「いつも軍服」だった真面目な東條英機〜軍服の怖いイメージ・険悪な仲だった陸海軍の親睦会・中国大陸における陸海軍の戦い・1940年の陸海軍大将会〜|東條英機3・人物像・エピソード

前回は「「戦争と大日本帝国の顔」東條英機〜山本五十六と同い年の東條・日本の歴史教育における第二次世界大戦・語りにくい敗戦とアジア侵略〜」の話でした。

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東條英機 内閣総理大臣兼陸軍大臣(Wikipedia)
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1940年の陸海軍大将会

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1940年6月陸海軍大将会(丸 戦争と人物7「参謀本部と軍令部」)

今回は、東條英機の写真をもとに、東條英機の人物像を考えてみます。

上の写真は、1940年 6月に海軍大臣官邸で行われた「第51回陸海軍大将会」の写真です。

当時、大日本帝国は、主に中国で日中戦争(支那事変)を戦っていました。

1941年に開始する対米戦の前で、中国大陸で苦戦を続けるも、それほど切迫していなかった時期です。

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大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)

当時は、「政府と大本営」という二つの異なる組織が国家を運営していた大日本帝国。

米国とは、国家像が全く異なり、この頃は軍部の力がかなり強力になっていた時代です。

男子小学生

陸海軍大将会ということは、
陸軍と海軍の大将のことだね。

女子小学生

軍部の力が強かった、ということは、
当時の日本の国家を動かしていた人、だね。

現在は空軍などもある各国軍隊において、当時は、主に陸軍と海軍で構成されていた各国軍隊。

陸軍と海軍の仲は、どこの国でも「険悪」であり、大日本帝国においては「かなり険悪」な仲でした。

このなか、このように「陸海軍大将会」によって、「陸海軍の親睦会」が時々行われていました。

男子小学生

親睦会、ということは、
一緒に楽しく会かな?

上の写真の前列7名が「大将」であり、文字通り「親睦会」は「仲良くしよう会」でした。

女子小学生

陸軍と海軍の大将同士で、
仲良くする会だね。

対立しがちで、「情報の共有が少なかった」大日本帝国の陸海軍。

諸外国でも「陸海軍の対立」はありましたが、大日本帝国では「別の国家の軍隊」のイメージでした。

険悪な仲だった陸海軍の親睦会:中国大陸における陸海軍の戦い

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1940年6月陸海軍大将会における東條英機(丸 戦争と人物7「参謀本部と軍令部」)

上の「陸海軍大将会」における東條英機の部分を拡大した写真が、上の写真です。

東條英機

まあ、海軍の皆さん、
陸軍と一緒に戦ってゆきましょう!

当時は、対米戦前で、主に中国大陸を戦場としていたため、「陸軍が主力」のイメージが強いです。

一方で、この頃の帝国海軍は、中国大陸で航空隊が猛烈な攻撃・爆撃をしていた時代です。

永野修身

まあ、東條さん、
一緒に支那(中国)を早く屈服させましょう。

すでに帝国海軍の重鎮だった永野修身は、このように朗らかに東條と話していたでしょう。

永野修身

支那(中国)では、うち(海軍)の
山口連合航空隊司令官もおりますしな・・・

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山口多聞 連合航空隊司令官(Wikipedia)
山口多聞

重慶を爆撃して、
蒋介石を屈服させるのだ!

後に第二航空戦隊司令官となる山口多聞は、第一連合航空隊司令官として中国で戦っていました。

ミッドウェー海戦における、山口多聞に関する話を上記リンクでご紹介しています。

「いつも軍服」だった真面目な東條英機:軍服の怖いイメージ

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1940年12月陸海軍大将会(丸 戦争と人物7「参謀本部と軍令部」)

この陸海軍大将会は、半年後の1940年12月にも開催されています。

女子小学生

結構頻繁に
会合を開いていたんだね。

6月の時の写真とは、一部の人物が異なります。

陸海軍の誰かが「大将に進級したお祝い会」も兼ねて、親睦会が開催されていたこともありました。

男子小学生

1940年12月、というと、
対米戦一年前だね・・・

真珠湾奇襲攻撃の一年前で、日米関係が悪化し始めていた時期でした。

一方で、この頃は、まだ「ゆとり」があった時代でした。

女子小学生

みんなスーツを
着ていて、雰囲気が違うね。

6月の時は、和服の人もいたり様々ですが、12月の時は、全員がスーツで共通のスタイルです。

おそらく、6月の時は「自由なスタイル」だったと思われ、

東條英機

私は、常に軍人として、
軍服を着用する!

「常に軍人」という姿勢だった東條英機は、いつも通り軍服でした。

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1940年12月陸海軍大将会における東條英機(丸 戦争と人物7「参謀本部と軍令部」)

12月のスーツ姿の東條英機の写真を拡大したのが、上の写真です。

東條英機

今日は、皆さんと合わせて
私もスーツで・・・

東條英機

いつもは、軍服なのですが、
たまにはスーツも良いですな・・・

真面目、というよりも「超真面目」な性格だった東條英機。

東條は「ほとんどが軍服姿」であり、スーツ姿などは、かなり稀です。

女子小学生

ちょっと
イメージ変わるね・・・

男子小学生

軍服姿と比較すると、
だいぶ優しい感じだね・・・

女子小学生

いつもの東條英機の
イメージより、怖くないかも・・・

実際、上の写真のような人は、比較的珍しいですが、現代でも普通にいそうです。

東條英機

皆さん、
こんにちは・・・

少し強面かもしれませんが、それほど怖いイメージではなく、自然に感じるスーツ姿の東條英機。

このように、服装によって人のイメージは、大きく異なります。

「真面目すぎて、ほとんど軍服」だった東條に対しては、「怖いイメージ」が強いです。

一方で、このように「普通の服の東條」であれば、現代でも受け入れられなくはない雰囲気です。

服装やシチュエーションによって、人のイメージは大きく変わります。

日常生活においても、勉強の際にも、これらを少し意識すると視野が広がるでしょう。

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