当時の状況を理解しながら歴史を学ぶ姿勢〜「年号から」ではなく流れを重視・幕臣と大名に君臨した徳川将軍・「臣下」と「家臣」〜|開成中2025年社会12・過去問・中学受験

前回は「人々の思いを理解する歴史の学び〜明治新政府の内輪揉めと萩の乱・明治維新の原動力「松下村塾グループ」・維新の四傑・吉田松陰と松下村塾生たちの生き様〜」の話でした。

目次

当時の状況を理解しながら歴史を学ぶ姿勢:「臣下」と「家臣」

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次は問11に進みます。

1871年に交付された<資料2>を読みます。

こういう問題では、気持ちが逸っているので、問題の最初を読み飛ばしてしまうことが多いです。

男子小学生

確かに、こういう風に
沢山文字があると・・・

男子小学生

そっちの方に意識が
向いてしまうことが多いね・・・

この問題は、実は冒頭の1871年が最大のヒントです。

女子小学生

1868年が明治元年だから、
1871年は、明治4年だね!

ここでは、版籍奉還などの話が登場して、

誰か

先に
版籍奉還を許可し・・・

誰か

お前たち
臣下のものは・・・

こうして、「誰か」が語っている内容に対して、

出題者

資料中の「私」とは
誰ですか?

とても「上から目線の人」は誰なのか?が問われています。

この問題は、見方によっては難しくないですが、当時の明治新政府の内情を考えてみましょう。

新教育紀行
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)
西郷隆盛

新たな政府とは
こんな政府が良いごわす!

大久保利通

これまでの
古い国家像は一気に破壊!

木戸孝允

私たちが、徳川の世とは
全然違う国を作ろう!

岩倉具視

我ら朝廷が表舞台に出るのは、
とても久しぶりだのう・・・

討幕までは、「徳川幕府が共通の敵」でしたが、「敵=徳川」が消えてしまいました。

すると、人間も組織もお互いが「自己の主張を強くする」のが、歴史の常です。

そのため、討幕直後から、不協和音がガンガン鳴っていた状況の明治新政府の大幹部たちでした。

この問題の「私」は、彼ら明治新政府の最高位の人たちの可能性もなくはないです。

大久保利通(架空)

私が〜を
許可する!

大久保や木戸は「何かを許可する」実権は持っていました。

ところが、

木戸孝允(架空)

お前たち
臣下のものは・・・

いかに、木戸や大久保が強権を握っていたとしても、誰かに対して「臣下のもの」とは言えません。

岩倉具視(架空)

お前は麿の部下だから、
臣下みたいなもんだよな・・・

公家である岩倉は、西郷や木戸とは「別格」でしたが、大した身分ではありませんでした。

「臣下」というのは、いわば「家臣」ですが、「家臣を超えた上下関係」を感じさせます。

そもそも、当時は「つい最近までは、西郷・大久保・木戸は家臣の立場」でした。

西郷隆盛

おいどんは、
島津家の家臣だった!

木戸孝允

私は毛利家の
家臣だった!

明治になって「気持ち新たに」と言っても、彼らには「家臣の気持ち」が少し残っていたでしょう。

「年号から」ではなく流れを重視:幕臣と大名に君臨した徳川将軍

新教育紀行
明治天皇(国立国会図書館)
明治天皇

お前たち
臣下のものは・・・

すると、西郷や木戸を「超越した存在」であった明治天皇しか残りません。

答えは、明治天皇です。

日本の歴史において、常に超越的な存在であった天皇。

源頼朝以降、武家の時代となり、天皇は「お飾り的存在」であり続けました。

その間は、様々な人物が「超越した存在」となりました。

1871年の当時の直近までは、この「お前たち臣下のもの」と言えた人は誰でしょうか?

女子小学生

将軍だった
慶喜は言えたのかな?

新教育紀行
第十五代将軍 徳川慶喜(国立国会図書館)
徳川慶喜

お前たち
臣下のものは・・・

慶喜が幕臣や大名に対して、どれほど強い立場だったかは諸説ありますが、こう「言えた」と考えます。

そもそも、旗本は幕臣と呼ばれ、「徳川府の家」でありました。

徳川慶喜

お前たち幕臣は
私に続くのだ!

