前回は「江戸から東京へ 7〜江戸入府する家康・田舎の江戸・江戸の地形〜」の話でした。
全く異なる江戸湊(湾)と東京湾

現代の東京都は全く異なる地形だった、かつての東京=江戸。
戦後の高度成長期に、東京湾の多数の埋め立てを行いました。
その時に「東京の骨格が変化した」とも言えますが、実はそれよりも「大きな変化」が江戸時代にあったのです。
現代と比較してみましょう。

家康が江戸に入った頃の上の地図で、最も特徴的なのは、なんでしょうか?
海や川の面積が、
全然違う!
東京が開発が
進んでいるのは知っていたけど・・・
こんなに違うとは、
思わなかったわ。
この日比谷入江って、
何?
広大な海も気になりますが、この日比谷入江は気になりますね。
「地形の違い」は「思考力を問う問題」でご紹介します。
ここでは、歴史的な流れを考えてゆきましょう。
征夷大将軍と関東・鎌倉


住み慣れた浜松から
江戸か・・・


当時、京周辺と比較して、ド田舎だった関東。
歴史的には、関東は非常に由緒ある土地です。


日本で初めての武家政権・鎌倉幕府が誕生した地が、関東です。
幕府といえば「征夷大将軍」です。
後に徳川幕府となり、最後の将軍に至るまで「征夷大将軍」でした。


征夷大将軍の元々の立場は「蝦夷を征伐」する官職でした。
征夷大将軍となった人物では、坂上田村麻呂が有名です。
そもそも、「国家のボス」は関白・太政大臣でした。
太政大臣・平清盛


武士として、初めて太政大臣になった平清盛。
そして、平清盛の死後、平家と死闘をくる広げて天下を取った源氏の頭領・源頼朝。



平氏を倒したぞ!



これからは、
源氏の世だ!
そして、頼朝は朝廷に対して、「天下を納める官職」を求めます。



私を大将軍に
して下さい。
「大将軍」という役職がないので、困った朝廷。
大将軍などという
役職はない・・・
源氏のために、
「新たに役職を作る」のも、なんだのう・・・
いくら武家が武力を持っているとはいえ、朝廷の方が遥かに立場は上です。


源頼朝が権力を握りつつある中、当時の天皇は後白河天皇です。
平清盛とも散々やりあい、強力な政治力を発揮した後白河天皇。



平家を倒した功績は、
認める!



朝廷には朝廷の
プライドがある。



だが、無碍には
出来ぬのう・・・