英語と広い世界へ強い興味を抱いた山崎直子〜爆走するJapanと指摘されていた問題点・異常なバブル景気と凄まじい勢いの日経平均株価〜|山崎直子15・中学生〜高校生の時代

前回は「敗戦から官民一体の「日本人全員の全力投球」へ〜1970年大阪万博・夢と未来と溢れんばかりの熱気の中で・”Japan as No.1″とバブル景気・加熱する中学受験界〜」の話でした。

宇宙飛行士 山崎 直子(Wikipedia)
目次

爆走するJapanと指摘されていた問題点

東京オリンピック1964開会式(Wikipedia)
1970年の大阪万博(万博記念公園)

1964年東京オリンピック、1970年大阪万博後もなお猛烈な勢いで成長する日本という国家。

特に日本の経済力の増強は、目覚ましいものでした。

そして、それは海外の視点から見れば「異常」とも思われる状況でした。

なぜ、
Japanの経済力は、あんなに勢いがあるんだ?

さあな・・・
分からんな・・・

この「日本の躍動」の中、極めて象徴的な本が出版されました。

Japan as No.1(エズラ・ボーゲル著 CCCメディアハウス)

“Japan as No.1″つまり、「No.1のジャパン」という本でした。

著者のエズラ・ボーゲルは、ハーバード大学で博士号を取得した社会学者です。

ボーゲルは中国・日本など東アジアの歴史などの研究者でした。

社会学者 Ezra Vogel(Wikipedia)

当時の日本の状況を綿密な検証をもとに、「No.1」と称賛したボーゲル。

今となっては、日本人としては嬉しい反面、非常に歯痒い事態でもあります。

実際、日本を称賛したボーゲルでしたが、当時すでに「日本の問題点」を多数指摘していました。

Japanの大学は
大学教授などの研究をサポートするシステムがない・・・

Japanの大学の
教授会のシステムなどは、改める必要がある・・・

当時、トヨタをはじめとする「改善」の手法は世界中から賛美されていた日本のシステム。

そのまま”Kaizen”という英語になるほど賞賛されていました。

その一方で、ボーゲルは日本の大学などの大きな問題点を強く指摘していたのです。

「国家の姿」や方向性は、なかなか変わることが難しい面があります。

それでも、「ボーゲルからの指摘」から50年以上の時間、つまり半世紀経過した今の日本を考える時。

あまりにも多くの「マイナス面」が「変わっていない」のが現実です。

英語と広い世界へ強い興味を抱いた山崎直子

新教育紀行
世界の様々な都市・街(新教育紀行)

この日本中が沸き立っている状況で中学生となった山崎少女。

1970年頃までは、「日本にほとんど外国人がいなかった」時代でした。

気軽に海外に行ける現代では、日本人が海外に行くことも「普通のこと」です。

しかも、日本のパスポートは諸外国の中でも非常に力が強いこと。

これも日本人・日本国籍所有者には大きなメリットです。

私のパスポートは
これです。

「菊の紋章(日本)のパスポート」を出せば、

どうぞ・・・

と海外の税関などを比較的楽に通過できます。

一度は敗戦国となった日本。

日本は1964年までは、

一般の日本人の方は、
日本から国外には出られません・・・

「一般人の海外渡航禁止」でした。

つまり、1964年以前には「海外にいる日本人」は、

私は
外交官の家族です・・・

私は〜商事の
現地駐在員です・・・

大臣・政府幹部・外交官・商社の駐在員等「非常に限られた存在」だったのです。

現在から考えると、まだ60年ほど前のことです。

1980年以降、日本が拡大に拡大を続ける中、欧米の日本への視点も熱くなります。

Japanに
学べ!

そうだな、あれだけ脅威的な成長を
遂げるのは、何か秘密があるのだ!

この中、

英語がとても
好きで、将来海外も視野にしたい!

と考えた山崎少女。

「海外志向」は当時の時代背景もありますが、中学生〜高校生はなかなか考えられないことです。

しかも、

米国の女の子と
文通した。

実際に英語部に入って、「米国の同世代の女性」と文通を始めました。

海外の方と
文通してみたい・・・

と考えたり、思ったりする方は多いでしょう。

実際に「海外の友達と文通する」というのは、簡単には出来ないことです。

英語の勉強になる
だけでなくて・・・

米国のことも
よく分かる!

類い稀な能力と実行力を持っていたのが、山崎少女だったのです。

異常なバブル景気と凄まじい勢いの日経平均株価

日経平均株価の推移(IG證券)

異常なバブル景気は、日本株価にも反映されました。

戦後、着実に伸び続けた日経平均株価は、1982年頃から異常な伸びを見せ始めます。

特に1985年の「プラザ合意」以後、異常を超えた伸び方を見せました。

上のグラフをみても、「コロナ直後の急落後の急速な回復」と同程度の伸び方を見せています。

この中、日本は経済力で世界で圧倒的な立場となります。

日本の地価もまた急騰し、銀座では初めて「坪単価一億円」を超える事態となりました。

2畳の面積(1坪)で
1億円だって!

それは、
すごいことだね!

お金が唸っている状況となった日本。

まさに日本国民・日本国中が躍動し、飛躍していたのが、1980年代の日本だったのです。

その後、「躍動した時期」がほとんどない日本という国。

この時期に、多感な思春期を迎えた山崎直子および同世代の方々は幸せだったのかも知れません。

新教育紀行

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