日米の科学技術の圧倒的な差〜航空隊と電話できた米国の科学力・攻撃の原動力の若手将校たち・淵田美津雄と源田実・連戦に大きく疲労していた将兵たち・不吉な相次ぐ体調不良〜|山口多聞29・ミッドウェー・能力

前回は「大いに燃える山口多聞〜淵田美津雄の体調不良と飛龍の友永丈一新隊長・満を持しての連合艦隊出撃・第一航空艦隊と戦艦大和・米軍の動き・慎重極めたニミッツ長官の指示〜」の話でした。

山口多聞 司令官(Wikipedia)
目次

攻撃の原動力の若手将校たち:淵田美津雄と源田実

淵田美津雄 第一航空艦隊赤城飛行長(Wikipedia)

真珠湾以降、攻撃隊の指揮をとり「攻撃隊の要」だった淵田中佐。

海兵52期の淵田は、40期山口・41期草鹿の11歳程下で、最前線にはうってつけの経験者でした。

この
大事な時に・・・

本当に
申し訳ない・・・

もう一人、淵田と同期に重要人物がいます。

源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

淵田と同期52期の源田実は「航空隊のプロ」と言われ、第一航空参謀でした。

同期で仲良しだった源田と淵田。

淵田。
航空隊の指揮は任せた!

源田は、
作戦指揮を頼む!

南雲長官を支える草鹿参謀長の下で、作戦の実質指揮を執る源田参謀。

海軍兵学校卒業期名前役職
32山本 五十六連合艦隊司令長官
36南雲 忠一第一航空艦隊司令長官
40山口 多聞第二航空戦隊司令官
41草鹿 龍之介第一航空艦隊参謀長
52源田 実第一航空参謀
52淵田 美津雄第一航空艦隊飛行長
連合艦隊幹部の海軍兵学校卒業期(ミッドウェー作戦)

機動部隊は「南雲艦隊」ではなく、
「源田艦隊」だろ・・・

と言われるほど、非常に大きな権限を持っていました。

まさに当時の日本海軍の優れた将兵が集結した戦いでした。

連戦に大きく疲労していた将兵たち:不吉な相次ぐ体調不良

第一航空艦隊 旗艦 空母赤城(Wikipedia)

まさに、機動部隊の「若手の両輪」と言える淵田中佐と源田中佐。

ミッドウェー作戦開始の頃に、疲労が蓄積して虫垂炎となった淵田中佐。

この
大事な時に・・・

淵田中佐は、手術と療養のために攻撃隊に参加できません。

実は、淵田だけではなく、源田もまた体調を壊していました。

熱があって、
立っているのも辛い・・・

具体的病名は不明ですが、とにかく疲れていたのでしょう。

真珠湾以来、半年ほどの間、太平洋からインド洋まで広大な地域で戦いを続けていたのです。

ミッドウェー作戦地図(歴史街道 2022年8月号 PHP研究所)

しかし、この大事な時、
私がいなければ・・・

源田は倒れそうになりながらも、作戦指揮に加わります。

この最重要作戦の開始後に、「若手の両輪」の不調。

源田と
淵田が体調不良だと・・・

空母機動部隊にとって、致命的な事態でした。

これは・・・

非常に
まずい事態だ・・・

やはり、
皆疲れているのだ。

日米の科学技術の圧倒的な差:航空隊と電話できた米国の科学力

Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官(Wikipedia)

日本よりはるかに科学技術が進んでいた米国。

当時の日本軍では考えられないような最新鋭設備を、米軍はすでに活用していました。

Japanの艦隊を
逐次捕捉せよ!

当時の米海軍では、空母などの艦隊と航空隊が「直接電話で話す」ほど技術が進んでいたのです。

おい、Jack!
調子はどうだ!

バッチリです。
いま、敵艦を索敵中!

対して、艦隊と航空隊が「電話で話すなど考えられない」日本は、電気信号に頼っていました。

無線で電気信号を
送ったが・・・

無事に
届いているのだろうか・・・

国力の違いだけでなく、科学技術の差も非常に大きな日米でした。

「科学立国」と言われてきた日本。

現代でも、米国との差は非常に大きいのかもしれません。

新教育紀行

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