島流しの運命で大きく成長した西郷隆盛〜討幕の主役へ・「時代の中心人物」西郷と名補佐役小松帯刀・「能力と胆力随一」の島津久光と「生涯合わなかった」西郷〜|西郷隆盛24・エピソード・人物像

前回は「二度目の島流し・瀕死の西郷と歴史の転換点〜奄美大島からの帰還・大久保たち仲間の支え・因縁の島津久光との対面・性格に大問題があった西郷〜」の話でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

「能力と胆力随一」の島津久光と「生涯合わなかった」西郷

薩摩の視線(新教育紀行)

本拠地・薩摩以外に、琉球など多数の島々を領土としていた薩摩藩。

琉球は当時、独立国であり清国(中国)にも属していました。

そのため、「琉球は薩摩領ではない」のですが、琉球を軍事力で従属させていた薩摩。

「お家騒動」のため、混乱が続いた島津家の事実上の主人は島津久光でした。

島津国父 島津久光(斉彬の異母弟)(国立国会図書館)

島津藩の藩主は
我が息子だが・・・

私が薩摩藩の全ての
実権を握っているのだ!

新教育紀行
左上から時計回りに木戸孝允、坂本龍馬、西郷隆盛、中岡慎太郎(国立国会図書館)

多数の人物がキラ星の如く登場した幕末は、志士だけでなく、大名も大勢の実力者が登場しました。

中でも、島津久光は「能力と胆力では随一」と言ってよい人物でした。

一方で、島津久光には困った点がありました。

私は西郷が
大嫌いなのだ!

それは、「人物の好き嫌いが異常に激しい」ことで、一度「嫌いになったら、絶対ダメ」でした。

その意味では、「性格にかなりの問題があった」島津久光。

薩摩藩士 大久保利通(国立国会図書館)

久光様!
吉之助さぁとお会いください!

当時は、大久保一蔵という名前であった利通は、島津久光の側近でした。

一蔵が言うならば、
会ってやるが・・・

何度も言うが、
私は西郷が大嫌いだ!

あなたのような地ゴロ(田舎者)
では無理です・・・

な、なに?!
お、おのれ・・・

それにも関わらず、絶対君主である島津久光を「わざわざ激怒させた」西郷。

久光様の言うことより、
おいどんが思う通りにやるごわす!

もう良い!
西郷は大嫌いだし、いらんわ!

さらに、「怒っている」島津久光の命令に「わざわざ従わずに独断専行して超激怒させた」西郷。

明治維新の多数の人物の中で「最高」と評されることの多い西郷隆盛。

1928年生まれの西郷は、この時34歳になる頃で「もっと分別を持っているべき」でした。

この点では、西郷は「子どもっぽい」性格であり、ある意味で「自己を貫く」人物でした。

島流しの運命で大きく成長した西郷隆盛

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種子島・門倉崎(新教育紀行)

沖永良部島へ島流しし、
二度と会いたくないわ!

西郷隆盛の二度の島流し

・奄美大島:1859年2月〜1962年2月

・沖永良部島:1862年7月〜1864年2月

特に薩摩藩では、島流しは「珍しいことではなかった」当時。

その中「二回も島流し」であり、しかも「合計四年半」もの間、遥か遠い島で過ごした西郷。

「失意の中、幕府の手から守られる」形だったので「まだ良かった」一回目の島流し。

「二回目」は、座敷牢に閉じ込められて、地獄のような人生を過ごした西郷。

こ、このままでは、
死んでしまう・・・

「死の淵を彷徨う」ような人生が続く中、

西郷さん、大変な苦労でしょうから、
こちらへ・・・

西郷の人物に「感化された」と言われる見張り役の土持政照が同情して、座敷牢を建てました。

有り難か・・・
本当に有り難か・・・

一年半以上のもの間、世間とは隔離された人生を歩んだ西郷。

現代では想像もつかない環境ですが、同様な状況に置かれたら、普通は一ヶ月で精神に異常をきたすでしょう。

実際に、種子島や屋久島などの島を訪問してみると分かりますが、九州とは全然違います。

「島」なので全然違うのは「当然」かもしれませんが、とにかく現代においても全く異なる環境です。

「島の環境」は九州や関東では「決して得られない」環境であり、良い面が多数あります。

この意味では、「島でしばらく過ごすのも良い」かもしれませんが、ほぼ罪人として一年半過ごした西郷。

みんな今頃
どうしているごわすか・・・

他の志士たちが皆八面六臂の活躍をしている中、「やることが大してない」ので考えるしかありません。

おいどんの人生は
ここで終わるごわすか・・・

西郷は、「このまま島で人生が終わる」ことも覚悟していたでしょう。

・・・・・

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松下村塾卒業生:左上から時計回りに高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、前原一誠(国立国会図書館、Wikipedia)

