前回は「ポツダム宣言に明記された「10の条件」〜軍部厳罰+除去と占領と日本の未来・トルーマン大統領主導のポツダム宣言・米国の「前人未到の切り札」〜」の話でした。
「超ベテランの風格」鈴木貫太郎首相:ポツダム宣言の条件と意図

1945年8月14日、大日本帝国はポツダム宣言受諾を正式に連合国に通告しました。
そして、翌8月15日、昭和天皇は自らの声で国民に「敗戦の布告」となる玉音放送を行いました。
そのため、現在、日本では8月15日を「終戦の日」としています。
米国などの連合国側は、戦艦ミズーリでの調印の日である同年9月2日を「終戦の日」としています。
以下では、当時、「大日本帝国」という名称だった我が国を「日本」と呼びます。
| 国家 | 国家元首 | 就任年・月 |
| 米国 | ルーズベルト 大統領 | 1933年3月 |
| トルーマン 大統領 | 1945年4月 | |
| 大英帝国 | チャーチル 首相 | 1940年5月 |
| アトリー 首相 | 1945年7月 | |
| 大日本帝国 | 東條英機 首相 | 1941年10月 |
| 小磯國昭 首相 | 1944年7月 | |
| 鈴木貫太郎 首相 | 1945年4月 |
鈴木貫太郎我が国、日本は、
ポツダム宣言を受諾し・・・



連合国に対して、
降伏します。
1945年4月7日に発足した鈴木貫太郎内閣は、当初から「終戦に向けての内閣」でした。
ただし、最後まで本土決戦を主張していた陸軍などに対しては「重大な配慮」が必要でした。
77歳という、現代までの歴史において「最高齢で首相」となった鈴木貫太郎。
「超ベテランの風格」で、国家を引っ張ることが期待されました。
宣言
合衆国、中国および連合王国の政府首脳による宣言
一 我々、合衆国大統領と中華民国国民政府主席およびグレートブリテン首相は、我々の数億の国民を代表して協議を行い、日本にこの戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。
二 合衆国と大英帝国および中国の巨大な陸海空軍は、西方から自国の陸空軍による数倍の増強を受け、日本に対して最後の一撃を与える態勢を整えた。この軍事力は、日本が抵抗を停止するまで、対日戦争を遂行する全ての連合国の決意により支持され、また鼓舞されるものである。
三 覚醒した世界の自由な人々の力に対するドイツによる無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本国民に対する極めて明白な先例である。現在、日本に対し集結しつつある力は、ナチスの抵抗に対し適用され、必然的に全ドイツ国民の土地、産業および生活様式に荒廃をもたらしたそれとは比較できないほど強大である。我々の軍事力は我々の決意のもとで最大限に行使され、それは日本国軍隊の不可避かつ完全な壊滅と、同じく不可避的な日本国本土の完全な荒廃を意味することになる。
四 愚かな打算により日本帝国を消滅の寸前まで陥れた身勝手で軍国主義的な助言者らに支配され続けるのか、それとも理性による道を歩むのかを、日本が決定すべき時が来たのである。
五 我々の条件は次のとおりである。我々は、これらの条件を逸脱することはない。これらに代わる条件は存在しない。我々は、遅延を許容しない。
六 日本国民を騙して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者たちの権力および勢力は、永久に除去されなければならない。無責任な軍国主義が世界より駆逐されるのでなければ、平和と安全および正義の新秩序が生じ得ないことを、我々は主張するからである。
七 そのような新秩序が建設され、かつ日本の戦争遂行能力が破壊されたことについて確証を持つことができるまでは、連合国が指定する日本国領域内の諸地点は、占領されなければならない。我々がここで述べる基本的な目的の達成を確実とするためである。
八 カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また、日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定されなければならない。
九 日本国軍隊は、武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰して平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられなければならない。
十 我々は日本人を民族として奴隷化したり、国民として滅亡させる意図を有さないが、我々の捕虜に対して虐待を行った者を含む一切の戦争犯罪人には、厳格な処罰が下されなければならない。日本政府は、日本国民の間における民主主義指向の再生および強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。
十一 日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の強制取立てを可能とするような産業の維持を許される。ただし、戦争のための再軍備を行うことを可能とするような産業の維持は許されない。この目的のため、原材料の統制とは異なる形で、原材料の入手を許されるものとする。日本は、将来的には世界貿易関係への参加を許されるものとする。
十二 これらの目的が達成され、日本国民の自由意思に基づき、平和指向かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本から撤収するものとする。
十三 我々は、日本政府に対して、直ちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言することを要求し、その行動における同政府の誠意について、適切かつ充分な保証を提供するよう要求する。日本にとって他の選択肢は、迅速かつ完全な破壊のみである。
ポツダムにて、1945年7月26日
ハリー・トルーマン
ウィンストン・チャーチル
中華民国政府主席
「無条件降伏」と言われることが多いポツダム宣言でしたが、多くの条件が付記されていました。
1.日本国民を騙して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者たちの権力および勢力は、永久に除去
2.連合国が指定する日本国領域内の諸地点は占領
3.日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定
4.日本国軍隊は、武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰して平和的かつ生産的な生活を営む
5.一切の戦争犯罪人には、厳格な処罰
6.民主主義指向の再生および強化に対する一切の障害を除去
7.言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重
8.自国の経済を支え、正当な現物賠償の強制取立てを可能とするような産業の維持
9.将来的には世界貿易関係への参加
10.平和指向かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本から撤収
今回は、ポツダム宣言から、連合国・米国の観点を考えてみましょう。
合理的な米国流発想「日本主権の島の順序」:「面積」と「北から」


