「抹殺されていたかもしれない」日本民族〜涙が「とめどもなく流れた」日・内閣の方針に逆らい続けた阿南陸相の本心・軍部「絶対本土決戦」〜|ポツダム宣言から敗戦の真相61

前回は「「終戦」閣議決定から昭和天皇御裁可へ〜阿南惟幾「わたしの最後のお願い」「詔書深夜発表は不測の事故発生」・大元帥陛下と三名の陸海軍元帥〜」の話でした。

目次

内閣の方針に逆らい続けた阿南陸相の本心:軍部「絶対本土決戦」

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新教育紀行)

1945年8月14日、正式に終戦の詔書が、昭和天皇の御裁可を経て、成立しました。

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

当時、内閣書記官長(内閣官房長官)だった迫水久常は、当時の状況を克明に記録に残しました。

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左上から時計回りに、昭和天皇、鈴木貫太郎内閣総理大臣、阿南惟幾陸軍大臣、梅津美治郎参謀総長(国立国会図書館、
Wikipedia)
阿南惟幾

わたしの最後の
お願いだが、

阿南惟幾

詔書の公表は、夜が明けてからにして欲しいと
思うが、いかがなものだろう。

大日本帝国最後の四か月

私は、この時、
阿南陸相が、

大日本帝国最後の四か月

”最後のお願いだが・・・”と言われた言葉について、
色々な感慨を抱いたのを覚えている。

大日本帝国最後の四か月

鈴木内閣がスタートを切ってから四ヶ月あまり、
日本の内外の情勢は、和平、終戦という

大日本帝国最後の四か月

最終段階へ向かって傾斜していったが、
その間、阿南陸相は、ことあるごとに内閣の方針に逆らい、

大日本帝国最後の四か月

表面では反対論を唱えてきたが、わたしはそのような態度が、
阿南陸相の本心ではないことを看破していた。

大日本帝国最後の四か月

阿南陸相は、血も涙もある武人で、
陛下のお心持をよく了解し、

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理がどんなことを考えているかについても
熟知していながら、

阿南惟幾

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

陸軍部内の暴発を押さえるため一人、
芝居を打っていたと私は思う。

軍部

何が「終戦」なのだ!
我が帝国は、勝つのだ!

軍部

我が帝国が
「降伏へ」だとっ?!!

軍部

ふざけるなっ!
誰だ、一体誰がそんなことを言うのだっ!!!

軍部

我が皇軍は、なお五百万の兵力あり、
米英軍を叩き潰してくれるわ!

軍部

本土決戦で、米英軍に痛撃を与え、
必ず勝ってみせる!

軍部

我が皇軍は、神国・大日本帝国を護るため、
必ず、必ず勝つのだ!

軍部

「敗北」などあり得ず、まして「降伏」など
絶対に、絶対に、あり得んのだ!

主として、帝国陸軍を中核とする軍部は、このような感じであり、「本土決戦」向けて、大勢の将兵は本気で「絶対に勝つ」と信じていたのでした。

現在、「本土決戦の名残」を見ることが出来る、御籠島の話を上記リンクでご紹介しています。

大日本帝国最後の四か月

前に述べた八月十三日の閣議の最中に
陸軍省に電話されたことなど、その良い証左(証拠)だろう。

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理は、かつて、侍従長として、
当時、侍従武官であった阿南陸将と一緒に

大日本帝国最後の四か月

陛下のおそばに仕えていた間柄なので、
その心情をよく理解していたようである。

「抹殺されていたかもしれない」日本民族:涙が「とめどもなく流れた」日

新教育紀行
東京オリンピック1964開会式(Wikipedia)

