鈴木貫太郎の「総まとめ」に突き進む決意〜命懸けの東條英機面会要請即却下・大日本帝国への回答を「独断遂行」した米国・他の三カ国へは通告のみ〜|ポツダム宣言から敗戦の真相44

前回は「再照会論を強硬主張の軍部と「日本の見えない未来」〜中臣鎌足以来の内大臣・連合国へ再照会「キッパリ断った」東郷外相・「ヤブからヘビ」の危惧〜」の話でした。

目次

大日本帝国への回答を「独断遂行」した米国:他の三カ国へは通告のみ

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに梅津美治郎 参謀総長、豊田副武 軍令部総長、米内光政 海軍大臣、阿南惟幾 陸軍大臣(国立国会図書館,Wikipedia)
阿南惟幾

武装解除と駐留も
撤回含め、再照会すべき!

梅津美治郎

絶対に
再照会すべきだ!

豊田副武

これでは、
属国になってしまう!

連合国の正式回答:1945年8月12日

ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。

一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)おかれるものとする。

二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。

三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。

四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。

五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。

1945年8月10日の帝国政府の回答=追加条件に対して、2日後にスピード回答した連合国。

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン書記長、蒋介石総統(Wikipedia)

当時は、連合国は四カ国となっていたため、「四カ国が二日で、ある条件に正式回答」は不可能です。

それぞれの国家が、それぞれの主張をするので、まとまらないからです。

トルーマン

ここは、我がUnitede Statesが
取り仕切るので、お任せを!

これは、米国が独断で回答を決定し、他の三カ国に対しては、

トルーマン

Japanには、このような
回答をするので、よろしく!

「通告したのみ」だから、出来たのでした。

そして、現代の視点から見れば「戦争中」としては、ある意味では「とても穏やかな」回答でした。

鈴木貫太郎の「総まとめ」に突き進む決意:命懸けの東條英機面会要請即却下

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
大日本帝国最後の四か月

最後は、みんながもう一度
考えてみようということで散会した。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相は、昼過ぎに皇居へ行き、
会議の結果を陛下に奏上した。

大日本帝国最後の四か月

陛下から
重ねて、

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昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

これまでに決めた方針に従って
戦争を終結させるのが一番良いと思う。

昭和天皇

このことは総理にも
よく伝えるように。

大日本帝国最後の四か月

とのお言葉を
賜った。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄(交戦権否定)
軍隊国民に兵役義務いない(自衛隊)
日本国憲法と大日本帝国憲法の違い

戦前まで「主権者」であり、「最高意思決定者であった」はずの昭和天皇。

ところが、昭和天皇が、ここまで言っても、当時の帝国政府・大本営は合議制でした。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相が皇居へ出かけてまもなく、
私の机の上の電話のベルが鳴った。

大日本帝国最後の四か月

声の主は、

東條元首相の代理

私は
東條英機元首相の代理だ。

大日本帝国最後の四か月

と言った。
用向きを聞くと、

東條元首相の代理

連合国側の回答を受け入れるについて、
いくつか疑問があるので、

東條元首相の代理

東條さんが鈴木総理に直接会って
話を聞きたい。

東條元首相の代理

ぜひ、会わせて
欲しい。

大日本帝国最後の四か月

ということである。
私は、自分だけの判断で、

迫水久常

今の総理には、
そんな時間的余裕はない。

大日本帝国最後の四か月

と言って、
断った。

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東條英機 元内閣総理大臣(Wikipedia)

1944年7月22日まで、内閣総理大臣兼陸軍大臣兼参謀総長であった東條英機。

東條英機

鈴木さんと会って、
話したいことがあるのだが・・・

迫水久常

ダメです!

その東條英機からの「会いたい」要請を、迫水書記官長は、独断で却下しました。

迫水久常

・・・・・

こんなことをしては、陸軍将校に「生命を狙われる危険」は、当然認識していた迫水書記官長。

迫水書記官長は、激動の中、まさに生命をかけて戦っていたのでした。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相の皇居からの帰りを待って、
午後三時から首相官邸で閣議が開かれた。

大日本帝国最後の四か月

この時の光景は、今も私の眼底に
焼き付いて離れない。

後年に「大日本帝国最後の四か月」を著した迫水久常。

1945年8月13日の閣議が「眼底に焼き付いて離れない」と、絶対に忘れられない光景であると語ります。

大日本帝国最後の四か月

ことに鈴木総理が最後の力を振り絞って、
閣議をリードした姿は、

大日本帝国最後の四か月

忘れようとしても
忘れれることが出来ない。

子どもでも、大人でも「忘れたいこと」は誰でもあります。

迫水は、「忘れようとしても忘れることが出来ない」と、当時の鈴木首相の奮闘を語りました。

大日本帝国最後の四か月

鈴木内閣が発足してから
四か月以上の月日が流れていたが、

大日本帝国最後の四か月

その間の閣議で、総理は
ほとんど自分の意見を述べなかった。

大日本帝国最後の四か月

終戦の問題が起こってからの閣議は、
いつも緊張した空気に包まれていたが、

大日本帝国最後の四か月

それでも鈴木総理の態度は
終始変わらなかった。

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鈴木貫太郎 総理大臣(国立国会図書館)
鈴木貫太郎

・・・・・

いつも「無言を貫いた」鈴木貫太郎首相。

名前生年役職
鈴木貫太郎1868年内閣総理大臣
米内光政1880年海軍大臣
梅津美治郎1882年参謀総長(大本営)
東郷茂徳1882年外務大臣
豊田副武1885年軍令部総長(大本営)
阿南惟幾1887年陸軍大臣
昭和天皇1901年天皇
迫水久常1902年内閣書記官長
昭和天皇と政府・大本営大幹部(1945年8月10日)

そして、77歳という、高齢化社会が進んだ現代でも「ご高齢」であった鈴木貫太郎。

1945年当時においては、77歳は「かなりのご高齢」でした。

「貫太郎」という名前の通り、「どこまでも貫く」強い精神を持つ人物でした。

大日本帝国最後の四か月

各大臣の意見を聞くだけで、
自分から積極的な意見を吐くことはなかった。

大日本帝国最後の四か月

ところが、この日は全く
事情が違っていた。

「黙り続けていた」鈴木総理が、全く違う姿を見せようとした1945年8月13日の閣議。

鈴木貫太郎

総理大臣として、
ここは、私が絶対にまとめねば・・・

鈴木貫太郎

そうしなければ、我が大日本帝国の未来、
そして臣民(国民)たちの未来は・・・

鈴木貫太郎

ない・・・・・

鈴木貫太郎首相は、当時、こう考えていたでしょう、

鈴木貫太郎

まず、東郷外相から連合国側の正式回答について
話をしてもらいます。

鈴木貫太郎

それから、今日の午前中に開きました
最高戦争指導会議の模様も、

鈴木貫太郎

報告してもらいますので、
みんな、よく聞いて下さい。

大日本帝国最後の四か月

鈴木総理の声には、
どこかにハリが感じられた。

若々しい「ハリ」を感じさせた鈴木総理。

鈴木総理は、一気に帝国政府・大本営をまとめようとしていました。

玉音放送まで、後二日。

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日清戦争(Wikipedia)
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戦艦三笠と東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

1868年の明治維新以来、日清戦争、日露戦争の大戦争で勝利し続け「負け知らず」だった大日本帝国。

いよいよ、大日本帝国は、確実に近づいていました。

「条件付き降伏と、大日本帝国初の敗戦」へ、と。

次回は上記リンクです。

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