一時は、現代では信じられないほど拡大した日本の領土が、上の地図です。
1942年中頃、上の薄赤色の部分が事実上の日本の領土でした。
現代の日本の領土と大きく異なる点を見てみましょう。
・台湾(日清戦争で割譲)
・南樺太(日露戦争で割譲)
・朝鮮半島(韓国併合)
・満洲(満洲事変で傀儡政権樹立)
・中国沿岸部(支那事変・日中戦争で侵略)
・東南アジア・南洋諸島(第二次世界大戦で侵略)
それぞれの領土取得のプロセスは、概ね上の通りです。
正式に「日本の領土」であったのは台湾・南樺太・朝鮮半島等で、これらは諸外国から認められていました。
諸外国から見て問題は、他の満洲・中国沿岸部・東南アジア・南洋諸島でした。
特に満洲に対しては、米国は当初から極めて厳しい視線で見続けていました。
その結果が、日本の「国際連盟脱退」につながります。
スティムソン国務長官・陸軍長官は、日本に対して強硬派だった話を上記リンクでご紹介しています。


1943年頃から、押され続けることになった日本は、最後に絶対国防圏を設定しました。
ところが、この絶対国防圏も、米軍に次々と突破され続けました。
とはいっても、1945年7月26日、ポツダム宣言発令時、日本の領土はかなり広かったのでした。
ここで、「ポツダム宣言の条件」の中で、日本の領土に注目します。





日本の主権は本州、北海道、
九州および四国・・・



ならびに我々の決定する諸小島に
限定する。
ポツダム宣言では、「日本の領土の範囲」が条件として明確に記載されています。
ここで、日本列島の主な島の「順序」に注目です。
日本人が、「主な日本列島四島」を言うときは、



日本列島は、北海道、
本州、四国、九州・・・



この四つが
日本の大きな、主要な島だね!
このように「北海道、本州、四国、九州」と「北から言う」ことが多いです。
それに対して、連合国米国は「本州、北海道、九州、四国」と順序が異なります。
これは、米国の視点から考えて、まず「首都・東京がある本州が最重要」という明確な意思があります。



まずはTokyoがある
Honshuが重要だろう・・・



Hosnshuには、更にKyotoと
Osakaがある・・・



どう考えても、島国Japanの
筆頭の島はHonshuだろう・・・
そして、続いて「北海道」ときたら、日本人の感覚では「九州より北の四国」ですが、



Honshu,Hokkaidoの次は
Kyushuだろう・・・


米国の発想では、「面積が大きい九州の方が、四国より重要であり、先」でした。
これは、いかにも「米国らしい発想」です。
そして、「北から」の発想の日本人よりも、合理的であると考えます。
ポツダム宣言からは、このような「米国の合理的発想」が読み取れます。
ちなみに、上の表の通り、「九州の面積は四国の面積の約2倍」は、知っておくと良いでしょう。


