「いとまごいに来た」阿南惟幾陸相〜「鈴木総理の顔をじっと捉えた」阿南の両の目・突然の総理大臣室への来訪・同じ軍人+侍従武官の鈴木と阿南〜|ポツダム宣言から敗戦の真相62

前回は「「抹殺されていたかもしれない」日本民族〜涙が「とめどもなく流れた」日・内閣の方針に逆らい続けた阿南陸相の本心・軍部「絶対本土決戦」〜」の話でした。

目次

「鈴木総理の顔をじっと捉えた」阿南の両の目:突然の総理大臣室への来訪

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左上から時計回りに、鈴木貫太郎首相、迫水久常内閣書記官長(国立国会図書館、別冊歴史読本 日本帝国最期の日、Wikipedia)

1945年8月14日の夜、大日本帝国という国家だった日本は静寂の夜となりました。

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

当時、43歳の若き内閣書記官長(内閣官房長官)だった迫水久常。

迫水は、この頃の記録を丹念に、そして情景あふれる言葉で記録に残して、公開しています。

鈴木貫太郎

・・・・・

迫水久常

・・・・・

名前生年役職
鈴木貫太郎1868年内閣総理大臣
米内光政1880年海軍大臣
梅津美治郎1882年参謀総長(大本営)
東郷茂徳1882年外務大臣
豊田副武1885年軍令部総長(大本営)
阿南惟幾1887年陸軍大臣
昭和天皇1901年天皇
迫水久常1902年内閣書記官長
昭和天皇と政府・大本営大幹部(1945年8月10日)

実に34歳の差があった鈴木貫太郎首相と迫水久常内閣書記官長。

この二人は、陸軍を中心とする軍部に振り回されながらも、最後は軍部を振り回して終戦へとこぎつけました。

迫水久常

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

ほんのしばらくの間だったが、
二人の間を静寂の時が支配した。

大日本帝国最後の四か月

わたしが鈴木内閣発足のときの模様について
思いを馳せていたとき、

首相官邸

コン、コン、
コン・・・

大日本帝国最後の四か月

誰かが総理大臣室の
ドアをノックした。

首相官邸

ガチャ・・・

大日本帝国最後の四か月

ドアのノブに手をかけると
阿南陸相の巨体がそこにあった。

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阿南惟幾 陸軍大臣(Wikipedia)
阿南惟幾

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

軍帽を左の小脇に抱え込み、
阿南陸相は、いかにも軍人らしく、深々と一礼した。

鈴木貫太郎

!!!!!

大日本帝国最後の四か月

ドアをノックする音で鈴木総理も目を開かれたのか、
阿南陸相の顔をのぞきこむように、

大日本帝国最後の四か月

半身を乗り出して
迎えた。

阿南惟幾

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

阿南陸相は、ドアのところから
一直線に鈴木総理の机の前まで足を運んだ。

大日本帝国最後の四か月

いつになく厳しい
表情をしている。

迫水久常

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

わたしは阿南陸相の
気迫に押された。

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理の机の前に立つと、
阿南陸相は再び深々と頭を下げた後、

阿南惟幾

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

物静かな口調で
語り始めた。

大日本帝国最後の四か月

両の目の視線は
鈴木総理の顔をじっと捉えている。

この時の阿南惟幾陸相の佇まいを、迫水は「両の目の視線は鈴木総理の顔をじっと捉えている」と描写しました。

感覚的には「両目でじっと鈴木総理を見ていた」阿南陸相。

「両の目の視線は鈴木総理の顔をじっと捉えている」という描写からは、当時の情景が実にリアルに分かります。

「いとまごいに来た」阿南惟幾陸相:同じ軍人+侍従武官の鈴木と阿南

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皇居(新教育紀行)

