連合国「日本政府の形は日本国民が決めるべき」〜天皇制の是非と国民の意思・大いにいきり立つ「欧州情勢は複雑怪奇」平沼枢府議長・大混乱の帝国政府〜|ポツダム宣言から敗戦の真相41

前回は「大問題となった「サブジェクト・ツー」〜「制限」か「隷属」か・日本人全員「一億総特攻」掲げた軍部・異例に早期「2日間スピード回答」〜」の話でした。

目次

連合国「日本政府の形は日本国民が決めるべき」:天皇制の是非と国民の意思

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左上から時計回りに、鈴木貫太郎首相、迫水久常内閣書記官長、阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長(国立国会図書館、別冊歴史読本 日本帝国最期の日、Wikipedia)

「ポツダム宣言受諾」によって、「無条件降伏した」と、日本人の小学校の歴史の授業では教わることが多いです。

そもそも、ポツダム宣言は「多数の条件が盛り込まれていた」ため、「有条件降伏」でした。

ただし、「無条件降伏という形式」であったという解釈もあります。

この場合は、「実態としては有条件降伏であり、形式としては無条件降伏」となります。

このあたりの解釈は、人それぞれでも良い、かもしれません。

いずれにせよ、まずは日本人は「ポツダム宣言受諾の真実」を知るべきと考えます。

実は、当時の帝国政府は、「ポツダム宣言をただ受諾」したのではありませんでした。

ポツダム宣言受諾への連合国への確認(条件提示):1945年8月10日

帝国政府においては、常に世界平和の促進を願い給い、今次戦争の継続によりもたらされる惨禍より人類をまぬが占めるため、速やかなる戦争の終結を記念し給う天皇陛下の大御心に従い、数週間前、当時、中立の関係にあったソビエト連邦政府に対し、敵国との平和回復のため、斡旋を依頼したが、不幸にして、この帝国政府の平和招来に対する努力は実を結ばなかった。

ここにおいて、帝国政府は、天皇陛下の一般的な平和克服についての御祈念に基づき、戦争の惨禍を出来る限り速やかに終止させたいと思い、次の通り決定した。

帝国政府は、昭和二十年七月二十六日、ポツダムにおいて、米英支三国首脳により発表せられ、その後、ソ連邦政府の参加をみた共同宣言に挙げられた条件の中を、右の宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないことを了解の基に受諾する。

帝国政府は、このように了解して誤りないことを信じ、本件に関する明らかな意向が速やかに表示せられるよう希望している。

ポツダム宣言受諾の前に、「連合国に確認=条件提示」をしていたのが事実です。

連合国の正式回答:1945年8月12日(外務省着時刻、帝国政府幹部が知ったのは13日早朝)

ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。

一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)おかれるものとする。

二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。

三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。

四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。

五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。

そして、2日後に素早く、連合国(主に米国)は回答を、帝国政府に通告しました。

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
陸軍

これは、「制限」ではなく
「隷属」と訳すべきだ!

陸軍

これでは、国体の護持は
事実上できない!

連合国回答に対して、このように主張し、「奴隷同然になる」と、いきり立っていた陸軍。

大日本帝国最後の四か月

それよりも、第四項の「日本政府の最終的な形は、
日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする」

