対日強硬派バーンズ国務長官「バーンズ回答」〜「もう一度照会の電報」求めた軍部の猛反対・大問題「第一項と第四項」・迅速な米国とスローな日本〜|ポツダム宣言から敗戦の真相39

前回は「「連合国正式回答」約12時間秘匿した外務省の思惑〜軍部「外務省は害務省」・「まずは丸呑み」決定の連合国回答・続く「正式ルート」前の海外放送〜」の話でした。

目次

対日強硬派バーンズ国務長官「バーンズ回答」:迅速な米国とスローな日本

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左上から時計回りに、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外務大臣、迫水久常内閣書記官長、松本俊一外務次官(国立国会図書館、別冊歴史読本 日本帝国最期の日、Wikipedia)
ポツダム宣言受諾への連合国への確認(条件提示):第二電(正式文)

帝国政府においては、常に世界平和の促進を願い給い、今次戦争の継続によりもたらされる惨禍より人類をまぬが占めるため、速やかなる戦争の終結を記念し給う天皇陛下の大御心に従い、数週間前、当時、中立の関係にあったソビエト連邦政府に対し、敵国との平和回復のため、斡旋を依頼したが、不幸にして、この帝国政府の平和招来に対する努力は実を結ばなかった。

ここにおいて、帝国政府は、天皇陛下の一般的な平和克服についての御祈念に基づき、戦争の惨禍を出来る限り速やかに終止させたいと思い、次の通り決定した。

帝国政府は、昭和二十年七月二十六日、ポツダムにおいて、米英支三国首脳により発表せられ、その後、ソ連邦政府の参加をみた共同宣言に挙げられた条件の中を、右の宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないことを了解の基に受諾する。

帝国政府は、このように了解して誤りないことを信じ、本件に関する明らかな意向が速やかに表示せられるよう希望している。

1945年8月10日に、帝国政府から連合国に発した「ポツダム宣言受諾の事前確認」の通知。

これに対する「連合国回答」を、8月12日に海外放送傍受で知った帝国政府。

東郷茂徳

当方の了解事項は承認されたもの、
と解釈すべきである。

東郷外相は、このように「丸呑みすべき」論を語りました。

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに阿南惟幾 陸軍大臣、米内光政 海軍大臣、豊田副武 軍令部総長、梅津美治郎 参謀総長(国立国会図書館,Wikipedia)
阿南惟幾(架空)

これは正式な
外交ルートの回答ではないから・・・

梅津美治郎(架空)

検討は、正式な外交ルートの
回答後ではないか。

頑強に抵抗していた軍部も、「検討しようがない」と判断し、「事実上放置」した帝国政府。

このあたりの認識は、「なんとも甘い」としか表現しようがありません。

大日本帝国最後の四か月

八月十三日早朝、
日本がポツダム宣言を受け入れることについて、

大日本帝国最後の四か月

連合国側から、外交ルートを
通じて、正式の回答があった。

大日本帝国最後の四か月

(実は十二日夕刻、外務省に到着していたのを
外務省は隠していた。

大日本帝国最後の四か月

私は少しも
知らなかった。)

そして、2日後である8月12日夕方到着していた「正式回答」を約12時間秘匿した外務省。

内閣書記官長であった迫水久常が、「少しも知らなかった」異常事態でした。

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トルーマン米大統領(Wikipedia)
トルーマン(架空)

Japanの外務省が、我が回答を
12時間秘匿?

トルーマン(架空)

私たちは、出来るだけ迅速に
回答するように努力したのだぞ!

トルーマン(架空)

お前たち、一体
何を考えているのだ?

これらの状況をトルーマン大統領が、もしこの事実を知ったなら、こう言ったのではないでしょうか。

実は、米国政府内部において、「日本への回答」に関しては意見が大きく割れていました。

バーンズ国務長官とスティムソン陸軍長官(元国務長官)の間では、激しいやりとりがあった記録が残っています。

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バーンズ国務長官(Wikipedia)
バーンズ

天皇もJapanの政府も
「連合国最高司令官の制限のもと(subject to)におかれる」だ!

対日強硬派だったバーンズ国務長官は、かなり強めの文章を主導しました。

そのため、上記の連合国回答は「バーンズ回答」とも呼ばれます。

スティムソン

天皇は、Japaneseにとって
根幹的存在である!

スティムソン

天皇に下手に触れると、
Japaneseはいきり立って、戦争続行になってしまう!

バーンズ

いいんだよ!
これくらいのことを言ってやらねば!

こんな感じで、長く日本を見てきたスティムソン陸軍長官とバーンズ国務長官は、やり合いました。

トルーマン(架空)

まとめるのは
結構大変だったんだぞ・・・

おそらく、当時のトルーマン大統領は、「日本への回答」の取りまとめにかなり苦労したと考えます。

何事も「迅速判断」の欧米的発想からすれば、なんともズレていたのが当時の外務省の発想でした。

「もう一度照会の電報」求めた軍部の猛反対:大問題「第一項と第四項」

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
大日本帝国最後の四か月

そこで、私は、鈴木総理に、最高戦争指導会議の
構成員だけを集めて会議を開くことを進言した。

大日本帝国最後の四か月

午前九時、
全メンバーが揃った。

大日本帝国最後の四か月

ポツダム宣言を
受け入れるかどうか、の大事な瀬戸際なので、

大日本帝国最後の四か月

当然、軍側から反対意見が
出されることが予想された。

大日本帝国最後の四か月

反対とは行かないまでも、
時間を引き延ばすために、

大日本帝国最後の四か月

何かと文句を
つけてくるのではないか、と考えた。

今まで、「徹底抗戦」を主張していた軍部が「黙っている」はずがない状況でした。

大日本帝国最後の四か月

私の予想は、
不幸にも的中した。

阿南惟幾

この回答は
呑めない。

梅津美治郎

私も
そう思う。

豊田副武

私も、到底
呑めない。

大日本帝国最後の四か月

阿南惟幾陸軍大臣と
梅津美治郎陸軍参謀総長、

大日本帝国最後の四か月

それに豊田副武海軍軍令部総長が
クレームをつけてきた。

大日本帝国最後の四か月

連合国側の正式回答の中に
曖昧な表現があるので、

大日本帝国最後の四か月

もう一度照会の電報を打ち、ハッキリした答えを
もらうべきだ、というのが軍の一致した意見である。

大日本帝国最後の四か月

米、英、ソ、支(中)の四カ国の
連名で言ってきたポツダム宣言受け入れに対する、

大日本帝国最後の四か月

回答の全文は次の様なものであるが、この中の
第一項及び第四項が問題になった。

連合国の正式回答:1945年8月12日(外務省着時刻、帝国政府・大本営大幹部が知ったのは13日早朝)

ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。

一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)おかれるものとする。

二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。

三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。

四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。

五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。

原文には、「一、から五、」の記載がありません。

問題となった「第一項及び第四項」を明確にするために、筆者が加筆しました。

迫水久常

・・・・・

他の「第二、第三、第五項」は、ある意味では「当然のこと」でした。

問題の「第一項及び第四項」は、現代の視点では「当然のこと」と考える人もいるでしょう。

ところが、当時の日本人にとっては、「絶対に、到底受け入れ難いこと」だったのでした。

その理由は、「日本の国体に関わる根幹的事項」だったから、でした。

次回は上記リンクです。

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