前回は「日本の木造城郭と歴史の学び〜「現存十二天守」の一つの松本城・戦国時代などの歴史への興味と日本各地の城の訪問〜」の話でした。
明治維新と新国家の国是「五箇条の御誓文」:「時代の変化」を言葉で

今回は、五箇条の御誓文の話です。

五箇条の御誓文なら、
知ってるよ!



明治維新と同年の
1868年だよね!
小学校・中学受験の歴史において、「常識」であるほど有名な五箇条の御誓文。
ところで、「五箇条の御誓文とは何か」を説明できますか。



「五箇条の御誓文」っていう
言葉は知っているけど・・・



「五箇条の御誓文」が
何か、は考えたことがなかった・・・



「五箇条」だから
五個の文章があるはずだね・・・



「御誓文」だから、
何かを誓約する文書なのかな・・・
「暗記科目」と思われる傾向が強い社会。
・地理
・歴史
・公民
・時事問題
地理も歴史が二大分野であり、他にも公民や時事問題などがあり、ある程度知識が必要です。
すると、「とにかく暗記」と考える人が多いですが、「暗記」では意外と解けない問題が多いです。
例えば、歴史では「年号と出来事・人物」を沢山覚える必要があります。
「ある程度覚えた」後は、「その出来事が起こった流れ」を理解するようにすると良いでしょう。
そのような姿勢の方が、応用問題が解けるようになります。





徳川を倒したから、
新たな国家を作るのだ!



「徳川時代」とは全く
違う国家を、我らの手で!
「新たな国家を一から作る」気持ちで一杯だった、明治新政府の大幹部たち。



まずは、「新たな時代になった」ことを
皆に知ってもらわなければな!
明治に入り、まずは「五箇条の御誓文」を布告し、「時代が変わったこと」を明確にしました。
「時代の変化」を言葉で明確に示すことが、何よりも大事であると考えた木戸たち。



言葉できちんと
整理しよう!
五箇条の御誓文は木戸孝允が中心となり、1868年に布告されました。
この「1868年=明治元年」に急いで布告した点に、「木戸の気持ち」が表れています。
五箇条の御誓文は「国是」であり、いわば「新たな国家の理念」を詰め込んだ言葉でした。



新たな国家には、
新たな理想像が必要だ!
御誓文の基礎作った由利公正:「見切り発車」で発表した木戸たち


「五箇条の御誓文」の原案を作成したのは、福井藩参与であった由利公正(ゆり きみまさ)です。
元は三岡八郎(みつおか はちろう)という名前であった由利は、福井藩の切れ者として有名でした。
写真を見ても、いかにも「頭が良さそう」で自信ありげな雰囲気を持っていた三岡(由利)。





三岡(由利)は、
我が越前藩の宝よ!
越前(福井)藩主・松平春嶽に目をかけられ、とても可愛がられた三岡(由利)。





三岡さんは、
非常に進歩的で、新たな発想を持っている!



三岡さんには、
ぜひ新たな時代の中心人物に!
三岡は、坂本龍馬とも親交がありました。
氏名 | 生年 |
西郷 隆盛 | 1828年 |
三岡 八郎(由利 公正) | 1829年 |
大久保 利通 | 1830年 |
木戸 孝允 | 1833年 |
坂本 龍馬 | 1835年 |
学問に優れ、年齢的にも幕末の志士たちと「ちょうど良い感じ」だった三岡(由利)。



由利さん、
我らの理念をまとめて頂きたい!



私が、「新たな時代への
変化」の言葉を綴りましょう!



私たちの基本理念を全て
詰め込み・・・



一般の民衆にも分かりやすい
言葉にしましょう!
そして、「明治維新が成立した明治元年」1868年4月に、五箇条の御誓文が「公布された」のでした。
ここで、「明治維新が成立した明治元年」と「公布された」に「」をつけたのには理由があります。
そもそも1868年は「時代の移り変わりの時期」であり、明治維新は「過渡期」でした。


この時期、最後の将軍となった徳川慶喜は降伏していましたが、会津戦争の真っ只中でした。
慶喜恩赦と会津戦争に関する話を、上記リンクでご紹介しています。





まだ徳川は
負けてはいない!
欧州に留学経験があり、当時の日本で「最先端の学問」を多数学んだ榎本武揚。



まだまだ我が徳川の力は
残っているのだ!
榎本は幕府の軍艦を指揮して、蝦夷へ向かいました。



我が徳川は、蝦夷で
新たな国家をつくる!
その結果、箱館戦争となります。
榎本たちは、新政府軍から見れば「反乱軍」でしたが、



おいっ!
お前たちが反乱軍だろう!
超正統派であった幕臣・榎本から見れば、「新政府軍こそが反乱軍」でした。
まだ会津戦争も箱館戦争も「終わっていない」状況だった、1868年4月。
後世の視点から見れば「明治元年」ですが、まだ徳川幕府の「慶應四年」でもありました。
そして、明治天皇によって「公布された」形でしたが、まだ「明治天皇の世」かは未決定でした。
それにも関わらず、「新たな世をつくる」ために、木戸たちは、



とにかく、早急に
我らの新たな世をつくる理念を・・・



それを明確に短く、
五箇条くらいで、示すのだ!
一生懸命「五箇条の御誓文」をつくり出して、「半ば無理やり」発表に踏み切ったのでした。



とにかく、早く
発表するのだ!
いわば「見切り発車」の状況で出されたのが、五箇条の御誓文でした。
この五箇条の御誓文は、のちに公布される憲法の「骨格となった」と言って良いでしょう。
次回は、五箇条の御誓文の具体的内容に関する話です。