前回は「維新側の猛将・大山巌と山川咲子〜錦の御旗でノックダウンされた慶喜・「まだまだ戦えた」強力な徳川・「反乱者」だった維新の立役者たち〜」の話でした。

江戸城総攻撃と慶喜の恭順:明治維新という「革命」が向かう先

日本の歴史において、「時代が大きく変わった境界」は何度かありました。
この「時代が大きく変わった」に対する評価は、人によって様々ですが、明治維新は必ず入ります。
明治維新は、日本では数少ない「一種の革命」であり、社会が一変した巨大な出来事でした。
徳川将軍が、270年近く「君臨した」江戸時代と呼ばれる「比較的平和な時代」が続きました。


私は初代将軍
徳川家康だ!
日本史では、徳川家康が徳川幕府を開いた1603年を「江戸時代の始まり」と表現します。
筆者は、豊臣家が滅亡した1615年までは「豊臣・徳川時代」と考えます。
いずれにしても、1615年以降は、「徳川の時代」であり、諸大名・諸侯は「徳川の家臣」扱いでした。
一昔前までは、



薩摩も長州も
私の命令に従え!
薩長含む諸大名の命運は、「将軍・慶喜の一言で決定」であり、徳川将軍が皇帝のような存在でした。



私は会津の山川家に
生まれて、会津・松平家のために!
山川咲子の時代は、「自分の藩のために」と教育され、「藩の上に君臨した」のが徳川将軍でした。



京には天子様が
いるけど・・・



世の中は全て
大樹様・徳川将軍が決めている・・・
この徳川将軍が、なぜか「反乱者集団の薩長に降伏・恭順」する異常事態になりました。





やむを得ん・・・
朝敵は絶対に嫌だ・・・
つい先日までは、「全てを決定する」立場だった慶喜。



なんとか、薩長に
許してもらおう・・・
真逆の「許してもらう」存在になってしまいました。



とにかく、
徳川をぶっ潰す!
そして、西郷隆盛が「官軍・薩長軍」の参謀となり、事実上の「最高意思決定者」となりました。



西郷・・・
重大なことは、こっちと協議だぞ・・・



はっ・・・
軍のことは、吉之助にお任せを!
ところが、「朝廷が最高」の昔の世の中に戻ったので、岩倉たちと常に協議する必要がありました。



とにかく、新たな世を
つくるためには、徳川を木っ端微塵に!



・・・・・



なんとか、江戸城総攻撃は
なしで、許してもらえないか・・・
徳川の影響力が残存しては、「新たな世」はつくれませんでした。



徳川の影響力を
全て消す!



まずは、江戸城を
総攻撃する!
そして、いよいよ「江戸城総攻撃」が決定しました。
会津に向けられた官軍の憎悪のマグマ:慶喜恩赦と「日本的革命」


ここで、「進退極まった」徳川慶喜に「巨大な助っ人」が横に控えていました。



まっ、私は
薩長の新たな世で良いと思うが・・・



私は幕臣であり、
陸軍総裁だ・・・



慶喜様の家臣であるのだから、
慶喜様のために粉骨砕身するのみ!
徳川慶喜とは「犬猿の仲」であった勝海舟。
若い頃から勝は極めて有能でしたが、遠慮せずにズケズケ言うので、慶喜は嫌っていました。



勝よ・・・
全てを任せたい・・・
恭順を決めたものの、「時代の大変化」で心身ともに朦朧とした慶喜は、勝に全てを任せました。



はっ・・・
私が徳川のために、全てを賭けます!
ここで、勝が「幕府側全権」のような存在となりました。





西郷さん・・・
ここは、江戸城総攻撃を止めて頂きたい・・・



徳川が無条件降伏し、
武装解除するなら、考えるごわす・・・



いや、そこはだな・・・
こちらにも条件があってな・・・



まず、慶喜公は悪いことは
していない・・・



慶喜公は謹慎して、
恭順の姿勢を示している・・・



・・・・・



なんとか、慶喜公の
一命を保証して頂きたい・・・



それは虫の良すぎる
要求ごわす!



武士と武士の戦いとなった
今、敵将には死んでいただかなければ!
この「西郷の論理」は「武士と武士の戦いの論理」では正しいものでした。
そして、革命では「敗北する側の大将」は「消される運命」にあるのは、日本も諸外国も同じでした。



そこをなんとか、
こちらも譲歩するところは、しよう・・・
西郷と勝の直談判の結果、将軍・慶喜の生命は保証され、江戸城は無血開城となりました。
実際には「単純な直談判」のみではなく、裏では、



・・・・・



・・・・・
「双方の猛烈な駆け引き」があった結果でした。



なぜ、慶喜を血祭りに
上げんのだ!



我らは、
なんのために戦ったのだ!
ここで、討幕軍の将兵の中から「敵将・慶喜を許す」ことに対して、猛烈な反論が発生しました。
戦争・合戦となれば、必ず戦死する人・負傷する人が出てきます。
「単なる喧嘩」とは違い「身近な人で戦死した」人も出てくる中、慶喜は「責任を取るべき立場」でした。



慶喜に責任を取らせないなら、
誰が責任を取るのだ!
本来は、打首であり、「将軍への儀礼」を配慮しても「切腹」が「最低限のライン」でした。


ところが、ここで、我が日本では「諸外国では見られない現象」が起こりました。



慶喜は
許しておきますか・・・



なぜだ!
我ら長州は、徳川に散々苦しめられ・・・



久坂も高杉も・・・
みんなが、大勢亡くなっている・・・



絶対に、慶喜を
生かすのは認められない!



ここで、慶喜を赦さなければ、
さらに徳川の勢力と戦争が続きますな・・・



今なら、慶喜を降し、我らの世に変えられますが、
この先どうなるか・・・
薩長・官軍の中では猛烈な激論が起こった結果、



確かに、この辺りが
「落とし所」かもな・・・
「最低でも切腹」だった慶喜は、「生命の保障」を受けることになりました。
「日本的革命」によって、穏やかに「大革命」が成就されようとしていました。





我が徳川の
底力を見よ!
慶喜恭順後も、各地で徳川家の勢力が戦い続けましたが、



やむを、
やむを得まい・・・
慶喜と一緒に会津で謹慎していた松平容保もまた、一緒に恭順するつもりでした。



・・・・・



この俺たちの憎悪は
どこへ向ければ良いのだ!



俺たちが命を賭けて戦った
責任を、誰に求めれば良いのだ!



そうだ、京で俺たち
討幕側の武士を殺した会津を潰す!
徳川家のために一生懸命に、京の治安を守った松平容保や会津の藩士たち。
討幕軍の怒りの憎悪はマグマのように煮えたぎり、



会津を木っ端微塵にして、
徹底的に潰してくれるわ!
「怒りの憎悪の矛先」は、会津に集中することになってしまいました。



どんな
世の中になってしまうのだろう・・・
そして、暗くなりつつあった会津は、「天変地異の異常事態」に突入することになります。