東京の成り立ちを知ろう 7〜江戸入府する家康〜|江戸から東京へ

前回は「東京の成り立ちを知ろう 6〜家康、関東へ〜」の話でした。

戦国大名 徳川 家康(Wikipedia)

関東か・・・

三河(愛知県)から、
東海に勢力伸ばして・・・

甲斐(山梨県)・信濃(長野県)を
支配した。

織田殿と一緒に、様々な敵と
近畿で戦ってきた・・・

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

晩年は、結構ずる賢いことをする家康。

若き日々は、信長との同盟を忠実に守り抜きました。

最後は、関東か・・・

がっかりする家康でした。

家臣たちにも、
申し訳ない・・・

関東地方は、家康も徳川家全体が、ガッカリする程度の価値しかなかったのです。

よく働いてきた家臣には、
相応の領土を与えよう!

しかし、これまで苦難の連続だった家康は、前向きになります!

徳川家の
新たなスタートだ!

天下人 豊臣 秀吉(Wikipedia)

ところで・・・

徳川殿は、
どこに住みますか?

そうだ!
どこを拠点とするか・・・

そうですね・・・

拠点は、江戸はいかが?

江戸?

鎌倉に近い小田原、あるいは関東管領だった上杉氏がいた上野は、関東地方の「先進地域」です。

しかし、江戸は大した街ではなく、当時の江戸城は砦程度のレベルでした。

江戸ですか・・・

そう。
江戸がいいですな!

住み慣れた浜松から、
草ボウボウの江戸か・・・

ここで「待つ」家康は、腹を決めます。

分かりました。
江戸へ向かいます。

新しいスタートですな!

新しい街づくりするのは、
大変な時間とお金がかかる。

石高は上がっても、
商業は後進地域。

そして、あの強い三河武士と
徳川を引き離せる。

織田家で、家康と度々一緒に戦った秀吉。

当時から、徳川軍の「強さ」は飛び抜けていました。

対して、織田家中核の尾張衆(信長・秀吉の故郷)の「弱さ」もまた、飛び抜けていました。

さらに、本能寺の変以降、徳川家と戦った秀吉。

「数で大きく勝る」秀吉は、事実上敗北しました。

あの時は、苦渋を
飲まされた・・・

これで、徳川家は
大きくパワーダウンする。

何はともあれ・・・

新たな徳川家だ!

気持ちを前向きにして、江戸に向かった家康。

当時の江戸周辺は、現代とは全く違った地形でした。

1590年ごろの江戸(新教育紀行)

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次