前回は「究極の治水術・信玄堤を思いついた徳川家康〜武田信玄の遺産河川の氾濫に悩む信玄・山国甲斐の治水対策・守護守護代と戦国大名・尾張と甲斐の比較〜」の話でした。
都市のインフラと河川と上下水道:水の流れと勾配
![新教育紀行](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/06TC2020m.jpg)
中学受験で、東京周辺の河川の問題が出題されることがありました。
最重要インフラの一つである上下水道。
日本は上下水道の整備が非常に良く、日常生活においては「当たり前」の存在かもしれません。
この上下水道は、電気・ガスや道路などと同様に大事なインフラですが、最も大事かもしれません。
水がなければ生活することが出来ず、排水が上手くなければ、生活はとても困ります。
実は、江戸時代の江戸は、上下水道がある程度すでに整備されていました。
江戸時代においても、下水として地下に水路が張り巡らされている地域がありました。
関東平野が広がる世界有数の大都市・東京。
武田信玄の本拠地や甲斐・信濃などの山国と比較すると、「フラットな地形」です。
「フラットな・平らな地形」の印象がある東京ですが、実はかなり高低差が激しい都市が東京です。
インフラを設置することを考えてみましょう。
「電気の配線をする」のと、「上水・下水の配管」をすることの違いを考えてみましょう。
電気の
配線の方が細い感じかな・・・
下水管は
結構太そう・・・
![新教育紀行](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/230820KDR_ARAK191m.jpg)
下水管の太さは場所によって大きく異なりますが、直径4〜5mの太い下水管もあります。
太さの違いはありそうですが、他に違いを考えてみましょう。
「流れ」に注目してみましょう。
電流は、
電圧をかけて流すんだよね。
水が流れる時に
電流と違うのは・・・
あっ、水は傾いていないと
流れない!
確かに、水が流れるには
傾いてないと困るね!
「水を流す」には基本的に傾き(勾配)がないと「流れない」のです。
ポンプ等で「機械的に流す」ことは可能ですが、「全てポンプで流す」わけにもいきません。
そこで、上下水道のインフラでは「傾き」が確保されるように設計されています。
家康入府前から現代東京への江戸大改造
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/01TC1590ma.jpg)
豊臣秀吉・徳川家康・武田信玄たちが登場して、江戸から東京の移り変わりの話をしています。
今回は、少し番外編で歴史的な話をおいて、河川の変遷を概観しましょう。
現在の皇居付近まで侵入していた、大きな「日比谷入江」があった江戸。
現在の東京駅・丸の内周辺は、戦国末期の1590年頃まで「かなりの部分が海の中」でした。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/02TC1600ma.jpg)
家康は、まず東に「小名木川」という河川を作りました。
これは「行徳で生産されていた塩」を「江戸に直送するため」と言われています。
この点に関しては、歴史的流れを考えると少し異なる視点もあります。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/03TC1607ma.jpg)
関ヶ原の合戦で大勝利した家康は、一気に「江戸の大改造」に乗り出しました。
まだ豊臣家が残っていましたが、「豊臣の世」から「徳川の世」へと移行したのでした。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
これで、
徳川の天下だ!
まだ江戸に来てから10年ほどしか経過していない徳川家康。
関ヶ原の合戦によって、西軍側の諸大名を取り潰したり、領土を大幅に削りました。
そして、徳川に味方した東側諸大名に領地を配分して「恩賞を与えた」徳川家康。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
これから、本格的に
我が徳川の街・江戸を変える!
一気に日比谷入江を埋め立て、日本橋川(神田川)の流れを東に移動させ、隅田川に合流させました。
さらに、この時に大きな溜池が作られました。
現代、赤坂付近の「溜池山王」は、この溜池が名残です。
数多くの企業があり、付近には首相官邸などもある超高級エリアである「溜池山王」。
かつては文字通り「溜池」だったのが、赤坂・溜池山王エリアです。
江戸から現代の東京へ:江戸の発展と堀割
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/04TC1620ma.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/04TC1620ma.jpg?resize=900%2C600&ssl=1)
1620年頃になって、江戸の街はさらに様変わりしました。
1615年の「大坂の陣」により、徳川が豊臣を滅亡させた徳川家康。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/42f11bd1406ff671af0d5fc223874847.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
やっと、「徳川か豊臣か」に
決着をつけることが出来た・・・
徳川幕府初代将軍・徳川家康は、豊臣家を滅亡させた翌1616年に亡くなりました。
そして、江戸の都市・街は「徳川の天下が確定した勢い」で急ピッチに変わってゆきました。
江戸城の大幅な工事が進行し、大きく内堀が作られました。
そして、現代の銀座付近に多数の堀割(小さな河川)が作られました。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/05TC1639ma.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/05TC1639ma.jpg?resize=900%2C600&ssl=1)
1639年頃には、急速に江戸の街・都市が形成されているのが分かります。
江戸城の外堀が大きく作られ、さまざまな河川・水路が構築されました。
この「河川・水路」は、「水の街・都市をつくる」という意志を感じます。
多くは、急速に増大してきた江戸の人口に対して、物流を確保するためでした。
江戸時代は、現代とは比較にならないほど「水路における物流が重要」だったのです。
この1639年頃で、江戸の「新しい都市としての骨格」は、ほぼ完成しました。
家康が入府してから、ちょうど50年ほど。
大変早い急速なピッチで、江戸の都市づくりは実行されたのです。
この後、江戸時代において様々な上下水道の発展などがあり、明治維新を迎えます。
明治維新以降は、特に戦後に東京湾への埋め立てが行われました。
特に、戦後の高度急成長時代には、東京湾埋め立てが非常な速さで進められました。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/06TC2020ma.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/06TC2020ma.jpg?resize=900%2C600&ssl=1)
そして、現代の東京に至ります。
かつてあった「河川・水路」のほとんどは姿を消してしまいました。
「水の街」江戸は消滅し、現代の東京へと大きく変化したのでした。
多くの河川は「暗渠」と呼ばれる、地面の下の水路となりました。
江戸時代の徳川初代将軍・家康〜三代将軍・家光の頃に、大きく進んだ江戸の都市改造。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/19f77eebc684670525f78e6ec34cd526-1.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/19f77eebc684670525f78e6ec34cd526-1.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/19f77eebc684670525f78e6ec34cd526-1.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/19f77eebc684670525f78e6ec34cd526-1.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/19f77eebc684670525f78e6ec34cd526-1.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
私は生まれながらの
将軍であるぞ!
50年という時間で、猛烈な勢いで変化を遂げた江戸。
そして、戦後の高度成長期の30年ほどで、大きく東京湾に伸びていった東京。
London,Paris, New York, Berlinなどの世界の大都市も、様々な変化を遂げてきました。
歴史の浅いNew Yorkは、かつては”New Amsterdam”という名称でした。
Paris,Londonなどの都市は名称は不変である一方、江戸は東京から名称が変わりました。
そして、都市の姿が大きく変化し、非常に大きな変化を遂げた江戸・東京・Tokyo。
London,Paris, Berlinなどの世界の大都市と東京を比較すると、とても大きな違いがあります。
そこには、河川の歴史・現代の都市構造・上下水道などにも、様々なストーリーがあります。