前回は「日本の旧国名を楽しく覚えよう 3〜近い国と遠い国〜」でした。
昔の地名における「京・山城を中心とした」強い影響がよく分かります。
3回分の明白な影響のある地名を、全て色付けしたのが下の地図です。

昔の日本全体が、見えてきました。
旧国名を大体覚えていらっしゃる方は、この内容を知っておくとより、理解が深まるでしょう。
まだ旧国名があやふやな部分がある方は、このようにイメージしてみましょう。
今の宮崎県、日向は「日に向かう」です。
日向の位置は東は太平洋に開けていて、「東から昇る太陽」を国全体で受けるイメージです。
「東から昇る太陽」は古来から日本が非常に重視していたことです。
聖徳太子が隋の煬帝に「日出づるところの・・・」と書簡を送りました。
今の熊本(隈本)県=肥後は、昔から非常に様々な食物が実る肥沃の地でした。
肥沃の地から「肥」という名前で、「京から遠い」ので肥後です。
豊臣秀吉が天下統一した際に、加藤清正に肥後半国与えましたが、半分で25万石です。

当時、熊本=肥後は一国で50万石ほどあった、非常に生産力が高い国で、日本有数です。
50万石以上の国は近畿圏に多く、近江・美濃・尾張・伊勢・越前、あるいは関東の武蔵です。
そして、清正は豪華壮麗で非常に強固な熊本城を築きます。
城を作るのは技術もさることながら、非常に大きな費用がかかります。
そのコストを出せたのもまた、「肥後が豊かな国だったから」なのです。

今の石川県〜福井県の加賀は「加賀前田100万石」です。
今の奈良県、大和は大和朝廷があったと考えられる場所(諸説あります)です。
今の鳥取県、石見は「石見銀山」という世界的に有名な銀山がありました。
これらのことを知りながら、地名と位置を考えると楽しいですし、覚えやすいです。
そして、京=山城の影響を描いた図が下の地図です。

北海道は昔は蝦夷地と呼ばれていて、明確に政権内で位置付けがされたのは江戸時代に入ってからです。
1600年頃までは「南は九州は鹿児島県まで、北は東北地方の青森県の手前付近まで」が、概ね「我が国(日本)」でした。
ちょうど京・山城を中心とする円にすっぽりと入ります。
地図から見ても「京・山城が日本の中心・重心」であることは合理的です。