前回は「歴史の流れを知ろう 4〜バルチック艦隊の動き〜」の話でした。
今回は、日本海海戦です。
本国ロシアのバルト海から遠路はるばる日本にきたバルチック艦隊を、連合艦隊は満を持して迎え撃ちます。
連合艦隊の旗艦は山本権兵衛海軍大臣がゴリ押しして、英国から購入した最新鋭の戦艦三笠です。
日本海海戦は東郷平八郎連合艦隊司令長官たちが大いに奮戦します。
そして、世界最強と言われたロシア・バルチック艦隊を、ほぼ全滅させる大勝利としなりました。

この時、後に第二次世界大戦(太平洋戦争)で連合艦隊司令長官となる山本(高野)五十六は若手の少尉でした。
そして、日本海海戦で戦い、左手の指を2本失う重傷を負います。

世界中から「あの最強のバルチック艦隊を擁するロシアに、日本海軍が勝てるはずはない」と思われていた戦いでした。
この時バルチック艦隊を日本海で迎撃し、世界中が驚愕したほど想像を絶するような快勝をおさめた日本海軍。

この大勝利によって、日本海軍の軸が決定します。
これ以後、日本海軍が強敵と戦う際は、
日本近海で迎撃し、
敵艦隊に致命傷を与える!
ことが基本理念・ポリシーとなりました。
後に、日本海軍の大方針「迎撃ポリシー」に逆らった人物がいました。
遠路はるばる「真珠湾へ奇襲攻撃をかける」壮大な作戦を主導した人物。
それは、日本海海戦に参加した、後の山本五十六連合艦隊司令長官だったのです。