前回は「対日強硬派バーンズ国務長官「バーンズ回答」〜「もう一度照会の電報」求めた軍部の猛反対・大問題「第一項と第四項」・迅速な米国とスローな日本〜」の話でした。
日本人全員「一億総特攻」掲げた軍部:異例に早期「2日間スピード回答」

ほとんどの日本人が知っている「ポツダム宣言」。
そして、「ポツダム宣言を受諾して日本は無条件降伏した」と、小学校などで習った方が多いはずです。
帝国政府においては、常に世界平和の促進を願い給い、今次戦争の継続によりもたらされる惨禍より人類をまぬが占めるため、速やかなる戦争の終結を記念し給う天皇陛下の大御心に従い、数週間前、当時、中立の関係にあったソビエト連邦政府に対し、敵国との平和回復のため、斡旋を依頼したが、不幸にして、この帝国政府の平和招来に対する努力は実を結ばなかった。
ここにおいて、帝国政府は、天皇陛下の一般的な平和克服についての御祈念に基づき、戦争の惨禍を出来る限り速やかに終止させたいと思い、次の通り決定した。
帝国政府は、昭和二十年七月二十六日、ポツダムにおいて、米英支三国首脳により発表せられ、その後、ソ連邦政府の参加をみた共同宣言に挙げられた条件の中を、右の宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないことを了解の基に受諾する。
帝国政府は、このように了解して誤りないことを信じ、本件に関する明らかな意向が速やかに表示せられるよう希望している。
実は、当時の日本政府=帝国政府は、ポツダム宣言に対して、上記の条件提示を行いました。
時は、1945年8月10日で、後世の視点から見れば「玉音放送の5日前」でした。
ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。
一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)におかれるものとする。
二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。
三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。
四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。
五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。
そして、2日後に、連合国(主に米国)から、「日本の条件提示に対する回答」が届きました。
時は1945年8月12日で、日本の条件提示の2日後でした。
| 日付 | 出来事 |
| 7月26日 | 連合国、日本政府へポツダム宣言通告 |
| 7月28日 | 日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表 |
| 8月6日 | 広島へ原爆投下 |
| 8月8日 | ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告 |
| 8月9日 | 長崎へ原爆投下 |
| ソ連軍、日本へ侵攻開始 | |
| 8月10日 | 日本政府、連合国へポツダム宣言の確認(条件)通告 |
| 8月12日 | 連合国、確認の回答通告(外務省確認) |
| 8月13日 | 帝国政府、正式に回答を確認 |
ポツダム宣言受諾から、「確認(条件)通告」まで、15日ほどかかった日本。
トルーマンJapanの皆さん、
これが私たちの回答です。
それに対して、連合国、というよりも米国は「たった2日」で回答しました。
このスピードの違いもまた、「日本と米国の違い」であると考えます。
小学生から高校生の方々には実感湧かないかも知れませんが、「会社同士の回答」でも「2日」は早いです。
もちろん内容にもよりますが、「大きな(規模、金額等)契約の話」は、「2日で回答」は、ほぼありません。
大抵の場合、1週間程度は、正式回答まで時間がかかります。
「勝者・これから支配する側」であった米国にとって、当時の大日本帝国より回答は楽な立場でした。
その意味では、「短期間での回答」は、「無理がない立場」ではありました。
その一方で、回答次第では、



徹底
抗戦だ!



一億総特攻を
敢行するのだ!
帝国陸軍を初めとする軍部が、徹底抗戦を続ける可能性がありました。



これ以上、我が国の若者たちの
死者は増やしたくない・・・
その場合、米軍側もまだまだ死者が増えることになるため、内容に極めて配慮したはずのトルーマン大統領。
ちなみに、「一億総特攻」は、当時の軍部の「スローガン」です。
当時、8,000万人程度だった日本の本国(内地)の人口は、「およそ1億人」でした。
そして、「本国の日本人全員が特攻する覚悟」を、軍部は主導していたのでした。
軍部だけの特攻だけでも、欧米社会においては「十分に信じられないこと」でしたが、



我が日本人全員が
特攻する精神ならば勝てる!
「女性も子どももご年配の人も全員特攻」精神で「真剣に活路を見出そうとしていた」のが当時の軍部でした。
現在の観点からは、「信じられない」を超えて、「どうしてこうなるのか」理解不能な状況でした。
単純計算で、「7倍から8倍のスピード回答」を提示したトルーマン大統領。



ポツダム宣言での諸条件に加えて、
これを連合国の条件とします。



悪いようにはしないから、
Japanには、早期に降伏してもらいたい。



そして、お互い戦死者を出すのは、
もうやめようではありませんか。
トルーマン大統領の、こんな声が聞こえてきそうなほど「異常に迅速」な回答でした。
大問題となった「サブジェクト・ツー」:「制限」か「隷属」か


この頃の状況を、当時内閣書記官長だった迫水久常は、緻密に描写しています。



私は、この正式回答の全文を読んだ時、
第一項の「サブジェクト・ツー」という言葉が気になった。



「制限のもとにおかれる」と訳しているが、
辞書には、色々の訳が書いてある。



果たして、
陸軍の事務当局では、



これは、「制限」ではなく
「隷属」と訳すべきだ!



「隷属」という訳を採用して
奴隷のような立場におかれるのだ、と主張し、



これでは、国体の護持は
事実上できない!



と言って
きた。
「サブジェクト・ツー」とは、英語では”subject to”です。
1. 〜を条件(前提)として(If / Provided that)
2.〜の対象となる / 〜を受ける可能性がある(Liable to / Prone to)
3.〜に従って(In accordance with)
“subject to”を、ネットで調べてみると、上記の3つが主な回答でした。
確かに、日本語のニュアンスとしては、上の「1〜3」は大きく異なる印象があります。



わたし自身は、この
「サブジェクト・ツー」が、法律用語としては、



「なになにすることを妨げず」という場合に
使用されるのが通例となっているのを知っていたから、



陸軍の連中が言うように、
いきり立つ必要はないと考えた。



気にはなるが、「〜を妨げず」程度の
法律用語だから、良いだろう。
怒り心頭の陸軍に対して、「法律用語の解釈」で冷静だった迫水書記官長。



これは、確かに問題点ではあるが、
日本が戦争に負けたのだから、



今更、日本政府の権限が完全無欠のまま
残されないのは、当たり前のことだから、



本質的な問題では
なかった。
迫水書記官長は、「サブジェクト・ツーは、比較的問題ではない」立場でした。



それよりも、第四項の「日本政府の最終的な形は、
日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする」



の方が、重大な問題を
含んでいるように思われた。
「日本政府の最終的な形」が「日本国国民の自由に表明する意思」では、困ると感じました。
この「国民の自由に表明する意思によって決定」は、米国民主主義の根幹とも言えることです。


ところが、米国とは国家の成り立ちが全く異なっていたのが大日本帝国でした。
「日本国国民の自由に表明する意思」が、大いに気になった迫水書記官長。



これは
・・・・・



我が国の国体は、
どうなる・・・
陸軍がいきり立っている中、1945年8月13日の帝国政府は、大騒ぎとなりました。



こんな回答で、
降伏なんか出来るか!
この時、後世の視点から見れば、「玉音放送2日前」です。
ところが、場合によっては「戦争続行」の状況となりました。
ここから、どのように、当時の帝国政府は「終戦=敗戦」に持っていったのでしょうか。
次回は上記リンクです。


