「事変」と「戦争」の違い〜宣戦布告の有無と日本語の解釈・対米英戦の大日本帝国の詔勅=宣戦布告文・天皇から国民への宣言〜|日本の歴史の本質

前回は「天皇皇后両陛下の硫黄島訪問〜第二次世界大戦後80年の節目・「超絶死闘」の硫黄島の戦い・歴史に興味を持つ姿勢〜」の話でした。

目次

「事変」と「戦争」の違い:宣戦布告の有無と日本語の解釈

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左上から時計回りに、ヒトラー独総統、ルーズベルト米大統領、スターリン・ソ連最高指導者、東條英機首相(Wikipedia)

1939年に勃発した第二次世界大戦。

当初は、第二次世界大戦は「欧州全土の大戦争」でした。

当時の大日本帝国は、中国などで大規模な戦争をしていましたが、

大日本帝国

支那(当時の中国の呼び方)で、
大規模な戦争を続けているが・・・

大日本帝国

支那を屈服させて、
ある程度の領土を得られれば良い・・・

大日本帝国

そのためには、宣戦布告はせずに、
「事変」ということにしておこう・・・

隣国の中国(当時は「支那(しな)」の名称)の侵略を継続していた大日本帝国は、宣戦布告をしませんでした。

大日本帝国

「事変」は「戦争」とは
大違いだから、これで良い・・・

そのため、現在の日本の歴史教科書や書籍において、「日中戦争」を「支那事変」と呼ぶことがあります。

明らかに戦争であった状況でしたが、大日本帝国は「事変」という言葉で通す姿勢だったのでした。

男子小学生

支那事変って
呼び方は、そういう意味だったんだね・・・

女子小学生

それじゃ、満州事変
同じ意味なのかな・・・

新教育紀行
満州国(Wikipedia)

主に陸軍・関東軍の暴走で引き起こされた満州事変もまた、「日本側の解釈」として「事変」です。

一方で、「世界の視点」から見れば、満州事変も支那事変も、どう考えても「戦争」でした。

この「事変」と「戦争」の解釈もまた、日本らしい「曖昧さ」があります。

そして、見方によっては「都合の良い解釈」とも言えます。

実際、「事変」という言葉の語感は「多少大規模な事件」という感じで、「戦争」とは大違いです。

女子小学生

確かに「事変」では、
戦争という感じはしないね・・・

この意味で、ずっと継続していた日中戦争は、大日本帝国にとっては、

大日本帝国

我が国は「事変」を
継続しているのであり、「戦争」ではない!

「戦争ではない」姿勢を、国家として持っていました。

この頃、中国のかなり広い部分を占領し、南京政府首都・重慶などを爆撃し続けていた大日本帝国陸海軍。

帝国海軍軍人A

ここは、宣戦布告して、
はっきりと「戦争」にした方が良いのでは・・・

帝国陸海軍軍人の中には、「宣戦布告した方が良い」という意見の持ち主も多数いたのが現実でした。

対米英戦の大日本帝国の詔勅=宣戦布告文:天皇から国民への宣言

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真珠湾を奇襲攻撃する日本海軍(歴史街道2021年12月号 PHP研究所)

そして、日米交渉が行き詰まり、追い詰められた大日本帝国は、真珠湾奇襲攻撃に踏み切りました。

この「大日本帝国が追い詰められた」事実に関しては、現在でも解釈が様々です。

ルーズベルト

Japan(大日本帝国)には、
石油を禁輸する!

事実上「原油生産ゼロ」の大日本帝国と、「原油生産力世界トップ(70%程度)」の圧倒的米国。

このルーズベルト大統領の「超強硬姿勢」は、大日本帝国の「南部仏印進駐」への「答え」でした。

ルーズベルト

Japanが、どんどん
侵略をするならば・・・

ルーズベルト

我がUS(米国)は、
戦争の最重要資源の原油は出さん!

米国の大日本帝国に対する「原油禁輸」は、1941年8月1日のことでした。

それから、4ヶ月ほど経過した後の1941年12月8日(日本時間)に勃発した真珠湾奇襲攻撃。

ここにいたり、「事変」を継続していた大日本帝国は宣戦布告に踏み切りました。

真珠湾奇襲攻撃に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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日本の対米英宣戦布告の詔勅(国立公文書館)
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日本の対米英宣戦布告の詔勅(国立公文書館)
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日本の対米英宣戦布告の詔勅(国立公文書館)
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日本の対米英宣戦布告の詔勅(国立公文書館)

当時、対米戦開始時の大日本帝国のトップは、東條英機首相ではなく、昭和天皇でした。

大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)

大日本帝国政府に君臨し、大日本帝国陸海軍の総本山=大本営を管轄する大元帥であった天皇(陛下)。

この昭和天皇の「正式な辞令=詔勅」が、対米戦争の宣戦布告でした。

大日本帝国

神々の助けを得て万世一系の皇位を引き継ぐ大日本帝国天皇が、忠誠心に厚く勇敢な国民に明確に示す。

大日本帝国

私はここに米国と英国に対して、
戦争を行うことを宣言する。

この詔勅は、「天皇から国民への宣言」の形式をとっています。

事実上は、「天皇から国民への指令」という解釈も出来ます。

この「天皇の宣言」もまた、日本らしい曖昧さが残っています。

宣戦布告の対象である米英であれば、

ルーズベルト

我がUS政府が
JapanとGermanyとの戦争を開始する!

チャーチル

我がUK政府は、
GermanyとJapanとの戦争を戦い抜く!

米英政府が、直接「戦争を指揮する」ことになり、そのトップに君臨するのが大統領や首相でした。

当時の大日本帝国と同様に、今も大英帝国には王室があります。

ところが、大英帝国は王室は日本の「天皇・皇室」の立場と異なり、英国首相は強力な権限を持っていました。

対米英宣戦布告の詔勅を経て、大日本帝国は正式に第二次世界対戦へと突き進んでゆきました。

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