高杉晋作も牢屋に入れられた経験があり、多くの志士たちが挫折を多数経験しました。

「何か新しいことをする」のは、「すんなりいく」ことはほとんどなく、大抵は失敗したり挫折します。

大勢が「挫折に次ぐ挫折」を経験した中、「挫折度No.1」の西郷。

結果的に、この二度目の島流しが西郷隆盛を鍛えました。

そして、島流しの運命によって西郷は大きく、大きく成長し巨大な人物となりました。

討幕の主役へ:「時代の中心人物」西郷と名補佐役・小松帯刀

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薩摩藩家老 小松帯刀(国立国会図書館)

そして、二度の島流しから帰還した西郷は、36歳になる年齢でした。

多大な時間を費やしてしまったが、
これから一生懸命生きるごわす!

この後、大変な大活躍を繰り広げて、一気に「討幕の主役」となり時代の中心人物となった西郷。

この西郷の大活躍の影には、大人物で家老の小松帯刀がいました。

西郷!
万事、そなたに任せたい!

1835年生まれの小松帯刀は西郷の7歳年下ですが、家柄が非常に高く、家老でした。

氏名生年
西郷隆盛1828年
大久保利通1830年
小松帯刀1835年
幕末の薩摩出身の人物たちの生年

そして、その人柄から、島津久光の「お気に入り」だった小松。

西郷は大嫌いだが、
小松は大変良い!

この小松帯刀が西郷をバックアップし続けたからこそ、西郷は「薩摩藩で活躍できた」のが真相でした。

もし、小松がいなかったら、西郷はあのような活躍は出来なかったでしょう。

能力が高く、かなりの大人物だった小松帯刀は、幕末において薩摩藩を主導しました。

そして、「維新の十傑」と呼ばれる人物に小松帯刀が含まれています。

維新の十傑(山脇之人「維新元勲十傑論」)

・薩摩:西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀

・長州:木戸孝允、大村益次郎、前原一誠、広沢真臣

・肥前:江藤新平

・肥後:横井小楠

・公家:岩倉具視

西郷は少し癖があるが、
私は彼を高く評価している!

おいどんを
評価いただき、有難か・・・

「小松に出会えたこと」は、西郷の運命に絶対的な好影響を与えました。

新教育紀行
禁門の変(Wikipedia)

そして、「時代が西郷を求めていた」のでしょう。

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西郷隆盛と勝海舟の談判:江戸城開城(Wikipedia)

一気に「時代の中心」に躍り出た西郷。

この「時代を変える」のは
おいどんの天命ごわす!

新教育紀行
上野戦争:新政府軍と彰義隊の激闘(歴史道vol.15 朝日新聞出版)

おいどんが
薩摩兵を率いて戦うごわす!

超一流の軍人であり政治家であった西郷は、明治維新の原動力となりました。

そして、明治新政府では事実上の首相となって大活躍した西郷。

明治政府において唯一人の陸軍大将(一時は元帥)となり、「軍のボス」であり「明治政府の顔」でした。

新教育紀行
西南戦争(仏紙ル・モンド)(Wikipedia)

最後は下野後に西南戦争を起こして、

もう一度、明治維新を
やり直すごわす!

と猛烈なパワーを放ち続けた西郷。

二度目の島流しから帰還した1864年から1877年までの13年間、強烈すぎる光を放ち続けました。

この「強烈すぎる光」の正体。

それは「西郷隆盛という超越的個性」と「島流しで得た強烈な艱難辛苦」だったのでしょう。

もうここらで
よか・・・

と言って切腹して果てた西郷。

「猛ダッシュで走り続けた」人生もまた、

もうここらで
よか・・・

だったのでしょう。

西郷隆盛の話は一度ここで終え、西南戦争などは別の機会にご紹介します。

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