前回は「梅津総長と豊田総長「再照会」要望拒絶の東郷外相〜陸海軍トップと外相サシの会談・関東軍司令官と連合艦隊司令長官・大西瀧治郎の登場〜」の話でした。
高松宮「海軍は陛下のご信用失っている」:皇族の叱責受けた統帥部

梅津美治郎そこをなんとか、
再考して頂きたい。



東郷さん、一緒に我が帝国の
国体を護りましょう。



そういうことは
出来ません!
東郷外相との「最後の話し合い」に来た梅津参謀総長と豊田軍令部総長。
「来た」と言うよりも、「乗り込んできた」感じでしたが、東郷外相は強気に突っぱねました。





豊田軍令部総長に
面会したいのですが。
1945年8月14日になる真夜中の12時頃になって、今度は大西瀧治郎軍令部次長が登場しました。





私が案内すると、大西中将は、三者会談が
行われている閣僚室のドアを開けて一礼し、



軍令部総長のそばへ行って、
大西中将は、こう言った。



いま、高松宮さまにお会いして
きましたが、



宮様は、なんと申し上げても考えを
お直し下さいません。



それどころか、海軍は陛下のご信用を
失ってしまっているので、



もっと反省せよ、と
お叱りの言葉さえ受けました。



・・・・・



言い終わって、大西中将は
うなだれた。


「高松宮」とは、昭和天皇の4歳年下の弟です。
| 名前 | 生年 |
| 伏見宮 | 1875年 |
| 昭和天皇 | 1901年 |
| 秩父宮 | 1902年 |
| 高松宮 | 1905年 |
当時、様々な皇族がいましたが、上の伏見宮、秩父宮、高松宮は、当時の資料に比較的よく登場します。
「皇族は戦争や政治には無関係」が建前でしたが、皇族もまた「戦争に関わっていた」のが事実です。
対米戦初期は、「開戦派」だったと目される、昭和天皇の弟・高松宮。(諸説あり)



海軍は陛下のご信用を
失ってしまっているので、もっと反省せよ!



はっ・・・・・
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄(交戦権否定) |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | いない(自衛隊) |
現代の日本国憲法とは、全く異なる憲法であった大日本帝国憲法。
大日本帝国憲法に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
当時「主権者」であり「現人神」であった天皇は、現在では考えられないほど圧倒的な存在でした。
そして、天皇に連なる皇族たちもまた、極めて強い立場でした。



お前たち軍部は、
もっと反省せよ!



はっ・・・・・
そのため、皇族は大西滝治郎のような統帥部大幹部を「叱責する」ことが出来る立場だったのでした。
この頃、昭和天皇の弟たちもまた、なんとか軍部を抑えようとしていました。
そして、皇室もまた全力で、降伏に持ってゆこうと奮闘していたのでした。
「まだまだ戦争継続!」と考えていた、大西中将としては「面目丸潰れ」の事態でした。
「真珠の玉のような涙」流した大西瀧治郎:説得断念した梅津と豊田


一時は、「世界最強艦隊」であった連合艦隊は、この頃は「ほぼ壊滅」した状況でした。
主たる戦艦・空母は、ほぼ全て米海軍に撃沈された状況であり、戦艦大和もまた1945年4月7日に撃沈。



このまま、
このまま、降伏など出来ん・・・



そんな無様なことを
軍人として出来るか・・・
ずっと戦争に関わってきた、帝国海軍の中心人物の一人だった大西瀧治郎。
「戦争のために存在する」軍人としては、



なんとしても、なんとしても、
敵にもう一度大きな打撃を!
このように考えるのは、ある意味では「当然のこと」でした。



ちょうどその時、
警戒警報のサイレンが鳴り響いた。



これをしおに、東郷外相は
席を立ち、官邸から帰って行った。
東郷外相と、梅津総長・豊田総長の話し合いは、双方の主張が「完全平行線」で終了となりました。





では、
帰りますか・・・



・・・
そうですね・・・



大西中将だけは、書記官長室にいる
私の元へやってきて、握手を求めた。



迫水
書記官長・・・



・・・・



大西中将の両の目には
涙がいっぱいあふれていた。
「両の目には」と「両目には」は同じ意味ですが、前者の方が遥かに情景が伝わります。



両手でわたしの両手を握りしめ、
こう言った。



いつしか、
涙声になっていた。



自分たちは、戦争に勝つために
今日まで真剣な努力を積み重ねてきたつもりだったが、



いま、この最後の段階にきて考えてみると、やはり、まだ、
真剣味が足りなかったような気がして深く反省している。



現在の真剣さをもってすれば、近い将来に局面を
好転させるような名案が浮かぶかもしれないと思っている。



なんとか、ここで戦争を継続するような、
良い考えはないものだろうか。



大西中将は、海軍の特攻隊の
生みの親とも言われた人で、



若い人たちを数多く死地へ追いやった責任を
一身に感じていたのかもしれない。



純粋な心根の持ち主だということを
聞いていたので、



大西中将の流す涙は、ちょうど
真珠の玉のように思われた。



大西中将
・・・・・
| 陸海軍 | 特別攻撃隊出撃者数 | ||
| 陸軍 | 1,689人 | ||
| 海軍 | 4,156人 | ||
| 合計 | 5,845人 |
熾烈な、というよりも、歴史上「信じられない」特別攻撃隊を出撃させた帝国陸海軍。
| 陸海軍 | 航空特攻による戦死者数 | ||
| 陸軍 | 1,417人 | ||
| 海軍 | 2,531人 | ||
| 合計 | 3,948人 |
「必死」の神風特別攻撃隊は、「全員戦死」ではなく、およそ70%程度が戦死となりました。
この理由は、敵が見つからない、或いはエンジントラブル、などで、引き返すことがあったからでした。



なんとか、
なんとか・・・
懸命に「勝つこと」のみを考え続けてきた大西中将にとって、



必ず、必ず、
勝ってみせる・・・



必ず、必ず、我が特攻隊が
敵に痛恨の打撃を・・・
絶対に受け入れられないことでした。
誇りある大帝国だった、大日本帝国の「降伏」は。



・・・・・
その中、大日本帝国は粛々と、確実に、着実に、降伏へ向かっていました。


