本帝国。
当時の大日本帝国は、「欧米人に教えて頂く」姿勢でした。
多数の優れた人物たちが欧米に留学し、帰国後に大学・学校で教えた結果、メキメキ力をつけました。
明治初期の学校に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



私はハーバード大を卒業し、
弁護士となった・・・



そして、検察官となり、1911年に
陸軍長官となった・・・
若い頃から優秀であり続け、周囲の信任も厚かったスティムソンは、44歳で陸軍長官になりました。
そして、1929年には、米国政府で大統領に次ぐ権限を持つ国務長官に就任したスティムソン。
現代も、米国務長官の権限、権力は極めて強力であり、



アメリカのマルコ・ルビオ国務長官は
〜を訪問し、・・・
米国務長官が、どこかの国・地域を訪問すると必ずニュースになります。
この時、62歳となっていたスティムソンは大ベテランとなっていました。



米国務長官となったが、
相変わらず、Japanが暴れているな・・・
大日本帝国を潰そうと目論んだスティムソン:満洲事変と石原莞爾


1930年頃から、本格的に大陸への進出を目論み続けていた大日本帝国。
ついには、陸軍主導によって、1931年に満洲事変が勃発しました。
現代「満洲事変」という名称で「事変」と呼んでいるため、「事件」のような印象もある満洲事変。
実際は「事変」や「事件」どころではない、「大陰謀の大戦争」でありました。





この石原莞爾が
満洲軍を指揮して、一気に占領!



満洲を我が大日本帝国の
支配下に収めるのだ!
若い頃から、天才と呼ばれ「陸軍士官学校初の大天才」とも呼称された石原莞爾。
確かに、この時の石原莞爾の作戦指揮は天才的でした。
わずか1万数千の関東軍で、20万人以上いた張学良軍を相手に、大勝利した石原。



我が用兵は
世界一なのだ・・・
世界中が驚愕したのが、この満洲事変でした。
石原莞爾と満洲に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
この後、石原莞爾は「満洲は独立させるべき」と持論を変えて行きます。





この東條は、
なんでもメモして、しっかり理解する!
東條英機総理・陸相は、若い頃からメモを綿密にとる性格で「メモ魔」と呼ばれました。
東條のように「メモをとる」という発想はなく、全て頭脳に叩き込んでおく石原は、



東條は
バカ!



東條には思想という
ものがない!
東條英機のことを全く評価しなかったことでも有名です。
「水と油」を超えて、「水と石」のように、全く馴染まなかった二人。
満州で、五歳年上の東條英機が満州軍参謀長の時、石原は部下の参謀副長でした。
この時期に、陸軍将校がやってきて、東條参謀長の部屋を石原に尋ねました。



あの、東條参謀長の
お部屋はどちらでしょうか?



ああ、東條一等兵の
部屋か!あっちだ!
こうして、大きな声で、東條英機が聞こえる声で「東條一等兵」と石原が言った逸話が有名です。



お、
おのれ・・・・
直属の部下に、こんなことを言われて「怒らない」方がどうかしています。
このように、若い頃から傲岸な性格だった石原莞爾と、東條英機の確執は有名です。
「確執」というよりも、努力型の東條英機を、天才型の石原莞爾が一方的に嫌っていたのが実情でした。
しかも、東條英機は、石原莞爾の陸軍士官学校以来、陸軍の大先輩でした。
当然のことながら、東條英機が陸相になると、



石原莞爾は
予備役!
石原をクビ=予備役にしたのでした。
その後、戦況が悪化すると、東條英機は石原莞爾を招いて戦略を尋ねましたが、



あなたが総理を
お辞めになるのが一番だ!



・・・・・
このような感じで、生涯「すれ違った」のが、東條英機と石原莞爾でした。
そして、大日本帝国の満洲建国を、当時「最も苦々しい目」で睨んでいたスティムソン。



Japanが作った
満洲国、だと・・・



そんなもの
認められるか!
ここで、スティムソン国務長官は、大日本帝国の方針に真っ向反対する意思を固めました。



国際連盟で
こんなものは絶対潰す!


そして、米国主導で国際連盟はリットン調査団を満洲へ派遣しました。



Japanの満洲事変は
単なる国家犯罪だ!



世界が結託して、
こんなものは潰す!
実は、当時、国際連盟の常任理事国でもなかった米国。
米国は「影の常任理事国」として、猛烈な勢いで「日本潰し」をしました。
・英国
・フランス
・日本(大日本帝国)
・イタリア
国際連盟と国際連合の常任理事国は、きちんと知っておきましょう。
・米国
・英国
・フランス
・中国
・ロシア
国際連盟と国際連合に関する問題の話を、上記リンクでご紹介しています。



Japanよ!
満洲を諦めろ!





おのれ・・・
スティムソンめが・・・



この松岡を
舐めるなよ・・・
米国のオレゴン大学を卒業し、自他共に認める「超知米派」だった松岡洋右・国連全権大使。
「口から生まれた」という表現がピッタリの松岡洋右(まつおか ようすけ)。
松岡洋右は話し始めると一時間でも二時間でも、一人で捲し立てるタイプの人物でした。
そして、「傲岸不遜」がピッタリ合う人物であった松岡洋右。



このHenry Stimson以上の
国務大臣はいないわ!
そして、同じく「傲岸不遜」な性格であったスティムソン。
争いになった時、「傲岸vs傲岸」では、折り合えるはずがありませんでした。
「決裂が目に見えていた」満洲問題。
そして、大日本帝国に対する「リットン報告書」が国際連盟で決議されてしまいました。



おのれ、我が大日本帝国の
満洲における権益を承認しないとは・・・



我が大日本帝国は
国際連盟の常任理事国だぞ・・・



こんな連盟なぞ、
脱退してくれるわ!
そして、松岡洋右は、国際連盟で1時間20分に及ぶ「国際連盟脱退の超大演説」をしました。



諸君!日本はまさに
十字架にかけられようとしているのだ!



しかし、我々は信ずる!
かたくかたく信ずる!



我々もまた、
世界によって理解されるであろう!
こう言って、国際連盟を一気に脱退してしまう決断を下した大日本帝国。
その後、孤立化の道を歩き、敗戦に至ります。
ある意味で「日本の敗戦の原因を作った人物」の一人こそ、このスティムソンでした。





