鴎外と漱石と柴三郎生んだ留学〜明治政府の「洋学マスター増強計画」・個性あふれる私塾・松下村塾と適塾の根本的違い〜|山川捨松25・人物像・エピソード

前回は「「とにかく欧化」猛推進した明治政府〜大失敗した「岩倉ミッション」・学校設立を強行推進した明治新政府・次々と成立した学校たち・時代は私塾から「学校と大学」へ〜」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

鴎外と漱石と柴三郎生んだ留学:明治政府の「洋学マスター増強計画」

新教育紀行
山川浩 陸軍歩兵大佐(Wikipedia)

1882年に帰国し、「山川塾設立」の相談を敬愛する兄・浩に持ちかけた22歳の咲子(捨松)。

山川浩

咲子、私塾は
とても良いが・・・

山川浩

今、政府は大学などの
学校設立に力を入れている・・・

山川咲子

それじゃ、私塾の時代では
ないのかしら?

山川浩

うむ、個人の方針を強く
反映できる私塾は良さそうだが・・・

山川浩

時代は「欧化」の名の下、
画一的で統一された教育が中心だ・・・

明治五年の学制(文部科学省)

 一 厚クカヲ小学校ニ可用事

 二 遠ニ師表学校ヲ興スヘキ事

 三 一般ノ女子男子ト均シク教育ヲ被ラシムヘキ事

 四 各大学区中漸次中学ヲ設クヘキ事

 五 生徒階級ヲ踏ム極メテ厳ナラシムヘキ事

 六 生徒成業ノ器アルモノハ務テ其大成ヲ期セシムヘキ事

 七 商法学校一二所ヲ興ス事

 八 凡諸学校ヲ設クルニ新築営繕ノ如キハ務テ完全ナルヲ期ス事

 九 反訳ノ事業ヲ急ニスル事

明治政府

学校の整備を
急速に推進し・・・

明治政府

我が国の人材を育て、
欧米の学問を学ぶ人を育てます!

特に、小学校設立を猛烈に推進した明治政府では、「欧米の学問を学べる人材」確保が急務でした。

新教育紀行
幕末の優れた幕臣たち:左上から時計回りに榎本武揚、小栗忠順、川路聖謨、勝海舟(Wikipedia)

江戸時代においても、当時の幕府や各藩には「当時の洋学=蘭学」を懸命に学んだ人材が多数いました。

当時の日本において、蘭学にかなり詳しい人物は多数存在しましたが、

明治政府

昔は蘭学中心だったが、
今は英語こそ洋学!

明治政府

江戸時代にも、洋学に
通じた人物は多数いたが・・・

明治政府

明治の時代には、
洋学に通じた人物を一気に増やす!

明治政府が目指したのは、学校制度や大学の整備によって、「洋学を学ぶ若者を一気に増やす」ことでした。

新教育紀行
左上から時計回りに森鴎外、後藤新平、夏目漱石、北里柴三郎(Wikipedia)

そして、この明治政府の方針のもと、日本から西洋に渡り学んだ俊英たちが多数生まれました。

森鴎外、北里柴三郎、夏目漱石、後藤新平らもまた、ドイツや大英帝国で学んで洋学を吸収しました。

文豪・森鴎外と軍医・森林太郎を一人で演じた森鴎外林太郎の話を、上記リンクでご紹介しています。

個性あふれる私塾:松下村塾と適塾の根本的違い

New Educational Voyage
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに岩倉具視、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通(国立国会図書館)

そして、幕末の頃、会津の中核にいて、その後明治政府に出仕した山川浩。

山川咲子

西洋学は大事だし、
私も学んだけど・・・

山川咲子

なんと言っても
「生きた英語」が大事じゃない?

山川浩

確かに
そうだ・・・

山川咲子

私、英語の発音なら
アメリカの人と同じくらいの自信ある!

確かに、画一的教育の中に「画一的ではない」教育である「山川塾」は、ちょうど良さそうです。

江戸期に多数登場した「私塾」は、現代の「塾」とは意味合いが、かなり異なります。

江戸期、藩校など「藩の名を背負った大規模な教育機関」であった藩校。

そして、それに対して、「個人が設立し、個人の責任のもとでの小規模な教育機関」であった私塾。

新教育紀行
寺子屋(Wikipedia)

寺子屋は、私塾よりも小規模である場合も、より大きな場合もありました。

寺子屋もまた、個人の教育理念のもと、「読み・書き・算盤」の学習が推進されました。

寺子屋の方が、より低学年の生徒対象の学びでした。

新教育紀行
思想家 教育家 吉田松陰(Wikipedia)
吉田松陰

この松蔭の
教えを学びたい方は・・・

吉田松陰

この松下村塾に
入塾してください!

私塾で最も有名なのは、吉田松陰の松下村塾です。

松下村塾は、「吉田松陰学」を学ぶ雰囲気であり、「吉田松陰を師匠とする」塾でした。

いわば「吉田松陰に師事して学ぶ」ことによって、「吉田松陰の弟子」となるのが塾の目的でした。

実は、松下村塾の実態に関しては、維新後に「かなり脚色されて美化された」のが現実です。

新教育紀行
松下村塾卒業生:左上から時計回りに高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、前原一誠(国立国会図書館、Wikipedia)

松下村塾からは、幕末・明治維新を牽引した多数の軍人・政治家を輩出しました。

新教育紀行
医師 緒方洪庵(Wikipedia)
緒方洪庵

蘭学を学びたい
優秀な若者は・・・

緒方洪庵

ぜひ、
この適塾へどうぞ・・・

緒方洪庵が設立した適塾(正式名称「適々斎塾」)もまた、有名です。

同じ私塾ですが、適塾は緒方洪庵設立であり、松下村塾は松蔭の叔父・玉木文之進が設立しました。

玉木文之進に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

適塾は「蘭学解読研究所」のような雰囲気であり、緒方を師とする雰囲気は薄い傾向がありました。

そのため、松下村塾と適塾は根本的な違いがありました。

新教育紀行
適塾卒業生:左上から時計回りに大村益次郎、福沢諭吉、橋本左内、大鳥圭介(Wikipedia)

適塾からも、幕末維新にかけて、優れた軍人、教育者、政治家を輩出しました。

山川浩

私塾は
個性が発揮できて、夢があるが・・・

山川咲子

・・・・・

咲子(捨松)ならば、松下村塾や適塾とは全く異なる雰囲気を持つ、優れた私塾が作れそうです。

山川浩

・・・・・

兄・浩の答えを待つ咲子でした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次