前回は「江戸から東京へ 6〜徳川家康、関東へ・255万石の領土・武蔵〜」の話でした。
織田信長と徳川家康:織田家と徳川家


関東か・・・



三河(愛知県)から、
東海に勢力伸ばして・・・



甲斐(山梨県)・信濃(長野県)を
支配した・・・



織田殿と一緒に、様々な敵と
近畿で戦ってきた・・・


晩年は、結構ずる賢いことをする家康。
若き日々は、信長との同盟を忠実に守り抜きました。
織田家と徳川家の同盟は表面上は「対等同盟」だったものの、現実には上下関係がありました。
特に、織田家の勢力が固まった1575年頃からは、「織田家の家臣」同然だった徳川家康。
とは言っても、「本当の家臣」だった羽柴(豊臣)秀吉よりは、家康の方が「格は上」です。



織田殿と
二人三脚で時代を切り開いてきたが・・・



なんで、
秀吉の家臣に・・・



そして、最後は
関東か・・・
がっかりする家康でした。



家臣たちにも、
申し訳ない・・・
徳川家の新たなスタート
関東地方は、家康も徳川家全体が、ガッカリする程度の価値しかなかったのです。



よく働いてきた家臣には、
相応の領土を与えよう!
これまで苦難の連続だった家康は、前向きになります。



徳川家の
新たなスタートだ!





ところで・・・



徳川殿は、
どこに住みますか?



そうだ!
どこを拠点とするか・・・



そうですね・・・



拠点は、江戸は
いかが?



江戸?
鎌倉に近い小田原、あるいは関東管領だった上杉氏がいた上野は、関東地方の「先進地域」です。
しかし、江戸は大した街ではなく、当時の江戸城は砦程度のレベルでした。



江戸ですか・・・



そう。
江戸がいいですな!



住み慣れた浜松から、
草ボウボウの江戸か・・・
ここで「待つ」家康は、腹を決めます。



分かりました。
江戸へ向かいます。



新しいスタート
ですな!



新しい街づくりするのは、
大変な時間とお金がかかる。



石高は上がっても、
商業は後進地域。



そして、あの強い三河武士と
徳川を引き離せる。
徳川家康の家臣たち
織田家で、家康と度々一緒に戦った秀吉。
当時から、徳川軍の「強さ」は飛び抜けていました。
対して、織田家中核の尾張衆(信長・秀吉の故郷)の「弱さ」もまた、飛び抜けていました。
さらに、本能寺の変以降、徳川家と戦った秀吉。
「数で大きく勝る」秀吉は、事実上敗北しました。



あの時は、苦渋を
飲まされた・・・



これで、徳川家は
大きくパワーダウンする。



何は
ともあれ・・・



新たな
徳川家だ!
気持ちを前向きにして、江戸に向かった家康。





殿、
我らもついてゆきますぞ!



新たな徳川家を
作ろうではありませんか!



三河小さな大名だった
松平家が250万石ですぞ!
家康の家臣団たちは、一致団結して「新たな領地へ向かう」気持ちを家康に伝えます。



お前たち・・・
「人はお金で集まる」と考えた秀吉に対して、朴訥とした三河武士からなる徳川家。
秀吉の死後に、徳川の世となった理由の一つは、徳川家康の「家臣と民衆を大事にする」姿勢だったのでした。
そして、意を決して江戸へ向かった家康一行。
当時の江戸周辺は、現代とは全く違った地形でした。

