前回は「昭和天皇「和平の糸口を切ってはならない」〜軍部「属国になる」「滅亡する」・暴発寸前の軍部と暴れる「複雑怪奇おじさん」と大揺れの帝国政府〜」の話でした。
連合国へ再照会「キッパリ断った」東郷外相:「ヤブからヘビ」の危惧

1945年8月12日に、連合国から「日本政府への回答」が到達しましたが、
梅津美治郎このような条件で和平を
行えば、日本は連合国の属国になり、



一般国民や軍人は、その進むべき方向を失い、
ひいては内部から崩壊が始まり、



日本の国は滅亡するよりほかに
道はありません!



私も、
全く同じ考えです!
軍部は「絶対に受諾反対!」の姿勢でした。
この中、昭和天皇は、極めて冷静に事態を見据えていました。





決して和平の糸口を
切ってしまってはいけない。
当時は、「国家の主権」を持ち「超越的存在」であった天皇。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
現代の天皇とは、全く異なる立場であることが大日本帝国憲法に明記されていました。
ところが、昭和天皇がこのようにハッキリ言明しても、帝国政府・大本営の方針は決まりませんでした。



東郷外相は、皇居へ向かう前に
鈴木総理を訪ねてきた。



この時、総理は外相に対して、
こんな質問をした。





ご存知のように平沼枢密院議長や
阿南陸相たちが、もう一度、連合国側に照会すべきだ、と、



言っているが、
照会の可能性はあるだろうか。



東郷外相は、終戦を達成することで
頭がいっぱいになっていたので、



キッパリ
断った。



今となっては、
照会するのはまずいようです。



ヤブをつっついて、ヘビを追い出すような
ことになるかもしれませんので、



私としては、もう、照会など
しない方が良いと思います。
後世の視点から見れば、実に「真っ当」だったのが東郷外相の意見でした。
ところが、東郷大臣の「真っ当」意見は、軍部には「届かない」状況だったのでした。
再照会論を強硬主張の軍部と「日本の見えない未来」:中臣鎌足以来の内大臣





鈴木総理の質問を聞いて、
東郷外相は、総理が軍部からの突き上げで、



いくらか動揺しておられるのではないか、
と思ったらしい。



皇居へ足を踏み入れた外相は、
まず、木戸幸一内大臣にこのことを報告し、



総理がなんと言おうと、
内大臣は、自分に協力してもらいたい。



と
頼んだほどである。


戦前、というよりも「平安時代の香り」がする内大臣という存在。


日本の最初の内大臣は、藤原(中臣)鎌足という説が有力です。



私が内大臣に就任したのは
645年です!
大化の改新の時期に、内大臣に就任した中臣鎌足は、天皇を強力に補佐する立場でした。
戦前の時代においても、内大臣は「天皇の最大の相談役」でありました。
そのため、内大臣は、総理大臣に匹敵するほどの強力な実権を握っていたのでした。



私は、この時の総理、外相の会見に
立ち会ったが、私の見た限りでは、



鈴木総理の心境に同様の兆しが
あったとは思わない。



むしろ、いつもの通り、淡々として、
一応の質問をし、



これに対する外相の意見を
聞いたに過ぎなかった。
「人の見方」には、多数の可能性があり、特にこのような超緊急時は混乱しがちです。
こうして混乱のままに、1945年8月13日に戦争最高指導会議となりました。



十三日の午前九時から始まった
最高戦争指導会議では、意見が真っ二つに分かれた。
・帝国政府:鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相
・大本営:梅津参謀総長、豊田軍令部総長
・幹事:吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長、迫水内閣書記官長、蓮沼侍従武官長
一度は「特例」として、平沼議長も同席した最高戦争指導会議。
8月13日は、「通常体制」として開催されました。



阿南陸相と梅津陸軍参謀総長および
豊田海軍軍令部総長の三人は、



再照会論を強く主張して
譲らなかった。
ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。
一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)におかれるものとする。
二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。
三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。
四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。
五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。



絶対に
再照会すべきだ!



これでは、
属国になってしまう。



武装解除と駐留も
撤回含め、再照会すべき!



東郷外相は、いつもの
低い声ながら、



再照会をしても不利な材料が
加わるばかりだから、しない方が良い!



と再照会絶対反対論を
唱えた。



鈴木総理と米内海相の二人が
東郷外相の意見に賛成したので、



意見は三対三のまま
平行線をたどった。



会議は、いつ果てるとも
しれない状態になったが、



最後は、みんながもう一度
考えてみようということで散会した。



まあ、もう一度
考えてみましょうか。



まあ、
そうですね。



私も
考えてみます・・・
最後は、それぞれが「もう一度考えてみる」となったものの「三対三」の膠着状態になってしまいました。
やはり、何か物事を決める組織は「奇数であるべき」です。
なぜ、連絡会議の正式メンバーを「6名という偶数」にしたのか。
これは、筆者の視点から考えると、実に奇異なことでした。
「三対三」ならば、どちらかの誰かが「考えを変更する」以外には、多数決が成立しない状況でした。
| 名前 | 生年 | 役職 | 連合国通告への姿勢 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 | 受諾 |
| 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 | 受諾 |
| 梅津美治郎 | 1882年 | 参謀総長(大本営) | 再照会 |
| 東郷茂徳 | 1882年 | 外務大臣 | 受諾 |
| 豊田副武 | 1885年 | 軍令部総長(大本営) | 再照会 |
| 阿南惟幾 | 1887年 | 陸軍大臣 | 再照会 |



・・・・・
鈴木首相としても「どうしようもない」状況となってしまいました。
1945年8月13日、玉音放送まで「あと二日」の中、帝国政府・大本営は先が見えない状況でした。
次回は上記リンクです。


