記述に強くなる考える力の上げ方と「様々な人間模様」の歴史を楽しく学ぶ姿勢〜早々に岐阜へ本拠地を移動した信長・本拠地の移動を続けた信長・幻の本拠地移動〜|戦国大名の戦略4・中学受験・高校受験・大学受験

前回は「記述問題の書き方がわかる勉強法〜「相手が見えない」記述問題・記述問題を難しく考えない姿勢・「当事者になる」姿勢・織田信長の戦略と革新性を考える・信長になったつもり〜」の話でした。

目次

記述に強くなる考える力の上げ方:「様々な人間模様」の歴史を楽しく学ぶ姿勢

左上から時計回りに戦国大名 武田信玄、織田信長、毛利元就、上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

歴史は
暗記が多すぎて、大変・・・・

暗記ばっかりで、
全然楽しくない・・・

こう感じる方もいらっしゃるでしょう。

「年号・出来事・人物の暗記」科目と考えられがちな、社会の歴史。

暗記ばっかりで、
混乱するよ・・・

年号丸暗記だと、語呂合わせによる「強引な暗記」になる傾向があります。

「語呂合わせ」で覚えても良いですが、「単なる暗記」になると、

面白くない!
楽しくない!

楽しくないから、
勉強もはかどらない!

となりがちです。

「暗記が好き」という方もいらっしゃるかも知れません。

あるいは、「好きなこと」や「好きな分野」ならば、「楽しく覚える」ことが出来ます。

ところが、誰しも「とにかく暗記」は、基本的に「楽しくないこと」です。

「歴史は暗記科目」という考え方ではなく、「歴史は様々な人間模様」と考えましょう。

「単なる人と出来事の羅列」に過ぎないと考えられがちな歴史。

例えば、戦国時代はたかだか数十年の時代であり、受験におけるウエイトは高くありません。

戦国時代だけでなくて、
江戸時代・明治時代とか・・

とても
大変だよ!

どこから
どこまで覚えれば良いのか・・・

今回は、記述に強くなる考える力の上げ方歴史を楽しく学ぶ姿勢を考えてみます。

戦国期で「最も革新性が高い」と思われる織田信長の大戦略を取り上げます。

早々に岐阜へ本拠地を移動した信長

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

桶狭間の戦いの前の織田家・織田信長の領土は、尾張の大部分で30〜40万石程度と考えられます。

この頃、織田のみならず、武田・上杉・毛利などの諸大名たちは盛んに領土拡大を目論みました。

信長は、

美濃を
取るのだ!

奥方(妻)の濃姫の父である斎藤道三が、息子の義龍に殺された美濃。

義父・道三が
私に「美濃を譲る」と遺言した!

この「道三から信長への美濃譲状」に関しては、真偽は定かではありません。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

今川義元を
打ち破ったぞ!

1560年の桶狭間の戦いで、今川義元の首をとって歴史的大勝利を果たした信長。

稲葉山城を
攻撃だ!

尾張をほぼ統一した信長は、「次は美濃」と同年に斎藤氏の本拠地・稲葉山城を攻め立てます。

ところが、当時の斎藤家は織田家よりも強力でした。

ううむ・・・
斎藤家は手強いな・・・

美濃制圧まで、足掛け8年ほどの長い時間がかかりました。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

稲葉山城を
陥落させ、我が城とした!

名前を
稲葉山城から岐阜城に改名する!

ついに美濃を制圧し、岐阜城(稲葉山城)城主となった信長。

この「即、地名を変える」ところが、いかにも信長らしいです。

そして、私の
本拠地を清洲から岐阜へ移す!

なんと、自らの拠点まで移動・移転してしまいます。

本拠地を
移すだって???

は?
なんで?????

そんなこと、
考えたこともない!

この信玄・謙信・元就たちが「考えもしなかった」本拠地移転。

領土が非常に広がったならば「理解できる」本拠地の移転。

ところが、織田家の領土は、まだ「尾張と美濃」二カ国です。

新たな地から、
新たな視点で発展するのだ!

自国に加えて「二カ国目」に領土を広げた時点で「本拠地を移動」した信長の発想は際立っていました。

今日から、新たな
気持ちで!

本拠地を移動って、
意味不明だが・・・

この「本拠地移動」こそが、信長の「他の大名たちと大きく異なる点」でした。

本拠地の移動を続けた信長:幻の本拠地移動

1562-68年頃の勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

尾張と美濃を制圧して「大大名の仲間」となった信長。

とは言っても、当時は他にも多くの大大名がおり、群雄割拠の時代でした。

私の他にも大領土を
持つ大名がいるが・・・

私は、日本の中心である
近畿周辺を領しているのだ!

織田信長は「有力な大大名の一人」に過ぎなかったのです。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

その後、当時の日本の中心であった畿内を中心に急速な勢力拡大を続ける信長。

次は
安土だ!

長篠の戦いで武田氏に痛恨の打撃を与えた頃から「安土城へ本拠地移転」を考えた信長。

余にふさわしい
城を築城するのだ!

岐阜城(稲葉山城)へ移転した9年後の1576年には、築城を開始しました。

上の地図を見ると、ちょうど「織田家の版図(領土)の中央」に位置する安土城。

余が織田家、
そして日本の中心にいるのだ!

信長には、このような考えがありました。

3年もの月日をかけて安土城は1579年に完成し、安土城へ移動した信長。

そもそも、安土城への移動・移転を本格的に指示したのは3年前の1576年です。

次は、余は
安土へ移る!

豪華絢爛たる
城を築城せよ!

ははっ!
お任せを!

長年の心知れたる家臣であり、重臣の丹羽長秀に築城の総指揮を任せます。

安土城天主 信長の館(新教育紀行)

そして、当時世界最先端のヨーロッパ宣教師たちが、

我がヨーロッパが、
世界で最も進んでいるのだ・・・

だが、ヨーロッパにも、
これほどの城はない・・・

というほどの当時「世界一」の可能性がある城を築いた信長。

本能寺の変(Wikipedia)

この安土城への本拠地移動・移転後に、1582年に宿敵・武田氏を滅亡させた信長。

ところが、その直後には「本能寺の変」が勃発しました。

そして、この世から突如消えてしまった戦国の覇王・信長。

実は、最後の「本拠地移転」を考えていたと言われます。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

最後は、一向一揆の本拠地であった、当時の大坂へ拠点を移す気持ちがあったと言われる信長。

大坂への移転で、
余の本拠地移転は完了!

このように信長が「考えていた」と言われます。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

大坂への本拠地移転で「国内の本拠地移転は完了する予定だった」と言われる信長。

日本を全て制圧した後は、
唐へ攻め込むか・・・

のちに秀吉が強行した朝鮮出兵は、そもそもは「信長の発案」という説もあります。

ところが、それらを実現する前に、この世から消えてしまった信長。

もう一度、最後の大きな
本拠地移転を考えていたのだが・・・

天下人 豊臣秀吉(Wikipedia)

私が、信長様の遺志を
継いで、大坂へ!

信長の遺志を継いだ(諸説あり)、秀吉が大阪城に巨大城郭を建築しました。

織田信長ほど頻繁に本拠地移動を実行した大名は、当時存在しません。

本拠地移動は非常に大変なことであり、

本拠地を
移す??

なんで、
そんなことするの??

信玄・謙信・元就たちは「考えもしなかった」ことでした。

実は、信長にはもう一つ「小さな本拠地移転」があります。

その「もう一つ」は、別の機会にご紹介します。

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