1945年8月14日、翌日は「玉音放送」となる日だった大日本帝国。

この時、国民(臣民)のほとんどは、「翌日は昭和天皇の玉音放送による降伏宣言」を知りませんでした。

その一方で、この事実を知る「ほんの一握りの人物」の人たちは、大日本帝国の終焉を肌に感じ、様々な思いを馳せていました。

阿南惟幾

終戦の議が起こって以来、
わたしは総理に対して、いろいろなことを申し上げ、

阿南惟幾

大変ご迷惑を
おかけしました。

阿南惟幾

ここに謹んでお詫びを
申し上げます。

鈴木貫太郎

・・・・・

阿南惟幾

わたしの真意はただ一つ、どんなことがあっても
国体を護持したいと考えただけでありまして、

阿南惟幾

他意があった
わけではありません。

阿南惟幾

この点、どうぞご了解
下さるようお願いいたします。

阿南惟幾

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

阿南陸相の両のほおには、
いつの間にか涙が伝わり落ちていた。

迫水久常

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

私は、その胸中を察して、
もらい泣きした。

大日本帝国最後の四か月

本心では和平を乞い願いながらも、
陸軍の暴発を懸念し、

大日本帝国最後の四か月

これを押さえるため、心にもない
発言を続けてきた阿南陸相の心情を察すると、

大日本帝国最後の四か月

わたしはいてもたっても
いられない気持ちに襲われた。

鈴木貫太郎

ウン、
ウン・・・・

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理は、いちいちうなずきながら、
阿南陸相の言葉を受け止めていたが、

鈴木貫太郎

ウン、
ウン・・・・

大日本帝国最後の四か月

話が終わると、自分の方から
歩き出して、机の前まで身を運んだ。

陸軍と海軍で少し違うとは言え、阿南惟幾陸相と同じ軍人であった鈴木貫太郎首相。

鈴木貫太郎は、二・二六事件では暴発した陸軍将校から、間近から三発銃撃された経験がありました。

二・二六事件における、鈴木貫太郎の話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、帝国海軍とは気質が全く違った帝国陸軍をまとめていた阿南陸相。

更に、1868年生まれの鈴木貫太郎に対して、1887年生まれの阿南惟幾。

実に19歳の年齢差があり、この差は実に、実に大きいです。

鈴木貫太郎

阿南さん、
大変でしたね。

鈴木貫太郎

あなたの気持ちは
よくわかっています。

鈴木貫太郎

国体はきっと
護持されますよ。

鈴木貫太郎

皇室は
ご安泰です。

鈴木貫太郎

なんとなれば、陛下は春と秋のご先祖の
お祭りをご自分の手で、

鈴木貫太郎

熱心に行われて
こられましたからね。

鈴木貫太郎

長い間、本当に
有難う御座いました。

ここで、鈴木首相は「お互い侍従武官として昭和天皇に仕えた」阿南陸相を、大いに労いました。

侍従武官と侍従

侍従武官:帝国陸軍から4名、帝国海軍から3名

侍従武官長:帝国陸軍大将・中将

侍従長:帝国海軍大将・中将

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理がねぎらいの言葉を
かけると、

大日本帝国最後の四か月

阿南陸相は、一と言、
次のように言った。

阿南惟幾

わたしも
そう信じております。

大日本帝国最後の四か月

丁寧に一礼した後、
重い足取りで総理大臣室を出ていった。

大日本帝国最後の四か月

わたしは玄関まで
送って出た。

迫水久常

それでは
・・・

阿南惟幾

それでは
・・・

大日本帝国最後の四か月

戻ってくると、
鈴木総理は、わたしにこう言った。

鈴木貫太郎

阿南陸相は
いとまごいに来たんだよ。

迫水久常

!!!!!

ここで、鈴木首相は、阿南陸相が「いとまごいに来た」とハッキリ言いました。

鈴木貫太郎

・・・・・

迫水久常

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

果たせるかな、
官邸へ帰った阿南陸相は、

大日本帝国最後の四か月

翌八月十五日の未明、
自ら腹をかき切って自決した。

大日本帝国最後の四か月

これによってまさに暴発寸前にあった
全陸軍は、

大日本帝国最後の四か月

冷水を浴びせられたように
沈黙した。

1945年8月15日未明、玉音放送を聴く前に自決した阿南惟幾陸相。

阿南は自決の直前、「最期の挨拶」=「いとまごい」のために、鈴木貫太郎首相の部屋を訪問しました。

軍部

阿南陸相が
自決された、だと・・・

軍部

ま、
ま、さ、か・・・・・

軍部

・・・・・

そして、「軍部トップの阿南惟幾陸軍大臣自決」によって、バシャッと「巨大冷や水」を浴びせられた軍部。

阿南惟幾は、自らの生命をかけて、「陸軍トップとしての矜持」を果たしたのでした。

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