そして、迫水久常は、1945年から、本書「大日本帝国最後の四か月」を執筆している時点の状況から、当時の様子を回顧し始めます。

大日本帝国最後の四か月

戦後、四分の一世紀以上たった今日、
わたしは、終戦という大事業を成し遂げたのは、

大日本帝国最後の四か月

第一に天皇陛下のご英断と全く
事故をお捨てになったご仁慈によるものであるが、

大日本帝国最後の四か月

それを敢然として実行に
移した鈴木総理、東郷外相、

大日本帝国最後の四か月

率先して海軍部内をまとめて終戦論の
先頭に立った米内海相、

大日本帝国最後の四か月

そして表面上は政府の方針にタテつきながら、
終局的には陸軍の先走りを押さえて、

大日本帝国最後の四か月

自らの生命を捨てることによって
鈴木総理を助けた阿南陸相の五人がいたからである。

ここで、迫水は、「終戦の決め手」として、昭和天皇、鈴木総理、東郷外相、米内海相、阿南陸相の五名をあげました。

昭和天皇は当然であり、そして、鈴木総理以下も、面子的には、当時の「帝国政府トップ」であり、当然と言えば当然です。

ここで、迫水は、最後に挙げた阿南陸相に対して、多くを語り、「阿南あってこそ」を明言しました。

大日本帝国最後の四か月

もし、これらの人々がいなかったら、
日本民族は地球上から抹殺されていたかもしれない、

大日本帝国最後の四か月

と、わたしはしみじみ
思うのである。

2026年現在、私たち日本国民は平和を享受し、自由に暮らしています。

その一方で、迫水久常は「日本民族は地球上から抹殺されていたかもしれない」とハッキリ述べました。

それほど、「緊迫した状況」を超えて「究極的な緊迫状況」にあったのが、1945年8月上旬から中旬でした。

仮に「日本民族は地球上から抹殺されていた」とき、2026年現在、日本民族は「存在しない」ことになります、

現代から見れば「連合軍に降伏するだけ」だった、1945年当時。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

主権者であった昭和天皇自らが、帝国政府・大本営を引っ張り、そして、帝国政府・大本営トップもまた、昭和天皇に付き従い、自らの生命を燃やしながら、「日本存続」に賭けたのでした。

大日本帝国最後の四か月

八月十四日の午後十一時を過ぎてまもなく、
わたしは官邸の総理大臣室で、

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理と
相対していた。

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左上から時計回りに、鈴木貫太郎首相、迫水久常内閣書記官長(国立国会図書館、別冊歴史読本 日本帝国最期の日)
迫水久常

・・・・・

鈴木貫太郎

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

涙がとめどもなく流れ、
どうすることもできない。

大日本帝国最後の四か月

国民服のポケットから
ハンカチーフを取り出して何度も拭いたが、

大日本帝国最後の四か月

あとからあとから涙が
こみあげてくる。

迫水久常

ううっ
・・・・・

鈴木貫太郎

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

拭いても拭いても
あふれ出てくる涙。

大日本帝国最後の四か月

わたしはハンカチーフで
拭くことをあきらめた。

大日本帝国最後の四か月

目の前のイスに腰を埋めている
鈴木総理の顔を見ると、

鈴木貫太郎

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

両の目のふちがはれあがり、
白眼の部分が真っ赤になっていた。

大日本帝国最後の四か月

まもなく八十歳の誕生日を迎えようとする
鈴木総理は、

大日本帝国最後の四か月

四か月あまりにわたる終戦の工作について、
思い出を噛みしめようと考えていたのか、

大日本帝国最後の四か月

しずかに
目をつぶった。

鈴木貫太郎

・・・・・

時は、1945年8月14日午後11時。

この13時間後、1945年8月15日正午に「玉音放送」となります。

そして、事実上、「大日本帝国の終焉」を迎えようとしていた鈴木総理、迫水書記官長、そして、すべての大日本帝国国民(臣民)たち。

大日本帝国最後の四か月

くしゃくしゃになった総理の目から
白い玉がこぼれ落ちる。

大日本帝国最後の四か月

陛下の臣下として最後の力をふりしぼってきた
という満足感があったのかもしれない。

大日本帝国最後の四か月

ほんのしばらくの間だったが、
二人の間を静寂の時が支配した。

連日爆弾が降り注ぐ「異常な人生」が続いていた1945年。

1945年8月14日夜は、「静寂の時」となりました。

この時点では、連合軍と米国は「日本降伏」に沸いていた時期でした。

そして、歴史の大きな転換点となる時期でした。

まもなく、大日本帝国は「正式な降伏=終戦」へと、粛々と進んでゆくことになります。

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