歴史の地名を流れでイメージして理解〜北条政子の歴史変えた「一喝」・問題を解きながら深い知識獲得・義満の太政大臣就任と勘合貿易〜|開成中2025年社会7・過去問・中学受験

前回は「知らない語句に出会った時の姿勢〜大事な問題文全体のキーワード・歴代太政大臣の存在・「政治トップ」と「お飾り」と〜」の話でした。

目次

歴史の地名を流れでイメージして理解:北条政子の歴史変えた「一喝」

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前回に続いて、問3に進みます。

出題者

一ノ谷の戦いの
場所は、どこですか?

(2)は易しいですが、(1)は難易度が高く、点差がついたと思われます。

源平の合戦で最も有名なのは「壇ノ浦の戦い」で、「一ノ谷の戦い」は「壇ノ浦」に次ぎます。

新教育紀行
一ノ谷の戦い(Wikipedia)

「軍事の天才」と言われる源義経が、「平氏の背面の急峻な崖」から攻めて、快勝しました。

そのため、「ひよどり越の戦い」とも呼ばれ、日本史における「奇襲攻撃の典型例」とされました。

争(合戦)の歴を「戦史」と呼びますが、「戦史」において「壇ノ浦」を上回る存在が「一ノ谷」です。

一ノ谷の戦いは、現在の兵庫県で行われました。

男子小学生

これは知らなかったから、
「一ノ谷」は兵庫って暗記!

女子小学生

ちょっと難しいけど、
覚えるしかないね・・・

ここで、「一ノ谷=兵庫県」と暗記しても良いですが、当時の源平の状況を考えましょう。

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京を押さえた源氏は、西国を押さえていた平氏の「息の根」を止めるために西に向かいました。

上の図のように、「京から攻める源氏」と「西国・瀬戸内海を押さえる平氏」がぶつかるイメージです。

そして、「一ノ谷の戦い」での決戦になりました。

女子小学生

このイメージだと、
一ノ谷の戦いは、兵庫県あたりだね・・・

男子小学生

ただ「兵庫」と覚えるよりも、
このイメージを理解すると分かりやすいかも・・・

このように「歴史の地名」は「ただ暗記」ではなく、「歴史の流れとリンク」させると良いです。

「ただ暗記」は忘れやすいですが、「流れとリンク」していると覚えやすいです。

歴史の地名の学び

1.場所などを「ただ丸暗記」ではなく、流れとリンクさせる

2.場所が分からなくても、「流れから類推」出来るように理解

出題者

源頼朝の妻で、
政治に大きな力を持った人物は?

男子小学生

これは
北条政子だね!

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新教育紀行
鎌倉幕府 御台所(源頼朝妻) 北条政子(Wikipedia)
北条政子

頼朝様亡き後、
私がしっかりせねば・・・

「尼将軍」と呼ばれるほど、かなり強力な権力を握っていた北条政子。

朝廷・皇権の復権を目論んだ後鳥羽上皇と対立した際は、

北条政子

頼朝公の御恩は、
山より高く、海より深い・・・

北条政子

皆のもの!
我ら武士の力を見せつけるのだ!

御家人X

よしっ!
皆で上皇軍を倒そう!

北条政子の「鶴の一声」ならぬ「鶴の一喝」で、御家人たちは盛り上がり、上皇軍を撃退しました。

北条政子の生き様と共に、1221年の承久の乱も復習しておきましょう。

問題を解きながら深い知識獲得:義満の太政大臣就任と勘合貿易

新教育紀行
室町幕府第三代将軍:足利義満(Wikipedia)
出題者

室町幕府の三代将軍は、
観阿弥・世阿弥親子を保護して・・・

「室町幕府三代将軍」だけで、答えは「足利義満」になります。

続いて、義満の勘合貿易の相手方である中国王朝は「明」です。

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この問題は比較的易しいですが、ここで足利義満が「観阿弥・世阿弥保護」は、ややハイレベルです。

男子小学生

義満は、観阿弥・世阿弥を
大事にして、能の文化を育んだんだね・・・

このように「足利義満」が答えられるかどうか、だけでなく、問題を解きながら知識を増やすと良いです。

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足利義満といえば、まずは南北朝合一(統一)です。

足利義満

私が分裂していた
朝廷を一つにまとめたのだ!