大日本帝国最後の四か月

の方が、重大な問題を
含んでいるように思われた。

それよりも、迫水書記官長は、「日本政府の最終的な形の決定」が気になりました。

この文章は、いかにも米国的発想でありました。

トルーマン

今のJapanは、軍部、特に陸軍が
主体となっている、異常な状況だ。

トルーマン

我々が、軍部は解体・除去して差し上げるから、
その後は、Japanの国民の皆さんが、

トルーマン

自分自身で、今後のJapanの政府の
形態を決定するのが、ベストでしょう。

昔から、世界では、王政、共和制など様々な政治形態の歴史がありました。

この「世界の歴史」を鑑みると、

トルーマン

今の天皇制は我々西洋人の視点から考えると、
「不自然」であり「不可解」な点が多い・・・

トルーマン

Japanでは、天皇が長く君臨し続けてきた
歴史は、我々はきちんと把握している・・・

トルーマン

だが、そもそもJapanに、
天皇は必要なのかどうか・・・

トルーマン

これは、日本の国民の皆さん自身が
決めるのが良いでしょう。

トルーマン大統領の発想は、ある意味「正しい」ものでした。

特に、米国流の「米国民主主義的発想」において、は。

ただし、大日本帝国は、米国とは「本質的に全く異なる、異質な国家」だったのでした。

大いにいきり立つ「欧州情勢は複雑怪奇」平沼枢府議長:大混乱の帝国政府

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日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン米大統領(Wikipedia)

「大人しく受諾する」と考えていたであろう、トルーマン大統領。

そして、いかにも「民主的」であった回答でした。

翻訳にもよりますが、戦時中であることを考えると、それほど厳しくない回答でした。

ところが、この「連合国回答」をめぐり、帝国政府は大論争が続いたのでした。

大日本帝国最後の四か月

わたしは、日本国民の自由に
表明する意思、と言うことになれば、

大日本帝国最後の四か月

形式的には、天皇制の存在が
国民の意思によって左右されるように解釈され、

大日本帝国最後の四か月

国体の本義に反するという
議論が出てくるのではないかと思った。

大日本帝国最後の四か月

わたしは、国民の意思は、天皇の大御心に帰一し、
天皇は国民の意志をもって、ご自分の意思とされるのが、

大日本帝国最後の四か月

日本の実体であって、
両者は決して二つに対立することなく、

大日本帝国最後の四か月

常に同一であるという信念を持っていたので、
国民の意思という表現は、いかにも外国流であるが、

大日本帝国最後の四か月

そんなに気にすることは
ないと考えた。

迫水久常

国体の本義には沿わないが、
まあ米国流だから・・・

気にはなったものの、もはや「議論している時間はない」状況だった当時の日本。

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平沼騏一郎 枢密院議長(Wikipedia)
大日本帝国最後の四か月

しかし、これについては、まず
平沼騏一郎枢密院議長が取り上げ、

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理を
訪ねてきた。

ここで、「連合国への確認=条件提示」の際に、文章変更を指示した平沼議長が再登場しました。

大日本帝国最後の四か月

平沼さんは、

平沼騏一郎

先方の回答をそのまま受け入れると、
日本の国体は護持されないので、

平沼騏一郎

もう一度照会して、天皇制の存続について、
はっきりした回答をもらうべきだ!

大日本帝国最後の四か月

と、
鈴木総理に迫った。

ここで「迫った」と迫水が表現しているのは、平沼議長が、相当いきり立っていたのでしょう。

1939年1月5日から、同年8月30日まで、半年余りの間、総理大臣を務めた平沼騏一郎。

「絶対に同盟はありえない」、いわば「水と油」だった、ドイツ第三帝国とソ連の独ソ不可侵条約締結に対し、

平沼騏一郎

!!!!!

平沼騏一郎

独逸(ドイツ)が、ソビエトと
不可侵条約、だと・・・

平沼騏一郎

欧州情勢は
複雑怪奇!

このような「迷言」を残して、内閣を投げ出してしまった人物でした。

ところが、1945年の「ポツダム宣言受諾」の際には、異様なまでに勝ち気だった平沼議長。

ただでさえ、統制を取るのが極めて困難な中、さらに平沼議長がいきり立ち、大混乱となりました。

とにかく、混乱を極める状況となった帝国政府・大本営。

玉音放送まで、残りわずか2日。

迫水久常

どのようにして政府と軍部を
まとめてゆくか・・・

ここから、どのように、どのような条件において、日本は降伏へ向かっていったのでしょうか。

次回は上記リンクです。

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