幕末から飛躍的に大強国となった大日本帝国〜大躍進の原動力「学校設立」・「民間の力」を重視し続ける米国・私立中心の欧米校・「国立中心」発想が根強い日本の学校制度〜|山川捨松27・人物像・エピソード

前回は「西南戦争で恨み果たした会津〜「戊辰の恨み!」「薩賊を倒す!」・オンリーワンの「山川学校」構想・大幹部の内輪揉めが続いた明治新政府・連発した士族たちの反乱〜」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

「民間の力」を重視し続ける米国:私立中心の欧米校

新教育紀行
山川浩 陸軍歩兵大佐(Wikipedia)
山川咲子

私の米国留学の経験を
活かして、私塾を作りたいけど・・・

咲子が帰国した1882年は「時代が大きく変わった」変革期でした。

明治政府

とにかく、小学校から
大学まで、一気に整備します!

明治政府は、日本独自の学問など眼中にはなく、洋学を猛推進しました。

そして、洋学を学ぶ基礎力増強のため、「学校整備」を猛烈推進していました。

山川咲子

私塾の時代では
ないなら・・・

山川咲子

私塾のような
コンパクトな学校は作れないかな・・・

山川浩

その発想は、
とても良いが・・・

山川浩

学校を作る、のは
とても大変なことだ・・・

山川咲子

それは
そうよね・・・

山川咲子

アメリカには私立の学校が
たくさんあるけど・・・

山川咲子

お金を持っている人が
多額の資金を出して設立しているし・・・

米国に11年間もいて、日本語よりも英語の方が堪能になり、フランス語なども基本会話を習得した咲子。

咲子は、当時の日本人の誰よりも「米国という国家の本質」を知っていました。

山川浩

うむ・・・
難しいだろうな・・・

新教育紀行
ハーバード大学(Wikipedia)

米国の超名門校・ハーバード大学などは、ほとんどすべて私立大学です。

「国立中心」発想が根強い日本の学校制度

New Educational Voyage
左上から時計回りに東京大学、京都大学、早稲田大学、慶応大学(Wikipedia)

明治政府が帝国大学を設立して以来、「国立至上主義」がずっと続いている日本。

設置年大学名
1877年東京帝国大学
1897年京都帝国大学
1907年東北帝国大学
1911年九州帝国大学
1918年北海道帝国大学
1924年京城帝国大学(韓国、のちに廃止)
1928年台北帝国大学(台湾、のちに廃止)
1931年大阪帝国大学
1939年名古屋帝国大学
帝国大学設置年

1877年に帝大(東京大学)設立後、20年後の1897年には京都帝国大学(京都大学)が設立。

京都帝国大学設立までは、帝大はただ一つでありました。

そして、京都帝国大学設立に合わせ、区別するために帝大から東京帝国大学に名称が変更となりました。

その後は、1907年に東北、1911年に九州、1918年に北海道とテンポ良く帝大整備を続けた大日本帝国。

最初の帝大設立から40年ほどで、日本全国に五帝大を整備しました。

大正政府

次は、韓国に
帝大を作る!

そして、1910年に併合した韓国は、当時は日本領でした。

そして、韓国・京城において、1924年に京城帝国大学を設立しました。

ちょうど、大正から昭和になる2年前であり、「大正か昭和へ」の時代でした。

さらに、1928年には、日清戦争で清国から割譲を受けた台湾で、台北帝国大学を設立しました。

この頃の大日本帝国はメキメキ力を増強させ、海軍においては「世界三大海軍国」の一つとなった頃です。

世界三大海軍国(第二次世界大戦)

・米国

・大英帝国

・大日本帝国

幕末から飛躍的に大強国となった大日本帝国:大躍進の原動力「学校設立」

新教育紀行
左上からパークス英国公使、ペリー米提督、ハリス駐日米大使、ロッシュ駐日フランス帝国公使(Wikipedia)
当時の日本人

我が国には一隻もない
黒船・・・

当時の日本人

その黒船が
九隻もやってきた・・・

幕末の1853年に、米国からペリー提督率いる軍艦が乗り込んできて、驚愕した日本。

この頃の日本は、欧米と比較して「明らかに後進国」でした。

自前の軍艦はほとんど持っていなく、その技術も資源も不足していた日本。

そして、咲子と浩が話し合っていた1882年頃は、猛烈な勢いで「欧米から学ぶ」姿勢だった大日本帝国。

New Educational Voyage
日清戦争(Wikipedia)

この後、1894年に日清戦争が勃発して、大日本帝国は大勝利しました。

陸海軍で大健闘した大日本帝国は、この戦争によって「世界の一流国の仲間入り」を果たしました。

ところが、日清戦争における海軍の主要軍艦は「全て外国製」でした。

つまり、昭和中期の大日本帝国は、まだまだ「自国で軍艦製造出来ない」状況だったのでした。

明治政府

我が帝国で
軍艦を製造するのだ!

そして、日清戦争で得た賠償金を元手に、軍艦建造計画を推し進めました。

三国干渉に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

明治政府

もっともっと
最新科学技術を学ぶものを・・・

明治政府

優れた欧米の科学技術力を
吸収した人物が大勢欲しい・・・

そして、欧米学問強力推進のもと、自国で優れた人材を多数育てることに成功した明治政府。

明治政府

欧米で学んだ人たちが、
帝大で教授となって、後進を育てるのだ!

欧米に留学して、欧米流の最新学問を身につけた人物たちが、多数帝大などで教えました。

その結果、みるみるうちに日本国内には、最新の科学技術を理解し、独自に発展させる人物が多数登場しました。

それらの人材たちが各方面で活躍して、飛躍的に「大日本帝国の科学技術力」を増強しました。

新教育紀行
戦艦 大和(Wikipedida)

その後、大日本帝国は、自国で多数の軍艦を建造し続けました。

新教育紀行
戦艦 武蔵(Wikipedia)

そして、空前絶後の世界最強戦艦であった戦艦大和、戦艦武蔵を建造した大日本帝国。

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第一航空艦隊 旗艦 空母赤城(Wikipedia)

さらには、多数の空母と航空隊を備える、一時は「世界最強の航空艦隊」まで誕生させた大日本帝国。

当時は、米国や大英帝国よりも遥かに国力が劣った大日本帝国。

その内実は「無理の無理の上に、さらに無理を重ねた」結果でした。

ところが、この大日本帝国の「急激すぎる成長」は、世界の視点から見れば驚愕すべきことでした。

欧米人P

Japanの成長ぶりは
異常だ・・・

欧米人S

一体何をどうやったら、
こんなに急成長するのか・・・

この幕末から、第二次世界大戦の「異常な急成長」を実現した背景には、学校整備が極めて重要でした。

「戦争への道」に走ったことの是非は別として、明治政府の「学校整備」は巨大な成果を挙げました。

この「学校整備」の流れの真っ只中にいた咲子と浩。

山川浩

私塾や学校は
ちょっと難しい・・・

山川咲子

そうね・・・
他のことを考えるわ・・・

「政府肝入りの学校整備の大潮流」の中、咲子は私塾や学校設立を断念しました。

次回は上記リンクです。

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