前回は「忘れられない「大西中将の手のぬくもり」〜「終戦へ」米国宣伝ビラ・益々いきり立つ若手将校と不安な国民たち・「第三の原爆」の恐怖〜」の話でした。
いきり立つ米政府と米軍を宥める戦略:同盟通信社の強力な潜在力

1945年7月26 日、大日本帝国政府へ「降伏の条件」を「ポツダム宣言」として通告した連合国。
| 日付 | 出来事 |
| 7月26日 | 連合国、日本政府へポツダム宣言通告 |
| 7月28日 | 日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表 |
| 8月6日 | 広島へ原爆投下 |
| 8月8日 | ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告 |
| 8月9日 | 長崎へ原爆投下 |
| ソ連軍、日本へ侵攻開始 | |
| 8月10日 | 日本政府、連合国へポツダム宣言の確認(条件)通告 |
| 8月12日 | 連合国、確認の回答通告(外務省確認) |
| 8月13日 | 帝国政府、正式に回答を確認 |
ポツダム宣言から18日ほど経過し、この間に帝国政府と米国政府の間で「やりとり」がありました。
米国遅い!
Japanの回答は遅すぎるぞ!
米国の視点では「どう考えても降伏する他に手段がない」中、帝国政府はなかなか「正式回答」しませんでした。
人間同士、あるいは組織同士でも「なんらかの連絡の回答」は早い方が良いのは当然です。
「回答が遅い」ということは、「待っている方」にとっては、不愉快になることが多いです。
「なんとか降伏させたい」米国は、日本国民(臣民)向けて、



終戦になるよう努力する方が
将来のためになるだろう。



日本の皆さん、早く終戦して、
戦争を終わりにしましょう。
日本語で作成した「宣伝ビラ」を空から大量に撒く作戦に出ました。



なんだっ!
このビラはっ!



何が「終戦」なのだ!
我が帝国は、勝つのだ!
この「宣伝ビラ」に対して、軍部は益々いきり立ちましたが、



いったいなぜ、こんなに
Japanの回答は遅いのだ!
今度は、米国が「いきり立ってしまう」状況になってしまいました。



なんとか、なんとか
早く終戦へ・・・





私は、このように判断して、
同盟通信社の長谷川才次外信部長に電話をし、



次の事を
頼んだ。



連合国側は、日本からの回答がなかなか
こないので、新しい作戦活動を始めようとしている。



ついては、海外向け放送で、日本政府の終戦についての方針は、
ポツダム宣言を受諾することに決まっているが、



手続きの上で、ひま取っていて、
回答が遅れているという旨を流して欲しい。



承知
しました。



長谷川部長は、私の意とするところを
汲み取って、すぐ承知してくれた。
ここで、再度、同盟通信社が登場しました。
・1936年設立の社団法人通信社で半官半民(極めて官に近い)
・新聞社へ記事や写真を配信する通信社で、政府主導のニュース映画などを制作
・日本に関するニュース、大日本帝国政府の主張を4か国語で毎日配信
・連合国の通信や電報を受信・傍受して翻訳・解読
・1945年にGHQの命令で解散し、共同通信社・時事通信社・電通に分割(戦争末期は5,500人の社員)
戦時中、「同盟」と略称された同盟通信社は、事実上の「帝国政府のアナウンサー機関」でした。
そして、対外的に「帝国政府の正式な方針」を外国語で発信する強力な潜在力を持っていました。
まずは、独断で「いきり立つ米政府と米軍を宥める」ことにした迫水久常。
ハチの巣をつっついた騒ぎの帝国陸軍:日本放送「即座に打ち返した」米放送


「これで一安心」と思ったはずの、迫水久常内閣書記官長。



ところが、その後が
大変だった。



日本からの海外向け放送が終わってから、
十五分もたたないうちに、



米国の放送は、こちらが流したものを
そのまま電波に乗せて打ち返してきた。
同盟通信社が発信した「大日本帝国は降伏へ」の放送を、たった十五分で打ち返した米国。
ある人、又は組織が発した発言等を「そのまま打ち返す」のは、かなり反抗的な態度です。
しかも「十五分もたたないうち」に、ガツンと打ち返してきた米国。
当然、米政府幹部の許可を受けているはずですが、いくらなんでも「迅速すぎる」対応でした。



何っ!
Japanが降伏の方向、だって?



だったら、早く降伏の
正式回答をしろよ!
要するに、こういう意図があった米国政府。
事実上、「対外スポークスマン」だった同盟通信社の放送。
しかし、あくまで「同盟通信の放送」であり、帝国政府の正式回答とは全く違いました。



我々が求めているのは、
こんな「中途半端な回答」ではない!
同盟通信社の発信を「そのまま打ち返す」のは、米国は「極めて強い喧嘩腰」の態度でした。
いわば、早期降伏を「求めた」というよりも「強要し始めた」と言っても良い米国の姿勢でした。



軍には作戦の必要上、有線、無線の
受信機が数多く設置されている。



米国からの放送を傍受した陸軍省のなかは、
ハチの巣を突っついたような騒ぎになった。
ここで「ハチの巣を突ついた」という表現は使いますが、「ハチの巣を突っついた」という表現は珍しいです。
「っ」の違いだけですが全然イメージが異なり、後者の方が分かりやすく、当時の情景が目に浮かびます。





なんだっ!
この放送はっ!



我が帝国が
「降伏へ」だとっ?!!



ふざけるなっ!
誰だ、誰がこんな放送をしたのだっ!!!



いきりたった若い将校が何人も
首相官邸へやってきて、



書記官長室にいる私を
取り囲み、



なんで、あのような
海外放送をやらせたのか!



いったい、誰が
許可したのか!



と
脅迫する。



・・・・・



私は
知らない。



私は、知らぬ、存ぜぬの
一点張りで、とぼけるより他に手はない。
軍部の脅迫に対して、「知らぬ存ぜぬ作戦」に出た迫水書記官長。



同じ頃、同盟通信社にも陸軍の
若い将校たちが押し寄せ、



おいっ!
これは一体誰の指図なんだっ!



長谷川外信部長を
吊し上げていたということである。
「吊し上げる」という言葉は、なかなか使わない傾向がありますが、この時は「ピッタリの表現」でした。



・・・・・



「書記官長に頼まれた」など
言えぬ・・・



おいっ!
お前、聞いているのか!



いったい誰なんだ!
誰の指図だったんだ!



いったい、お前は
我が皇軍をなんだと思っているのだ!!
歴史の授業では、



日本はポツダム宣言を受諾して
無条件降伏しました。
日本はポツダム宣言を受諾して、あたかも「大人しく無条件降伏した」ように教わることが多いです。
真の歴史は全く違うのであり、玉音放送2日前、日本はこのような大混乱にあったのでした。
この状況から、どのように帝国政府は「ポツダム宣言受諾」して降伏したのでしょうか。

