宴の中で冷静に未来を見た山崎直子〜飛躍から宴のバブル景気へ・強力となりすぎた通貨円とプラザ合意・踊る日本・狂乱する土地の価値〜|山崎直子16・中学生〜高校生の時代

前回は「英語と広い世界へ強い興味を抱いた山崎直子〜爆走するJapanと指摘されていた問題点・異常なバブル景気と凄まじい勢いの日経平均株価〜」の話でした。

宇宙飛行士 山崎 直子(Wikipedia)
目次

飛躍から宴のバブル景気へ:強力となりすぎた通貨円とプラザ合意

1945年敗戦時の東京(Wikipedia)

第二次世界大戦で連合軍(主に米国)に完膚なきまで叩きのめされた日本。

日本全土が焼け野原となり、東京もまた焦土となりました。

米軍による大空襲により、いくつかの鉄筋コンクリート造の建築・建物が残るのみ。

日本の伝統的な木造建築は、全て焼き尽くされ、吹き飛ばされました。

その1945年から急速に復興した日本。

みんなで頑張って、
我が祖国を復興するのだ!

1951年に米国に統治されていた日本は独立を果たしました。

そして、1972年に沖縄が返還され、現在の日本の国家の姿が成立しました。

とにかく、
みんなで頑張ろう!

そうだ!
日本はもう一度復興するのだ!

敗戦後わずか40年後の1985年には、猛烈な勢いを持つに至りました。

日経平均株価の推移(IG證券)

物価の変動も大きな要素ですが、1975年頃には5,000円ほどだった日経平均株価。

1970年代後半から伸び続け、1980年代には急速な上昇を見せて1985年には、15,000円ほどになりました。

プラザ合意前後のドル円為替レート(Wikipedia)

すでに急激な成長ですが、さらに1985年以降には「急速な成長」を超えた「異常な成長」となります。

1985年には、世界の金融市場を動かす象徴的な出来事がありました。

先進五カ国(G5)財務(大蔵)大臣・中央銀行総裁による「プラザ合意」です。

現在G7、G20などありますが、当時は日本・米国・英国・フランス・ドイツ(西ドイツ)が5大国でした。

この時の「合意」により、「急速」というよりも「過激な勢い」で円高が進行しました。

それまで「弱かった通貨」だった円が、極めて強い通貨に変貌しつつあったのでした。

それに伴い、日経平均株価は「急激な上昇」というよりも「断崖絶壁のごとく異常な伸び」を見せました。

1985年を境に、15,000円→20,000円→25,000円→・・・・と上昇します。

15,000円程だった日経平均株価は急進を続け、4年後の1989年には最高値の38,915円に到達しました。

後に「バブル景気」と呼ばれる異常な好景気となった日本。

株を持っていた人は、

株がガンガン
上昇する!

土地を持っていた人は、

土地の価格が
急上昇する!

すると、

株は、どんどん
買うんだ!

土地を
買えば必ず儲かる!

土地を買っておけば、
必ず上昇するんだ!

日本国中が、おかしな状況となってきました。

株も土地も狂乱状態となりました。

踊る日本:狂乱する土地の価値

武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

当時の状況を、不動産会社の方に聞いたことがあります。

ある日の朝に
買った土地を、同日夕方に売ったら・・・

20%以上儲かった
ことがある。

なんと、「朝に購入して、夕方に売却したら20%儲かる」という異常事態。

これは「誇張された話」だと思いますが、「似たような話」はあったのでしょう。

異常事態というよりも、非常事態に近い状況になりました。

こんなことが発生する時点で、日本中がおかしくなっていたのでしょう。

土地の価値があまりに上昇したために、大変な事態が次々に起こります。

いわゆる「上物(うわもの)」と呼ばれる建築・建物。

建築・建物を作るには大変なお金が必要です。

家なら数千万円、学校などの施設ならば、すぐに数億円、あるいは十億円以上の費用がかかります。

あまりに土地の価格が上昇すると「土地こそが王様で、建物は安い」という事態になりました。

坪単価2,000万円の土地が200坪あったら、40億円となります。

そこに建てる建物が10億円かかっても、

40億円に比べたら、
10億など大したことはない。

まあ、
「端した金」だわな・・・

しかも、土地の価格は
上昇し続けているから・・・

この勢いなら、
放っておけば、土地の価格は60億になるかも。

このような「異常な経済論理」に支配された不動産業界。

建物は、
どうでもいい!

土地が
大事だ!

ということになり、実際に「建築したのに使われないまま、解体された」建物まで登場しました。

まさに、丹精込めて作る建築・建物が「一時的な仮設建物」となってしまったのです。

宴の中で冷静に未来を見た山崎直子

新教育紀行
日の丸:日本の国旗(Wikipedia)

この異常なまでの活況は、山崎少女も「肌で感じていた」ことでしょう。

まさに、日本という国家・国土・国民が世界に向けて「輝きを放っていた」時代です。

日本中が
活気付いている!

自分や自分の身の回りが活気付いていたら、誰しも嬉しいものです。

将来に向けて、
勉強をしっかりとやろう!

このバブル景気の発端となった1985年に15歳となった山崎少女。

中学生から高校生となります。

この頃に、周囲の浮ついた感じに影響されずに、しっかりと勉強を続けた山崎少女。

英語も
楽しいけど・・・

数学とか
物理も面白い!

一生懸命、英語・数学・物理などの勉強を自発的に進めます。

僕は、
数学や物理が好き!

という男子中高生は多いです。

一方で、

数学や物理が
好き!

という女子中高生では非常に少ないです。

現在の日本でも少ないのですから、当時は尚更でしょう。

その中、興味を持った数学や物理の勉強に励んでいた山崎少女でした。

我が東京が世界の金融センターの
中心になるんだ!

東京のビルの床面積が
全然足りなそうだな!

このような「夢のような」未来が日本中に広がっていた中、当時の雰囲気に左右されず、

小さな頃から
好きだったことを学ぶのが面白い!

一生懸命勉強を続けていた山崎直子。

のちに「儚い夢」となる「茫漠とした夢」を見続けた大勢の方とは、大きく異なっていました。

中学受験はせず、高校から「自由な校風・カラー」にどっぷり浸かって、未来を見ていました。

新教育紀行

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