幕臣S

おお〜っ!
我ら、慶喜様にどこまでもついてゆきます!

鳥羽伏見の戦いの直後、大坂(大阪)城で慶喜は幕臣たちに、こう言っていたのでした。

そして、大勢の幕臣たちは「慶喜にどこまでもついてゆく」気持ちで一杯だったのでした。

日本に存在した三つの幕府のうち、徳川幕府の幕藩体制は「将軍が君臨する体制」が完備していました。

明治天皇

版籍奉還したが、
実が上がらない・・・

明治天皇

これではどうして
人民を守り、万国と対等の交際ができましょうか。

ここで、「人民」もキーワードです。

とにかく「徳川ファースト」だった徳川将軍は、「人民や庶民」への思いは「なかった」のでした。

徳川慶喜

私は幕臣や大名に
君臨する存在・・・

徳川慶喜

庶民のことは、
幕臣や大名がやれば良い!

この点でも、明治天皇と徳川将軍の立場は全く異なります。

明治天皇

そこで今、
さらにXします。

ついで、Xを考えますが、重要なのは「先に版籍奉還があった」ことです。

男子小学生

それなら、続いて
廃藩置県だね!

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この流れを考えると、答えは「ア:廃藩置県」となります。

こういう問題を考えるとき、

女子小学生

1871年の次だから、
それぞれの年号を考えて・・・

「年号から考える」発想も良いかもしれませんが、「流れを軸とする」学びが良いです。

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その上で、過去問を学ぶときは、他の選択肢の年号を確認しておきましょう。

男子小学生

よしっ、国会設立1890年、
徴兵制1873年、五箇条の御誓文1868年!

そして、年号を確認しながら、流れを確認することが大事です。

女子小学生

五箇条の御誓文の
次が版籍奉還、廃藩置県・・・

女子小学生

そして、徴兵制、
国会設立だね・・・

これら全ての政策は、明治新政府にとって「喫緊の課題」でした。

憲法や国会の設立もまた、明治新政府の大幹部たちは、

大久保利通

早く欧米にあるような
憲法を作りたいが・・・

木戸孝允

うむ・・・
国家の根幹らしいな・・・

「一日でも早く、欧米のような憲法成立」を考えていたでしょう。

大久保利通

だが、その前に、
旧国家体制を解体せねば・・・

木戸孝允

とにかく、藩の存在を
消して、中央集権だな・・・

西郷隆盛

昔の時代にも、良か事は
沢山あるごわす!

岩倉具視

とにかく、王政復古して
天皇親政の、欧米に伍す国家を!

「先にやるべきこと」が沢山ありすぎて、大変な状況だった新たな「明治という国家の国づくり」。

さらに、佐賀の乱、萩の乱、西南戦争など「明治新政府大幹部の内輪揉め」が連続して勃発してしまいました。

その結果、1890年にやっと成立した憲法施行と国会成立。

明治維新の四傑(新教育紀行)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

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明治維新の四傑:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

その時、それぞれが「新たな国家づくり」を夢見た維新の四傑は、全員この世にはいませんでした。

社会11の答え

問1 (1)源義家 (2)和歌山 (3)高知 (4)川崎

   (5)徳川吉宗 (6)参勤交代 (7)日露戦争 (8)徳川慶喜

問2 (1)源氏物語 (2)藤原道長

問3 (1)兵庫県 (2)北条政子

問4 (1)足利義満 (2)明

問5 水戸藩

問6 (1)三内丸山 (2)大森

問7 (1)福岡県 (2)佐賀県

問8 イ

問9 (1) 歌川広重 (2)ゴッホ

問10 (1)松下村塾 (2)出来事:萩の乱 中心人物:前原一誠

    (3)多数の松下村塾の塾生たちが、萩の乱に参加したから

問11 (1)明治天皇 (2) ア

問12 (1)エ (2)エ

問13(1)下関条約 (2)イ

問14 ウ

問15 (1)ジュネーブ (2)ウ

問16 (1)南満洲鉄道 (2)大日本帝国 (3)松岡洋右

次回は上記リンクです。

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