明治維新と東京招魂社〜靖国神社の成り立ち・日本人にとって「特別な存在」の靖国神社・多数の死者が出た明治維新〜|日本の歴史と靖国神社1・中学受験・中学高校の学び・社会

前回は「日本人の戦争観と神風特別攻撃隊〜時事問題など受験の基礎知識・戦後日本と「近い過去」の戦前・現代も生きるkamikaze・神風特別攻撃隊の初めての出撃とその後〜」の話でした。

目次

日本人にとって「特別な存在」の靖国神社

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靖国神社の桜(新教育紀行)

今年2024年4月7日、靖国神社の桜を見に行きました。

筆者は歴史が好きなこともありますが、靖国神社が好きで何度も訪問しています。

かつて、会社が靖国神社のすぐそばにあった時期もあり、よくお昼休みに靖国神社を参拝しました。

これまでに数多く訪れている靖国神社ですが、やはり「桜の頃の靖国神社」は格別です。

日本の英霊たちが祀られている靖国神社。

日本では日常会話で、

靖国神社が好きで
よく行くんだけど・・・

と言おうものなら、

えっ?なに?
この人、右翼?

みたいな雰囲気があるかも知れませんが、靖国神社と右翼の方々は無関係である存在です。

靖国神社は、思想に関係なく本来は「日本人全員にとって特別な場所」と考えます。

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靖国神社の桜(新教育紀行)

皇居からすぐ近くにある、靖国神社。

昭和記念公園などの桜もとても美しいですが、靖国神社の桜は違って見えます。

その「違い」の理由。

それは、「満開の美しい桜」という単なる「花の見栄えの違い」ではないようです。

やはり、世界でこの靖国神社にしかない空気感がもたらす「違い」なのでしょう。

「日本の精神の故郷」と表現しても良いのが靖国神社です。

靖国神社を語ることは、諸外国との関係もあり難しい面もあります。

それでもなお、明治維新以来の日本・大日本帝国という国家の基盤がここにあります。

多数の死者が出た明治維新

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

近代日本の大改革・大革命であった明治維新。

世界の革命と比較すると「比較的穏当だった」と表現されることが多いのが明治維新です。

一方で、戊辰戦争では多数の戦死者が出ました。

幕末には、「周囲から袋叩き」にされたと言っても過言ではない長州藩。

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禁門の変(Wikipedia)

禁門の変頃から、長州藩では多数の死者が続発し、多くの方が戦死・切腹する事態になりました。

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下関戦争(Wikipedia)

あまりに加熱しすぎて、「藩全体が発狂していた」状況だった長州藩は、海外とも戦争しました。

1863年には、連合国:英国・米国・フランス・オランダの四カ国艦隊と戦争した長州藩。

長州藩18名
連合国:英国・米国・フランス・オランダ12名
下関戦争の死者

この時は、圧倒的に大砲などの武器が貧弱な中、長州藩は連合国相手に善戦しました。

英国・米国・フランス・オランダの「アジア地域の軍隊」といえども、現在の山口県だけで戦いました。

この時は、合計30名の方が亡くなりました。

「亡くなった方の数」としては、のちの第二次世界大戦などと比較すると「少ない」です。

それでも、大勢の方が亡くなったのが事実です。

その後、薩長同盟が成立し、薩長中心の「官軍」が東へ東へと攻め込み続け、江戸に迫りました。

当時、「事実上官軍のボス格」であった西郷隆盛は、

このまま、江戸城を
叩き潰し、徳川を潰す!!

後世「聖人君子の鏡」のような存在の西郷ですが、この頃はバリバリの軍人でした。

そして、将軍・徳川慶喜の
首をとる!

そして、西郷と勝の話し合いによる「江戸城開城」に至ります。

この「江戸城(無血)開城」の具体的プロセスや要因に関しては、諸説あります。

その後も、会津や函館五稜郭での戦争が続き、大勢の犠牲者が出たのが明治維新です。

明治維新と東京招魂社:靖国神社の成り立ち

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明治天皇(国立国会図書館)

多数の方の流血を経て、成立した明治維新。

それまでは天皇がいたものの「徳川将軍が国家元首」でしたが、「天皇が国家元首」となりました。

明治維新では、
多数の死者が出たな・・・

まあ、なんと言っても
徳川幕府を倒す戦いだったからな・・・

国家のために
殉職した方々を祀る場をつくらねばな・・・

うむ・・・やはり、その場は
東京の中央につくるべきだな・・・

明治維新成立のプロセスは、「日本(大日本帝国)成立」のプロセスでした。

そのため、明治維新で亡くなった方々は「国家のために殉職した方々」となります。

江戸時代までは、「国家のため」という概念は希薄であり「徳川将軍家のため」でした。

この「国家のために亡くなった方々(英霊)を祀る」という精神自体が大きな変革の一つでした。

明治維新によって、「徳川将軍の時代から明治天皇の時代」への大変革が起きたのでした。

江戸時代には、皇居周辺にさまざまな大名屋敷がありましたが、それらを明治新政府は接収しました。

「接収」というと穏やかな感じですが、実際には「没収した」というのが現実です。

明治維新のために殉職した
英霊たちを祀る場は、どこが良いか・・・

新たな東京のシンボルである
皇居の近くにつくろう!

こうして、皇居近くの「東京のど真ん中」につくられたのが、「東京招魂社」です。

1869年のことで、明治維新成立の翌年です。

この頃は、まだまだ戦いが続いていて、やるべきことが山のようにあった明治新政府。

その中、最優先事項の一つとして「東京招魂社」の設立を急いだ明治新政府。

ちょうど10年後の1879年、「東京招魂社」は現在の「靖国神社」と名前を変えました。

戦争名称英霊(柱)
戊辰戦争7,751
西南戦争6,971
日清戦争13,619
日露戦争88,429
日中戦争191,250
第二次世界大戦2,133,915
その他24,649
合計2,466,584
靖国神社の英霊たち

2024年4月現在、2,466,584柱(人)の英霊たちが祀られています。

約246万名もの「英霊たち」が祀られている場・空間が、靖国神社です。

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