前回は「大政奉還翌日の長州藩への「討幕の密勅」〜徳川幕府消滅と討幕・大嫌いな西郷隆盛に軍隊指揮権与えた島津久光・尊皇の島津家〜」の話でした。
詔と勅の違い:詔よりも範囲が広い勅


謎が深まる二枚の「討幕の密勅」の書状。
現代でも当時でも、「重大なこと」は「書面で交付する」ことになっています。
「密勅」というのは「秘密の勅」を指します。
天皇から出される指示には「詔」と「勅」があります。
「詔」と「勅」では、詔の方が上であり、詔は極めて重大な命令・指示の際に使われます。
「討幕の密勅」を出した人物は、後の明治天皇です。
1852年11月生まれの明治天皇・睦仁は、「討幕の密勅」が下された1867年10月は、現代の14歳でした。



後に明治22年=1889年に交付された、明治天皇・睦仁による大日本帝国憲法の写真が上です。
この「詔(書)」は、天皇自らが署名し、多くの場合は正式な押印をします。
大日本帝国憲法に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
対して、「勅(書)」は、「詔(書)」よりも範囲が広いです。
「勅(書)」は、「天皇が伝えた言葉を摂政や関白が伝える」文書です。
天皇自らが伝える「詔」に対して、天皇を輔弼する最高位の人物が伝えるのが「勅」です。
「詔(書)」と「勅(書)」を合わせた「詔勅」もあり、詔勅は非常に限定された場合に使われます。
「討幕の密勅」出した「暴発公家」中山忠能

それでは、「討幕の密勅」を「天皇の代理」で伝えた人物を見てみましょう。
ここでは三名の人物が記載されており、筆頭に「正二位 中山忠能」の名前が見えます。
中山忠能この中山が
天皇に代わって申し伝える・・・
つまり、「正二位 中山忠能」が「天皇に代理で、天皇の言葉を伝えた」のが「討幕の密勅」です。
中学受験〜大学受験の歴史の学びにおいて、中山忠能という人物は登場しないと思われます。
ところが、この「幕末維新を変えた人物」の一人こそ、中山忠能でした。



この中山は、
かつて参議であったのだ!
かつて参議という重職にあった中山忠能は、朝廷で重きをなしており、



私はずっと長州を
支持してきたのだ!
幕末に、暴走を続けた長州を、朝廷内で支持し続けた勢力の一人でした。
挙げ句の果てに、朝廷の重要人物の一人でありながら息子の中山忠光が討幕を企み、挙兵しました。


三条実美ら七名の公家が京都を追放された「七卿落ち」に連座する形で、「差控」の処分を受けた忠能。



それでも私は
長州派です!
この頃、後に「正統派」となる長州藩は、何事においても「ちょっと行き過ぎ」が目立っていました。


その長州藩は「暴発」を超えて、「大爆発」してしまい、禁門の変に至りました。
古来から、日本では時代の転換期において「京が戦場となる」自体は多数ありました。
禁門の変もまた、「京が戦場」の一例とも言えますが、「御所に攻め込む」のは前代未聞でした。





長州藩が
我が御所に攻め込んだ、だと・・・
日本においては、古来から「御所」は「攻め込む対象」であってはならない場所でした。
「攻め込む対象」は、「揉めている同士」の城や陣営・屯所などの「軍同士の戦い」であるはずでした。
それにも関わらず、「天皇がいる御所」に攻め込んだ長州は、単なる「犯罪者・暴徒の集団」でした。



長州は絶対に
許せん!
この「非常事態」を超えて「異常事態」に対して、時の孝明天皇はキレてしまいました。
「天皇がキレる」という事態もまた、日本の歴史において、極めて稀な事態でした。
これは、「キレた天皇」が尤もであり、「御所攻撃」は史上最悪の出来事でした。



長州は
朝敵だ!
そして、長州藩が朝敵となるのもまた「当然のこと」でした。
禁門の変に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「明治天皇の祖父」で復活


何事も、物事は「やりすぎ」は良くないです。
どう考えても「やりすぎた」長州藩。
そして、孝明天皇の「怒りの矛先」は長州以外に「長州の味方」にも及びました。



いい加減
にせよ!



中山忠能は
頭に乗りすぎだ!



我が妻の父親と
言えども・・・



私にも
限界がある!
実は、朝廷内の「暴発公家」の一人であった中山忠能は、孝明天皇の奥さんの父でした。



中山は京都から
追放だ!



は、
ははぁ〜・・・
孝明天皇を怒らせてしまった中山忠能は、京から追放され、一時は一切の政治権力を失いました。
禁門の変の後2年半ほど後、1867年1月に孝明天皇は崩御しました。





中山忠能は
私の祖父なのだ!



中山忠能を
赦す!
そして、即位したのが「中山忠能の孫」であった明治天皇・睦仁でした。



やった!
復活したぞ!
明治天皇の「鶴の一声」で、一発で復活・復権に成功した中山忠能。
「討幕の密勅」を出した人物は、このような「少し曰く付きの人物」だったのでした。



