前回は「後藤新平の人生で最も辛かった時期〜少年時代に味わった「賊の苦しみ」・「絶対的な存在」だった天皇陛下・徳川慶喜への致命傷となった「朝敵」〜」の話でした。

挫折を糧に志を持った後藤新平青年:賊軍から復活目指す姿勢

威風堂々とした仙台藩という名藩の武家に生まれた新平少年。
そのまま、徳川幕府の時代が続けば、仙台藩に尽くした人物となったでしょう。
急転直下「賊」になった後藤少年は、大いなる挫折を味わいます。
11歳、小学校5年生にとっては、あまりにも辛い事態でした。

悲しい・・・



本当に
辛い・・・
実は、この後に本人の性格もあって、更なる挫折を経験する後藤新平。
更なる大きな挫折を経験しますが、それでも後に後藤は、



この時(賊軍の汚名)ほど、辛いことは、
なかった・・・
と振り返っています。



賊と
なったが・・・・・



なんとか
頑張ろう!



それしかない!
前向きに頑張ってみようとします。
仙台藩から胆沢県へ:新たな時代の幕開け


前向きになった後藤は少年から青年になりました。



頑張って
新たな道を切り開くぞ!
仙台藩は「胆沢県」となります。
そこに、後藤の人生を変える人物がやってきます。
新たに仙台藩を治める行政官としてやってきたのは、安場 保和 胆沢県大惨事(副知事)でした。



胆沢県の新たな
ボスは安場さんと言う人か・・・
この安場は後藤にとって「終生忘れえぬ人」となります。
非常に進歩的な安場は、熊本藩出身で高名な横井小楠の門下生でした。
勝海舟が極めて高く評価した異才・横井小楠


幕末維新期には、あまり大きな活動をしなかった熊本藩。
朝廷にも幕府にも重んじられてきた細川家は、伊達仙台藩や島津薩摩藩同様に「別格」として扱われます。
そして、江戸期を通じて「領地替え」をされず、54万石という巨大な藩を運営し続けます。
幕末、藩としては大人しかった熊本藩ですが、横井小楠という重要な人物を輩出します。
大変な秀才だった横井小楠。
彼の名前は、楠木正行(小楠公:楠木正成の息子)にあやかっています。
山口多聞は、「楠木正成の幼名の多聞丸」からでしたが、楠木正成の影響の大きさがわかります。


そして、熊本藩で私塾を開いた横井小楠。


幕末に勝海舟や坂本龍馬と会って、様々議論します。
多くの人物から、その学識の高さ・未来を見通す力で絶賛されます。
中でも、横井小楠を非常に買っていた勝海舟。



天下で
恐ろしい人物が二人・・・



それは西郷隆盛と
横井小楠!
なんと、あの西郷隆盛と同格に評価されます。


この横井小楠門下生の安場との出会いにより、後藤少年は運命の扉を開きます。