世界に数多くある皇室・王室の中で、日本の皇室の歴史は最も長いです。

その長い皇室の歴史において、「南北に分裂した」異常な時期がありました。

足利義満

我が足利家が日本の
トップであるが・・・

足利義満

なんと言っても、皇室は
日本の歴史上「別格」であり、国家の根本・・・

足利義満

なんとしても、この
分裂を私の代で統一しなければ・・・

いわば「分裂していた」とも言える日本の国家像を統一したのが足利義満でした。

この点では、足利義満の功績は極めて大きいです。

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南北朝合一(統一)の次は、勘合貿易です。

足利義満

なんと言っても、中国の国家・明は
超大国だ・・・

明を含め、中国は長い歴史において、19世紀中頃まで、人口・GDPで世界一でした。

日本の歴史において、常に「日本に圧迫感を与え続けた存在」が中国でした。

足利義満

明は中華思想だから、「臣下」の立場
でなければ、貿易は認めてくれない・・・

天皇は別格としても、「日本の王」である足利義満としては「臣下」は本来耐えられないはずですが、

足利義満

私は「明の臣下」で
構わん!

足利義満

とにかく、明と勘合貿易を
推進するのだ!

足利義満

そして、中国大陸から最新の
文化と文明を受容する!

足利義満

さらに、貿易によって上がる
莫大な利潤を手に入れるのだ!

こうして「明の臣下でOK」だった義満は、ある意味で「英断を下した」と言えます。

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前回、歴代著名太政大臣をまとめましたが、足利義満も太政大臣に就任しました。

足利義満

征夷大将軍と
太政大臣だ!

足利義満

これで武家と公家の
トップに君臨!

意気揚々としていた足利義満に対して、明からクレームがつきました。

おい、義満よ・・・
お前は我が明の臣下だろう・・・

太政大臣になったということは、
倭国(日本)の臣下ではないか・・・

ということは、我が明の臣下を
辞めた、ということか?

征夷大将軍も太政大臣も、日本国内の認識では「両方とも天皇・朝廷の臣下」です。

ところが、太政大は名称に「」があるため、「明らかに臣下」という認識でした。

足利義満

まずい・・・このままでは、
明に勘合貿易を中止されてしまうかも・・・

足利義満

このまま、「朝廷の臣下=明の臣下」とすると、
我が朝廷が「明の臣下」となりかねん・・・

足利義満

我が国は、明国よりも小さいかもしれんが、
それだけは防がねば・・・

太政大臣に「就任したばかり」だった義満は、様々考えて手を打とうとしましたが、

足利義満

・・・・・

足利義満

どうにも
ならんか・・・

我が明の臣下なのか、
違うのか、ハッキリしてもらいたい!

「中華思想」の明国(中国)にとっては、日本を含めた周囲の国はすべて「蛮族」でした。

蛮族の央にいて、のように君臨している発想が「中華思想」です。

足利義満

やむを得ん・・・
太政大臣を辞任しよう!

こうして勘合貿易を優先した義満は、たった五ヶ月で太政大臣辞任しました。

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足利義満は大変な文化人であり、北山文化を育みました。

中でも、鹿苑寺金閣が有名です。

外国人に対して「日本の代名詞」ともなり得る圧倒的な存在感を放っているのが金閣です。

新教育紀行
金閣寺(新教育紀行)

そして、「猿楽:観阿弥・世阿弥」の保護(庇護)は、少し難しいですが、

女子小学生

義満は、
能の文化を大事にしたんだね!

こういう問題を解きながら、知識を深めてゆきましょう。

社会11の答え

問1 (1)源義家 (2)和歌山 (3)高知 (4)川崎

   (5)徳川吉宗 (6)参勤交代 (7)日露戦争 (8)徳川慶喜

問2 (1)源氏物語 (2)藤原道長

問3 (1)兵庫県 (2)北条政子

問4 (1)足利義満 (2)明

問5 水戸藩

問6 (1)三内丸山 (2)大森

問7 (1)福岡県 (2)佐賀県

問8 イ

問9 (1) 歌川広重 (2)ゴッホ

問10 (1)松下村塾 (2)出来事:萩の乱 中心人物:前原一誠

    (3)多数の松下村塾の塾生たちが、萩の乱に参加したから

問11 (1)明治天皇 (2) ア

問12 (1)エ (2)エ

問13(1)下関条約 (2)イ

問14 ウ

問15 (1)ジュネーブ (2)ウ

問16 (1)南満洲鉄道 (2)大日本帝国 (3)松岡洋右

次回は上記リンクです。

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