ポツダム宣言受諾決意した鈴木首相〜ソ連戦車部隊「セキを切って」侵攻・本土決戦想定で弱体化の関東軍・最高戦争指導者会議と軍部〜|ポツダム宣言から敗戦の真相19

前回は「迫水久常「からだ中の血液が逆流」〜政府メディア統括総本部同盟通信社・「連合国への義務」の大義名分得たソ連・うまく利用された「黙殺=拒否」〜」の話でした。

目次

ソ連戦車部隊「セキを切って」侵攻:本土決戦想定で弱体化の関東軍

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン書記長、鈴木貫太郎首相(国立国会図書館、Wikipedia)

1945年8月8日、ソ連は一方的に「中立条約が有効」であった大日本帝国に宣戦布告しました。

日付出来事
7月26日連合国、日本政府へポツダム宣言通告
7月28日日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表
8月6日広島へ原爆投下
8月8日ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告
8月9日長崎へ原爆投下
ソ連軍、日本へ侵攻開始
8月14日日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知
8月15日昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知
9月2日ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印
1945年:敗戦(終戦)前後の状況

このことを翌日9日に、鈴木総理に迫水内閣書記官長は報告しました。

鈴木貫太郎

とうとうくるものが
きましたね・・・・

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
大日本帝国最後の四か月

午前九時五十五分から拝謁、
十時半少し前、総理は官邸へ帰ってきた。

大日本帝国最後の四か月

その時の模様を鈴木総理は、その著「終戦の表情」の中に
次のように書き付けている。

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「終戦の表情」(鈴木貫太郎、新教育紀行)

ここで、「大日本帝国最後の四か月」は、鈴木貫太郎の「終戦の表情」から引用します。

少し長いので、抜粋してご紹介します。

終戦の表情

ソ連の対日宣戦布告が
なされたということであった。

終戦の表情

余は、瞬間、満ソ国境をセキを切ったように
侵攻してくる戦車群が想像され・・・

終戦の表情

満洲の守備兵が本土決戦の都合上、
その重要な部分を内地へ移動していることも考えた。

新教育紀行
満洲国(Wikipedia)

当時、形式的には「独立国」だった満洲国(満州帝国)。

実は満洲国の政治の実権は全て日本人が握っていたため、事実上は「日本の領土」でした。

現在、日本とソ連は「海を隔てた隣国」ですが、当時は満洲において「陸の隣国」でした。

ソ連が対日宣戦布告したら、まず真っ先に満洲に攻め込んでくることは、当時常識でした。

満洲には、関東軍という特別な部署が設けられ、強力な帝国陸軍が常駐し続けました。

ところが、「本土決戦」のために内地(日本本国)に関東軍の大部分を引き抜きました。

その結果、満洲の軍備は、かなり弱体化していました。

つまり、「本土を固めた」ために、「弱点」となってしまった満洲。

その満洲に、ソ連が大挙して攻め込んでくることになりました。

本土決戦に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

ポツダム宣言受諾決意した鈴木首相:最高戦争指導者会議と軍部

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靖国神社(新教育紀行)
終戦の表情

このままソ連の進攻を迎えたならば、
二ヶ月は持ちたえ得ないだろうことも考えた。

終戦の表情

そして、陛下のおぼしめしを
実行に移すのは、今だと思った。

終戦の表情

差し当たって、本土決戦に導くか、
降伏に進むか、この二つの道があったが・・・

終戦の表情

大勢はもちろん降伏以外には
考えられない。

終戦の表情

ポツダム宣言を受諾すべきであるということは、
余がその宣言を一読した折から・・・

終戦の表情

内心検討を重ね、全く
決心していた事柄である。

ここで、鈴木首相は、少し違和感を感じる言い方をしています。

鈴木貫太郎

ポツダム宣言を受諾すべきであるということは、
一読した折から、全く決心していた事柄である。

ポツダム宣言を見た瞬間から、「受諾すべき」と考えたと告白する鈴木首相。

これがどこまで本心か、は不透明な点がありますが、少なくとも一部は本音と考えます。

ところが、

鈴木貫太郎

ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。

鈴木貫太郎

あくまで戦争遂行に
邁進する。

このような表現であったことが、「原爆投下+ソ連宣戦布告」に繋がってしまったのもまた事実です。

この辺りは、多少「鈴木首相が自己擁護している」と考えて良いでしょう。

大日本帝国最後の四か月

官邸へ戻ってきた総理は、
いつもに比べて重い足取りを見せた。

大日本帝国最後の四か月

私を呼んで、次のように
言った。

鈴木貫太郎

今、陛下に詳しいご報告を
申し上げてきた。

鈴木貫太郎

陛下のおぼしめしも
伺ってきたので・・・

鈴木貫太郎

ここでポツダム宣言受諾という形式に
よって終戦することに決めた。

鈴木貫太郎

書記官長は、それぞれの段取りを考えて、
間違いのないように取り運んでくれ。

大日本帝国最後の四か月

私は、その頃の制度に従い、国家の意思を
決定するのに必要な手続きを順次取ることにした。

大日本帝国最後の四か月

まず、最高戦争指導会議を開き、
ついで閣議を招集する手はずを整えた。

現代ならば、「まずは閣議」ですが、当時は「その前に最高戦争指導者会議」開催が必要でした。

最高戦争指導者会議

・出席者は内閣総理大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・軍令部総長

・必要に応じ、国務大臣、参謀次長、軍令部次長など出席

・幹事は内閣書記官長・陸海軍軍務局長

・大本営と政府の一元化のため、1944年に発足

最高戦争指導者会議は、上のような組織であり、軍部の影響が強いです。

構成員である六名のうち、四名が軍部関係者であった最高戦争指導者会議。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

当時は、政府と大本営が「個別に権限を持っていた」国家体制だった大日本帝国。

職名役職
参謀総長帝国陸軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
軍令部総長帝国海軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
陸軍大臣帝国陸軍の軍政のトップ
海軍大臣帝国海軍の軍政のトップ
大日本帝国陸海軍のトップ四名

戦争中であるからには、とにかく「軍部と政府が円滑に意思疎通」が必要でした。

そのために設置された「最高戦争指導者会議」にて、ポツダム宣言受諾目指すことにした迫水久常。

ここから、迫水たちの更なる奮戦が続きます。

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