前回は「日本に一方的に宣戦布告したソ連〜「日本軍隊の無条件降伏」拒否・佐藤大使とモロトフソ連外相との会見・杜絶した電報と不気味な流れ〜」の話でした。
「連合国への義務」の大義名分得たソ連:うまく利用された「黙殺=拒否」

本国から、矢のように督促が来る中、佐藤・駐ソ連大使は、モロトフ外相にようやく会えました。

「大日本帝国最後の四か月」では、あまり触れられていませんが、佐藤大使は、
佐藤尚武ソ連を仲介役に
頼むのは、極めて困難な状況です。
このように、本国外務省に「ソ連を頼るのは無理」と、事前から電報を打っていました。
それでも、とにかく本国外務省の指示に従って、モロトフ外相に会いに行った佐藤大使。



ソ連政府は、明日、つまり
八月九日から日本と戦争状態にあることを宣言する。
そして、1945年8月8日、モロトフ外相と面会した佐藤大使は「突然宣戦布告」されました。
実は、スターリン・ソ連書記長は、かなり前から「対日戦争を決意」していました。
このことを、当時、大日本帝国政府は知りませんでした。
・連合国に敵対する大国は日本だけ(当時、大東亜共栄圏の一部の国は日本に従う形式で戦闘中)
・ポツダム宣言を日本は拒否したから、ソ連は仲介役になれなくなった
・連合国から参戦を要請され、ソ連は「各国民のため」に日本に宣戦布告することにした
ポツダム宣言拒否によって、ソ連は「大いなる対日宣戦布告」の大義名分を得ました。





Japanからの、「降伏の調停」の依頼を
我がソ連は、一生懸命検討してきました。



ところが、ポツダム宣言を拒否されては、
どうしようもなく・・・



連合国から、戦争の犠牲者を少なくして、
平和をもたらす提案を受けたので・・・



我がソ連は、その義務に応えるために
やむ得ず、対日宣戦布告します!
端的に言えば、ソ連が日本に対して通告してきた内容は、このような話でした。
このスターリンの主張は、様々な証拠から、大嘘であることが明白となっています。
その反面、文章の表面上からの流れは、確かに「一応理にかなっている」のがソ連からの通告でした。



話し合いってのは色々あるけど、
拒否しちゃったら、どうしようもないでしょ。
ポツダム宣言「黙殺=拒否」は、あらゆる意味で「うまく利用されてしまった」結果となりました。



こ、これは、すぐに本国へ
電報を打たねば!



電報も外出も
ダメです!
佐藤大使たちは、本国への打電も出来ず、閉じ込められました。



佐藤大使からの電報が途絶えたのは、
このような事情によるものである。
迫水久常「からだ中の血液が逆流」:政府メディア統括総本部・同盟通信社





私は鈴木総理の命により、
八日の夕刻から首相官邸内の内閣書記官長室で・・・



翌日の閣議における総理発言の
原稿作りに精を出していた。



九日の午前一時ころ
だったと思う。



同盟通信社の長谷川外信部長が
電話で驚くべきことを伝えてきた。



サンフランシスコの放送によると、
どうやら、ソ連が日本に宣戦布告をしたらしい。



そんなバカな
ことがあるか!



と、何度も
念を押しながら反問した。



本当なのか!?



もう一度、
詳しく調べてくれないか!



間違いないようですね。
さっきから、何回も何回も放送してますよ。



私の五体は怒りに燃え、
からだ中の血液が逆流するようだった。



!!!!!!!!!!!!



原稿書きは終わりに近づいていたが、
あまりの腹立たしさに頭の中がまとまらなかった。



それでも夜が開け始める頃、
どうにか書き上げた。



私が総理の指示を受けるために
小石川丸山町の私邸を訪ねたのは、午前五時ころである。



その時、東郷外相もすでに
来ていた。



我々の報告が終わると、
鈴木総理は重苦しい口調で言った。



とうとうくるものが
きましたね・・・・



沈痛な
面持ちだった。



また暑い夏の一日が
はじまった。



朝食をとり終わった総理は、
腰をあげ・・・



ともかく陛下にご報告を
申し上げてくる。



と言って
皇居へ向かった。



午前九時五十五分から拝謁、
十時半少し前、総理は官邸へ帰ってきた。



その時の模様を鈴木総理は、その著「終戦の表情」の中に
次のように書き付けている。


ここで、迫水久常は、鈴木貫太郎が終戦の翌年に著した「終戦の表情」に触れました。
とにかく、ソ連の「電報封鎖」によって、「自国への宣戦布告」を「米国の放送で知った」大日本帝国政府。
もはや、どうにもならない状況に追い込まれていたことを、如実に示しています。



どうやら、ソ連が日本に
宣戦布告をしたらしい。
迫水久常に直接電話した同盟通信社の長谷川外信部長。
現代でも、大手メディアの部長ともなると、直接、内閣官房長官と話をすることがあるでしょう。
ただし、当時の「同盟通信社」は、単なる「大手メディア」ではありませんでした。
ここで、「同盟通信社」という現代にはない会社に関して、整理しておきましょう。
・1936年設立の社団法人通信社で半官半民(極めて官に近い)
・新聞社へ記事や写真を配信する通信社で、政府主導のニュース映画などを制作
・日本に関するニュース、大日本帝国政府の主張を4か国語で毎日配信
・連合国の通信や電報を受信・傍受して翻訳・解読
・1945年にGHQの命令で解散し、共同通信社・時事通信社・電通に分割(戦争末期は5,500人の社員)
同盟通信社とは、大日本帝国政府のメディアに関する国策会社でした。
つまり、事実上の「大日本帝国政府のメディア統括総本部」でした。
そして、戦争末期には5,500名もの社員を抱えていた大会社でした。
現在の「共同通信社+時事通信社+電通」という超巨大な存在だった同盟通信社。
共同通信社、時事通信社、電通のどれか一社だけでも、とても大きな存在です。
超巨大国策メディア統括総本部だった同盟通信社は、「大日本帝国のスポークスマン」も兼ねました。
同盟通信社は、絶えず外電・外国の通信・電報などに目を光らせていました。
そこで、いち早く「ソ連の対日宣戦布告」をキャッチして、迫水書記官長に伝えたのでした。



人生には、
3つの「坂」がある。



それは、「上り坂」、
「下り坂」、そして「まさか」です。
人生において、「まさか」は、誰にも起きます。



そんなバカな
ことがあるか!
同盟通信社の長谷川部長に対し、こう応えた迫水内閣書記官長。
この時の迫水にとって、「まさか、という表現では到底表しようがない驚愕の超絶極大衝撃」でした。

