前回は「「世界最高の文化の大都」だったパリ〜大久保が震えた「西郷下野+木戸下野」・「台湾出兵総大将」西郷従道・「落城した会津城」の記憶・陸軍トップの西郷・大山コンビ〜|山川捨松42・人物像・エピソード」の話でした。

「政府高官・陸軍歩兵大佐」の浩:軍における佐官の職位と権限

山川咲子(架空)薩摩なんて、
絶対に嫌!
結婚相手候補の「薩摩出身」の大山巌参議・陸軍卿に対して、こういう流れも予期された中、



いいわ・・・
一度会ってみましょう・・・



いいのか?
咲子・・・
この頃の浩と咲子の会話に関しては、記録が一切ありません。
これは「二人だけの話」であり、記録に残す類のものではありません。
そのため、全ての会話は筆者の憶測となりますが、おおよそこのような会話がなされたと考えます。
| 名前 | 生年 | 1882年時点の状況 |
| 西郷吉之助(隆盛) | 1828 | 戦死(1877,西南戦争) |
| 大山巌 | 1842 | 参議・陸軍卿 |
| 西郷信吾(従道) | 1843 | 参議・農商務卿(前陸軍卿) |
| 山川浩 | 1845 | 歩兵陸軍大佐 |
| 山川咲子 | 1860 | 米国留学後、準備中 |
当時は、陸軍歩兵大佐という重職にあった山川浩。
| 職位 | 立場 |
| 将官 | 大将・中将・少将 |
| 佐官 | 大佐・中佐・少佐 |
| 尉官 | 大尉・中尉・少尉 |
戦前までの帝国陸海軍の職位は、上の表の通りです。
現在の自衛隊も類似していますが、「軍ではない」ため、「一佐=大佐」などと呼びます。
上の表の通り、左官の上には将官がいますが、将官は「ある年齢を超えた管理者的立場」でした。
大佐は、極めて強力な権限を持ち、事実上、陸海軍ともに「大佐が軍を動かす」立場でした。
この点から、当時の山川浩は、「政府高官」であることは間違いない存在でした。
さらに、現在の政府高官よりも、はるかに地位も名誉も高かったのが明治維新政府でした。



お兄さんの
立場もあるでしょう・・・
浩は「政府高官」とは言え、相手は参議・卿(大臣)の大山巌と西郷従道。
明治政府が1868年に誕生し、久しぶりの「天皇親政」となって復活した参議という職責。
明治維新と建武の新政に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
政府内の「内輪揉め」で、参議は頻繁に入れ替わり、メンバーと人数は度々変わりました。
参議の最大数は11名という説が有力であり、「西郷+木戸のみ」の時期も瞬間的にありました。
「咲子が大山に会う」ことを西郷に伝える浩:「15歳差」の意味





どうなる
ごわすか・・・
この頃、仲介者であった西郷従道 参議・農商務卿は、「大山+咲子の行方」に対して、



咲子さんが「会うのすら断る」
可能性は十分ある・・・
このように感じ、大いなる危機感を感じていたでしょう。
「大山+西郷」のコンビは、当時の陸軍士官にとって「強烈な圧力」以外の何物でもありませんでしたが、



おいどんは、
咲子さんの意思を尊重したいごわす・・・
写真からして、比較的温厚であった西郷従道は、こう考えていたでしょう。
| 名前 | 生年 | 1882年時点の状況 |
| 西郷吉之助(隆盛) | 1828 | 戦死(1877,西南戦争) |
| 西郷吉二郎 | 1833 | 戦死(1868,戊辰戦争) |
| 西郷信吾(従道) | 1843 | 参議・農商務卿 |
| 西郷小兵衛 | 1847 | 戦死(1877,西南戦争) |
「鳥羽・伏見」によって、戊辰戦争が開始した1868年に、25歳を迎える頃だった従道。
この頃は、「15歳離れた兄」西郷隆盛に付き従って、戦争の世界を駆け抜けました。



おいどんは、15歳年上の
兄にずっと従ってきた・・



実に、実に多くの戦場や
政争を見てきた・・・



そして、5年前には
西南戦争を迎えた・・・
| 名前 | 生年 | 1882年時点の状況 |
| 西郷吉之助(隆盛) | 1828 | 戦死(1877,西南戦争) |
| 山川浩 | 1835 | 歩兵陸軍大佐 |
| 西郷信吾(従道) | 1843 | 参議・農商務卿 |
| 山川咲子 | 1860 | 米国から帰国・準備中 |
西郷隆盛と西郷従道は、「15歳の年齢差」でした。
そして、山川浩と山川咲子の年齢差も「15歳の年齢差」でした。
西郷家と山川家で、兄弟と兄妹の違いはありますが、同じ「15歳の年齢差」でした。
この同じ「15歳の年齢差」を、当人たちが気づいていたか不明です。
つまり、兄弟・兄妹関係は、西郷家と山川家で「非常に似ている」環境にありました。
当時は子沢山の時代だったので「15歳差」は、比較的よくあることでした。


浩、咲子が話していた1882年の2年後、1884年に誕生した山本五十六。



父が五十六歳の時に
生まれたので、五十六と命名された・・・
父親が五十六歳で生まれたため、長兄の高野(山本の実家・旧姓)譲とは年が離れていたでしょう。
長兄・譲の生年は不明ですが、少なくとも15歳は年齢が離れていたと思われます。



それでは、まずは
仲介者の西郷参議に・・・



そうね・・・
それが良いわね・・・
咲子の「会う意思」を、まずは仲介者の西郷従道に伝える必要があります。
ここで、どのように浩が西郷従道に知らせたかは、不明です。
現代ならば「メールか電話一本」ですが、当時は、



西郷参議に、「咲子が会う」と
伝えてくれませんか・・・



分かりました。
すぐに伝えます・・・
このように、「信頼できる人物に伝言を依頼した」と思われます。



咲子さんが
巌に会ってくれるか!



本当に良かった・・・
おいどんも安心したごわす・・・
伝言を聞いた西郷従道は、心底ホッとしたでしょう。



いやぁ・・・
良かったごわす・・・



あとは、二人の
間次第ごわす・・・
こうして、「山川咲子と大山巌が会う」ところまで、ようやく辿り着きました。



・・・・・
ここから先は、「全ては咲子次第」となります。


