前回は「「二桁違い」の開発費を原爆に注ぎ込んだ米国〜超空の大要塞B29・日独のみで世界を敵に回した第二次世界大戦〜」の話でした。

19世紀の欧米列強「アジア観」:大英帝国に蹂躙された「兄貴分」清国

19世紀、つまり1800年代は、日本は幕末に向かう時期でした。
1900年頃までは、欧州中心の世界であり、1800年代は米国がメキメキ力をつけてきた時代です。
そもそも、大英帝国の植民地だった米国が建国したのは、1776年のことでした。
つまり、「米建国100周年」は1876年であり、我が国では「西南戦争の前年」でした。
西南戦争に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
そして、欧米列強は、当時既に多くの人口を抱えていながら「後進国」であったアジアに向かいました。
21世紀に入ってから、中国が凄まじい勢いで成長を果たしました。
現代、中国の状況に関しては諸説ありますが、とにかく「爆走した」のは事実です。
20世紀、我が国が侵略を続け、戦後は長らく後退していた中国。
実は、18世紀の時代、清国(中国)のGDPは世界一でした。
多くの人口を抱え、アジアの中では先進国であった中国に対し、欧米は「目をつけ続けていた」のでした。

まずは、大英帝国は、アヘン戦争・アロー戦争で、清国の多くの部分を植民地化しました。
| 戦争名 | 年 | 清国(中国)と戦争した国 |
| アヘン戦争 | 1839年-1842年 | 大英帝国 |
| アロー戦争(第二次アヘン戦争) | 1856年-1860年 | 大英帝国+フランス |
いずれの戦争においても、清国は欧州列強に大敗北を喫し、無惨な条約を締結させられました。
大英帝国ふっふっふ・・・
これでChinaは我が国が抑えた・・・
明らかに「戦争を吹っかけた」大英帝国は、「力で清国(中国)」をねじ伏せた」のでした。
長い歴史において、「中国が兄貴分」であった日本は、



清が欧米列強に
蹂躙されている・・・



我が国も、
同じような運命になるのでは・・・



そんなこと
させるかよ!



俺たちが、欧米人を
打ち払ってくれるわ!
こうして、当時の日本では「攘夷論」が猛烈な勢いとなりました。
攘夷に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
日本に対して「冷たい視線」のスティムソン:大躍進した後進国・日本


そして、日本にもまた、欧米列強が多数乗り込んできました。



Hello!
Japanの皆さん!



我がUnited States(米国)と
条約を結びましょう!



条約結ばないなら、
Edoを砲撃しますよ!
ペリーはこう言って、日本を恫喝したのでした。
その結果、日本が初めて外国と条約を締結したのが、日米和親条約でした。
ペリーの時代に関する、歴史の問題を、上記リンクでご紹介しています。
第1条
・日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。
第2条
・下田(即時)と箱館(函館)(1年後)を開港する(条約港の設定)。この2港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。
・物品の値段は日本役人が決め、その支払いは金貨または銀貨で行う。
第3条
・米国船舶が座礁または難破した場合、乗組員は下田または箱館に移送され、身柄の受け取りの米国人に引き渡される。
・避難者の所有する物品はすべて返還され、救助と扶養の際に生じた出費の弁済の必要は無い(日本船が米国で遭難した場合も同じ)
第4条
・米国人遭難者およびその他の市民は、他の国においてと同様に自由であり、日本においても監禁されることはないが、公正な法律には従う必要がある。
第5条
・下田および箱館に一時的に居留する米国人は、長崎におけるオランダ人および中国人とは異なり、その行動を制限されることはない。
・行動可能な範囲は、下田においては7里以内、箱館は別途定める。
第6条
・他に必要な物品や取り決めに関しては、両当事国間で慎重に審議する。
第7条
・両港において、金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換を行うことができる。
・交換できなかった物品はすべて持ち帰ることができる。
第8条
・物品の調達は日本の役人が斡旋する。
第9条
・米国に片務的最恵国待遇を与える。
第10条
・遭難・悪天候を除き、下田および箱館以外の港への来航を禁じる。
第11条
・両国政府が必要と認めたときに限って、本条約調印の日より18か月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。
第12条
・両国はこの条約を遵守する義務がある。
・両国は18か月以内に条約を批准する。
名称は、「和親=お友達になろう」条約でしたが、中身は明らかに不平等条約でした。
「米国に片務的最恵国待遇」という、信じられない条項を米国は「力で押し付けてきた」のでした。


その後、日本は明治維新を迎え、大日本帝国へと国家体制が大きく変わりました。
しかし、欧米にとっては「後進国・日本」であったのは、変わりませんでした。
その後、日本が躍進を続け、「アジアの帝王」となって行きました。
アジアに多数の権益を持っていた欧米諸国にとっては、「日本は煙たい存在」となりました。
そして、19世紀から20世紀に変わり、1900年台に突入した世界。


大日本帝国は、1904年から1905年にかけて、当時の覇権国の一つロシアと大戦争をしました。
その直前の1902年に「日英同盟」を締結していたこともあり、



我がUK(大英帝国)は、
Japanを徹底的にバックアップする!



だが、相手は
あのRussia(ロシア)・・・



我がUKですら、
正面切って戦争はしたくない・・・



さすが、Japanは
勝てぬだろうが・・・



上手いところで、
講和させるのが良いのか・・・
大英帝国は、大日本帝国に多大な恩恵をもたらしましたが、「日本が勝つ」とは思っていませんでした。


ところが、欧米列強の思惑に反して、大日本帝国はロシアに「勝ってしまった」のでした。
そして、1867年に生まれたヘンリー・スティムソン。



Japanの躍進が
著しい・・・
ちょうど、明治維新の頃に生まれたスティムソン。
スティムソンは、「大日本帝国の異常な成長」を目の当たりにしました。



さらに、Chinaや
Asiaに進出しているJapan・・・



Japanは、
少し黙らせなければな・・・
このように、スティムソンは、日本に対して「冷たい視線」で見続けていました。




